(科学的思考の基本は、アブダクションです)
1)第4のパラダイム問題
2022/05/19のNewsweekで、藤野英人氏は、次のように指摘しています。(要約)
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2000年以降のおよそ10年間、インターネットの急速な普及により、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、起業したときの平均年齢は24歳)は、時代の変化を的確に見抜き、瞬く間に世界的企業となりました。今、日本の優秀な学生、とりわけ東大生が昭和96年企業に入ることをよしとしません。2000年代のアメリカと同じです。20年前に比べて、実力があり人格も優れた若い起業家が増えています。2040年になったら社会はきっと激変します。
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藤野英人氏の上記の主張に、筆者は、半分だけ同意します。
同意しがたい部分は、第4のパラダイム問題に、関わっています。
2009年にマクロソフトリサーチのTony Hey 、Kristin Michele Tolle、Stewart Tansleyは、「The Fourth Paradigm」というアンソロジーを編集しました。
ここで、パラダイムとは、順番に、(1)経験的証拠、(2)科学理論、(3)計算科学、(4)データサイエンスになっています。
2000年は、(4)のデータサイエンスのパラダイムの成立時期と重なっています。
つまり、2000年にはあるが、2020年には、ない要素をどう評価するかという点がポイントになります。
ここで問題になるのが、「(2)科学理論」の習熟です。
詳しくは、別の記事「日米の高等学校の生態学のカリキュラムの違い」で論ずる予定ですが、ここには、要点だけを書きます。
高等学校(CK12)、中学校(CK8)の生物学の教科書は、冒頭に、科学理論とは何かという説明のページを割いています。簡単にいえば、「観察ー>仮説ー>実験ー>検証」のステップです。
ここには、科学は仮説のグレードアップしたものであるという科学のパラダイムが含まれています。
WIKIBOOKSの高等学校生物/生物Iと高等学校生物/生物IIには、科学理論の記載はありません。
WIKIBOOKSの中学校理科 第2分野には「身近な生物の観察」があります。しかし、ここには、「仮説ー>実験ー>検証」はありません。科学理論では、観察は、仮説を生み出すために行います。仮説なき観察は、科学理論ではありません。
ここでは、教科書のカリキュラムを批判しているのではありません。
生物学のカリキュラムを例に、平均的な日本人の科学理論のパラダイムのリテラシーは、疑わしいのではないかと指摘したいのです。
データを集めて帰納する、あるいは、前例主義を、科学だとり違えている人が多いのではないでしょうか。
Heyらの区分では、単純な帰納法は、「(1)経験的証拠」であって、「(2)科学理論」のひとつ前のパラダイムです。
「(2)科学理論」のスタート時点は、仮説の集まりですから、不確かなものです。
一方、「(1)経験的証拠」は、ヒストリーに基づきます。ヒストリーは、捏造されていなければ、変更はありません。
科学は、確かで間違いのないものである。「(1)経験的証拠」は、変更がないので確かである。
したがって、「(1)経験的証拠」から帰納法で得られた結果は、科学である。
このように思い込んでいる人が多いように思われます。
竹内薫氏は、「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方」の中で、「科学の基本……それは、『世の中ぜんぶ仮説にすぎない』ということです」といっています。この本が売れるということは、科学理論のパラダイムのリテラシーは、疑わしいといわざるをえません。
2)魔術と詐欺
問題の中心には、ラッセルの七面鳥の定理で取り上げたような帰納法に関する理解の欠如です。
ただし、帰納法と演繹法は、アリストテレスの一流のレトリックのようにも思われます。
帰納法と演繹法の定義は曖昧です。定義だけを読んでも、内容は理解できません。(注2)
そこで、サンプルが添付されています。
つまり、帰納法と演繹法の定義の実態は、サンプルであって、言葉による定義は内容を表しきれていないように感じられます。
もしそうであれば、サンプルを入れ替えて、検討する必要があります。
2-1)魔術
魔術の一番シンプルな手品を考えます。
「右手にあったコインが、一瞬で消えて、左手に移動している」という観察がなされました。
このとき、どのような推論が行われるのでしょうか。
帰納法:手品を数回繰り返して観察し、「手品のある条件を満たせば、コインは、空間を飛び越えて移動する」と結論づけます。
演繹法:物質不滅の法則から、「観察された事実には、どこかに、間違いがあるはずだ」と結論づけます。
アブダクション:左手のコインは、右手ではなく、左手のどこかにあったはずである。「この手品には、タネがあるはずだ」と結論づけます。(注1)
アブダクションの「左手のコインは、右手ではなく、左手のどこかにあったはず」は、物質不滅の法則が根拠です。アブダクションの中で、演繹法を使っています。
チャールズ・サンダース・パースは、演繹、帰納に対する第三の方法としてアブダクションの語を用いました。
アブダクションの用語を用いる人は、パースの分類を無批判で受け入れている場合が多いように思われます。
話が混乱してみえるかもしれません。
検討のスタートは、CK12 の生物学の教科書の科学理論の説明です。そこには、「観察ー>仮説ー>実験ー>検証」のステップが書かれています。
そして、その後に、高度な知識として、演繹法と帰納法の説明が載っています。
つまり、仮説を立てるためには、演繹法と帰納法を理解する必要はありません。
CK12 の生物学の教科書には書いてありませんが、筆者は、仮説を立てるには、アブダクションができれば、十分であると考えます。そして、意識されませんが、アブダクションにはパーツとして、演繹法と帰納法が含まれていると考えます。
アブダクションは、結果から原因を考える推論です。実生活の問題の大半は、逆問題なので、アブダクションばかりを使うことになります。
