前回の「命題は多くの場合、可能世界を真理値にマッピングする関数としてモデル化されます」の「可能世界」から、話を始めます。
原文は以下です。
Formally, propositions are often modeled as functions which map a possible world to a truth value.
1)可能世界(英語版ウィキペディア)
以下では、英語版のウィキペディアを引用します。日本語版は、筆者は読んでも理解できませんでした。
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可能世界(英語版ウィキペディア)
可能世界(a possible world)とは、世界が現在ある、またはそうであった可能性がある完全かつ一貫したあり方です。可能世界は、内包論理および様相論理に意味論を提供するために、論理学、哲学、言語学における形式的手段として広く使用されています。それらの形而上学的地位は、哲学における論争の主題であり、デヴィッド・ルイスのような様相実在論者は、それらは文字通り存在する代替現実であると主張し、ロバート・スタルネーカーのような他の人は、それらはそうではないと主張します。
(中略)
可能世界は、形式意味論に取り組む言語学者や哲学者の両方の研究において中心的な役割を果たします。現代の形式意味論は、モンタギュー文法に根ざした形式システムで表現されており、モンタギュー文法自体はリチャード・モンタギューの内包論理に基づいて構築されています。意味論における現代の研究は通常、可能世界の形而上学的な地位に関する特定の理論にコミットすることなく、形式的なツールとして可能世界を使用します。可能世界という用語は、形而上学的な意味を持たない人々によっても保持されています。
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モンタギュー文法も見ておきます。
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モンタギュー文法(英語版ウィキペディア)
モンタギュー文法は自然言語 意味論へのアプローチであり、アメリカの論理学者 リチャード・モンタギューにちなんで名付けられました。モンタギュー文法は、数学的論理、特に高次の 述語論理とラムダ計算に基づいており、クリプキ モデルを介して内包論理の概念を利用しています。モンタギューは 1960 年代から 1970 年代初頭にこのアプローチの先駆者となりました。
モンタギューの主張は、自然言語(英語など) と形式言語(プログラミング言語など) を同じように扱うことができるというものでした。
私の意見では、自然言語と論理学者の人工言語の間には理論的に重要な違いはありません。実際、私は、両方の種類の言語の構文と意味論を、単一の自然で数学的に正確な理論の中で理解することが可能であると考えています。この点に関して、私は多くの哲学者とは意見が異なりますが、チョムスキーとその仲間たちの意見には同意すると思います。(『ユニバーサル・グラマー』1970年)
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話のスタートは、ヒュームの因果モデルの「反事実的条件法」に遡ります。
「コレラウィルスが原因で、コレラが発病する」という因果モデルは、次の2つを含みます。
(Y)コレラウイルスに感染しなかったので、コレラが発病なかった。
この因果モデルは、(Y)「コレラウィルスに感染しなければ、発病しない」ことを示唆します。つまり、ウィルスに非接触であれば、発病することはありません。
ある患者については、実現可能な事象は、(X)か(Y)の何れかです。(X)が起これば(事実になれば)、(Y)は反事実になります。
(Y)がおこれば、(X)は反事実になります。
このため、この因果モデルは、「反事実的条件法」と呼ばれます。
ところで、(Y)は(X)の裏の命題です。
(X)が成立しても、(Y)は無条件に成立しません。
つまり、「反事実的条件法」では、コインのように、表と裏の命題をセットで扱っています。
論理学のテキストでは、表の命題が正しい場合に、裏の命題も正しいと考えることは、初歩的な誤りです。
しかし、因果モデルを考えるのであれば、表と裏がセットになったコイン型命題でないと困ります。
さて、反事実をクリアする必要があります。可能性世界は、世界は、起こった事実と起こった可能性はあるが実際には、起こらなかった事実のセットで構成されていると考えます。この表現では、実際に起こらなかったことも世界を構成しています。
例をあげます。サイコロをふった時に、偶数の目の出る確率は2分の1です。ある一つの目が出る確率は6分の1です。
サイコロをふって1の目がでた場合、2から6の目はでませんでした。だからといって、2から6の目がでる可能性がなかったとは言えませんので、可能性世界を考えることが合理的に見えます。
ここには、論理の飛躍があります。「反事実的条件法」は確率現象のモデルを扱っていると考えれば理解しやすい点です。
確率現象はある母集団に対して当てはまる命題です。母集団の集合(Casual Universe)を考えれば、あえて、可能性世界を持ち出す必要はありません。
Casual Universeの分析は、先に送ります。
2)単純な命題とコイン型命題
科学は、因果モデルなので、コイン型命題を目指します。
可能であれば、原因について、with-withoutの条件を設定して、それ以外の条件を揃えて実験を行います。
ところで、帰納法と演繹法を使う誤った科学のモデルが信奉されています。
第1ステップ:観察や実験を使って帰納法で、仮説を作成する。
第2ステップ:演繹法を使って、仮説を検証する。
このモデルには、問題があります。
物理学のように、原因が1つだけで、しかも、時間的に変化しないことを前提としています。しかし、現実は、原因が複数であったり、因果モデルが時間とともに変化することが多いため、帰納法で仮説を作ることはできません。
扱っている仮説が、単純な命題で、コイン型命題ではないので、得られた仮説の原因を取り除いた場合(裏の命題)については、何も言えません。
例えば、少子化の問題をいくら研究しても、出生率をあげる方法はわかりません。
日本の農業就業人口は、2000年が389万人、2019年が168万人で、20年間で43%に減っています。
0.96^20=0.442
ですから年率4%減少です。
10年で66%に減れば、2029年には112万人になります。2049年には、49万にになります。
これは、円安のよる外国人労働者不足を見込んでいません。統計上は、農家レストランのように自家消費になっている場合には、農業就業人口にカウントされていない可能性もあります。
これは、トレンドの帰納法ですが、問題解決の方法とは無縁の世界です。
また、Casual Universeを正確に扱っていないので、命題を正確に実装することができません。
帰納法と演繹法を使う誤った科学のモデルを回避するには、仮説をアブダプションで作成する必要があります。
3)まとめ
英語が、科学的ば言語がは、筆者には、わかりませんが、科学を進める方法についての理解は、英語圏と日本語圏では大きなさがあります。科学的リテラシーの差があります。
WEBの雑誌の記事をみれば、「原因はこれだ」といった思い付きの仮説だけを並べている記事ばかりです。こうした仮説の8割は間違いと思われます。こうした記事が読まれるのは、科学的リテラシーの問題だと思います。
ある政策が、コイン型命題でできていれば、with-withoutの条件を設定した場合の差を検証します。
これが、エビデンスに基づく政策決定で、イギリスとアメリカでは、20年前から実施されています。
日本では、エビデンスに基づく政策決定がなされていませんが、そこには、コイン型命題を使わないという欠陥があります。
前例主義は、帰納法を使っています。ここで得られる仮説は、単純な命題です。
科学的リテラシーがあれば、コイン型の命題と単純な命題は区別がつきます。
有識者会議の科学的リテラシーを判断すれば、政策がコイン型命題で出来ていて、エビデンスに基づく政策決定が可能かわかります。