2-2)詐欺
詐欺の中心は儲け話です。
「お金を預ければ、大きなリターンがある」という話です。
詐欺師は、最初は、カモから、少額を預かって儲けさせます。
帰納法:入金と預金額の変化から、「お金を預ければ、大きなリターンがある」といえる。
演繹法:「お金を預ければ、大きなリターンがある」という規則によれば、今後、入金額を増やせば、大きなリターンが得られる。
アブダクション:少額を預けてて儲かった。しかし、何のために、入金を催促しているのか考えるべきだ。「お金を預ければ、大きなリターンがある」という規則が成り立つのであれば、自分で、資産を増やすはずで、人に勧めるはずがない。少額を預けてて儲かったことはおとりかもしれない。
2-3)まとめ
演繹法と帰納法の説明に出て来るサンプルは、まともな規則(仮説)です。しかし、問題は、まともでない規則、間違った仮説をどうやって回避して、まともな仮説になる確率を上げるかです。
その点では、アブダクションだげが役に立つことがわかります。
3)アブダクション評価法
ある問題が、「(1)経験的証拠」で扱われているか、「(2)科学理論」で扱われているか、言い換えれば、問題が、ヒストリアンの視点で取り扱われているか、ビジョナリストの視点で取り扱われているかは重要です。
なぜなら、ヒストリアンの視点には、表面上は、間違いが存在しませんが、実態は、間違いが訂正されないだけなので、その副作用として問題解決が出来なくなるからです。
仮説を立てるためには、アブダクションが有効なことがわかりました。
これから、アブダクションが行われていない場合は、ヒストリアンの世界で、「(1)経験的証拠」に基づいていて、問題解決が進まないことが予想されます。
例をあげましょう。
落ちこぼれの七五三問題は、20年以上解決していません。アブダクションは、結果から原因を推定します。
この場合の結果は、落ちこぼれの七五三問題です。原因はわかりません。アブダクションは、原因を推定して、「原因Aが、七五三問題を発生させている」あるいは「原因Bが、七五三問題を解決する」といった仮説を作ります。
仮説を作ったら、順番に試してみます。実験をします。実験結果から、使えそうな仮説とダメな仮説のリストが出来上がります。
落ちこぼれの七五三問題が確認されてから、20年以上たっていますから、アブダクションをしていれば、膨大な数のリストが出来ているはずです。そのリストを精査して、更に、ブラッシュアップされた仮説が、作られているはずです。
こうした状態になれば、落ちこぼれの七五三問題は、現在、何%解決して、将来のいつ頃には目途が付く、あるいは、何%は、解決できないといった問題解決の評価が出来ると思われます。
水産資源の減少問題も同じだと思います。
データを集めて帰納する方法は、科学理論ではありません。
ダメだった仮説と良かった仮説のリストを作り、更に、そのリストから新しい仮説を作る、これが、科学理論のパラダイムです。
アブダクションは、科学理論の問題ですので、研究者個人の問題ではありません。学会や論文集の運用の課題です。
アブダクションで作られた仮説のほとんどは失敗します。しかし、その失敗の山を乗り換えることで、「(1)経験的証拠」の問題解決ができない無限ループから抜けだすことができます。
その意味では、科学理論は、前例主義で、失敗を許容しないヒストリアンとは、対局の世界にあります。(注3)
アブダクションの有無を調べるアブダクション評価法は、ある分野が、「(1)経験的証拠」で扱われているか、「(2)科学理論」で扱われているか、を判定する有効な方法です。
注1:
ウィキペディアでは、アブダクションは、ヒューリスティクスと同義の場合もあるといいますが、ここでは、両者は異なります。
注2:
ウィキペディアのアブダクションには、「演繹: 演繹は、仮定 a と規則『 a ならば b である』から結論 b を導く。妥当な演繹は、仮定が真であれば結論も真であることを保証する」と書かれています。
この記述には2つの問題があります。
1)規則『 a ならば b である』の確率が1でない場合に、一般化できません。物理学以外では、確率は1にはなりません。
2)一番のポイントは、どうして規則『 a ならば b である』(仮説)を見つけるかです。仮説を見つける方法です。
演繹法と帰納法に分類すると、仮説は、帰納法でしか見つからないようにみえます。演繹法は、役立たずです。
しかし、これは、間違っています。科学理論の仮説は、帰納法(過去のデータ)に縛られていません。
相対性理論の検証は、過去のデータでは、不十分でした。仮説は、過去のデータを説明できる必要がありますが、その範囲に縛られるものではありません。
ニューラルネットワークは、ノードの係数として、仮説を作成し、推論します。これは、帰納法でしょうか。
演繹法と帰納法の分類は、仮説を作る上では、ほとんど役立ちません。
演繹法と帰納法の分類は、ソフトウェアのコーディングに役立ちます。しかし、プログラマは、いつもデバッグで、アブダクションを使っています。
注3:
競争的資金や大学ファンドでは、非常に高い成功率を要求することがあります。
こうした条件は、打率の低い新しい仮説を放棄させ、革新的な成果を追放します。
打率の低さから、面白いから試してみるといったモチベーションなしに、科学は進まないことがわかります。
引用文献
日本の未来が「おいしい」理由は2000年代のアメリカを見れば分かる 2022/05/19 Newsweek 藤野英人
https://www.newsweekjapan.jp/fujino/2022/05/2000.php
The Fourth Paradigm Data-Intensive Scientific Discovery
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 2006/2/16 (光文社新書) 新書 竹内薫
高等学校生物/生物I WIKIBOOKS
高等学校生物/生物II WIKIBOOKS
高等学校生物 生物I‐生命の連続性に関する探求活動 WIKIBOOKS
中学校理科 第2分野 WIKIBOOKS
中学校理科 第2分野/身近な生物の観察 WIKIBOOKS