「歴史主義の貧困」の計算論的研究(2)

問題意識

ポパーは、反証可能性が科学と似非科学を分ける判断基準であると主張しました。この方法には、ポパー自身のアドホックな仮説に始まって、例外が多くあります。つまり、基本的な考え方は、反証可能性でよいが、実際の運用では難しい場面があると理解されています。

次に、ポパーは、「歴史主義の貧困」で、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展してゆく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判します。筆者は、この批判を、簡単に、時系列データは、因果律ではない(原因と結果の変数を含んでいない)ので、時系列データから、将来は予測できないという意味に理解しています。ただし、株価のテクニカル分析に見られるように、人間には、ヒューリスティックになりやすい認知バイアスがありますので、歴史法則主義の支持者は多くなります。また、弁証法は連続データに対するラベリングのミスだと解釈しています。これは、ドラマのシナリオを悪人と善人にわけると分かりやすく面白くなるのと同じ問題です。人間は、人の性格を連続分布として扱うのは苦手です。現在の精神医学は人間の性格をスペクトラムとしてとらえ、病名(ここでは性格)をラベリングして偏った判断をしないように注意を払っています。

以上は次のフレームで議論されています。

  • 反証可能性:物理学

  • 歴史法則主義:社会哲学、社会経済学

ところで、物理学が目覚ましい成果を上げた結果、物理学以外の学問にも物理学の手法が導入され、それに、合わせて、反証可能性も、物理学以外の学問に導入されています。あるいは、ポパーは難しすぎると考えられる学問分野では、より素朴なベーコン流の帰納法が幅を利かせています。ポパーでも、推論のスタートは、観察にありますから、帰納的な手続きがスタートである点はベーコンと共通しています。ポパーは、科学は仮説の集合であって、観測値ではないといっています。しかし、帰納法の使い方を一歩間違えると、「測定しました」とか、「こうでした」という、できちゃった論文が横行します。

ここで、科学の技術の違いが難しいのですが、技術は科学より低くみられています。特に、この傾向は、技術が環境破壊のもとであると思われるようになって強くなっています。帰納法には、デザインの概念はありません。「学問は、科学的であるべき」であり、「帰納法を使った客観性が担保されないものは、論文とは言えない」という判断基準が一人歩きしています。生物学でも、デザインは、科学ではないという風に考えますと、ヴェンターが2010年に成功した合成生命 (en:synthetic life) の作成は、デザインなので、科学ではなくなります。

コロナウィルス対策で、日本は出遅れており、国内では、自力でワクチンを作れませんでした。現在のワクチンづくりは、RNAの遺伝子編集を使ったりして、明らかにデザインに属します。今のワクチンが作れない状況を見ると、日本のデザイン力が、低下していると感じられます。

デザインは、建築、作曲、料理などで使われる技法で、帰納法ではどうにもなりません。タンパク質のホールディングもデザインが有効な分野です。帰納法反証可能性に頼ってデザインを避けると、実生活の問題が解決できません。これが、今回の第1の問題意識です。

ポパーは、1978年に3世界論を提示します。3世界論は、議論の多い所なので、反証可能性ほどは浸透していません。このなかで、「世界1」は「物理的対象または物理的諸状態の世界」とされており、観察可能な世界なので、他の2つの「世界2」(「意識の状態または心的状態,または行動性向世界」)と「世界3」(「思考の,とりわけ科学的思考や詩的思 考と芸術作品の,客観的内容の世界」)よりは、理解されやすいでしょう。この「世界1」には、物理現象だけでなく、生物や人工物も含まれるとされています。ポパーは、物理現象の解明には、反証可能性が使えると考えていたと思いますが、第2の問題意識は、残りの生物や人工物の解明には、どのような科学的手法が有効と考えていたかという点です。

ポパーは、「歴史主義の貧困」で、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展してゆく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判します。デザイン的思考(これは計算論的思考でもあります)で考えれば、絶対王政の政治ルールは、時の権力者がデザインしたものです。その後の政治制度も、その後の権力者がデザインしたものです。人間がデザインしたものを並べて、そこに歴史的法則性がある場合は、権力者が、ダース・シディアスのロボットであったみたいな歴史観を持たない限りはありえません。通常は、そうした陰謀歴史観は取りません。つまり、「歴史主義の貧困」は、デザインの重要性を指摘しているとも読めます。そうしますと、生物や人工物では、反証可能性だけでなく、デザインも考えていた可能性も高いと思われます。これが、第2の問題点の出どころです。

反証可能性や、科学を似非科学と区分することは大事だとは思いますが、それに、こだわって、ワクチン開発ができずに、コロナウィルスで死んでしまったら、何のための科学哲学なのかわからなくなります。普遍的な方法論を否定したファイヤアーベントは、あまりに、アナーキーなので、できたら避けたいのが本音ですが、コロナ対策で考えれば、ファイヤアーベントの方がポパーより良いのかもしれません。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%81%AE3%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%AB%96

  • Three Worlds by Karl Popper - The Tanner Lecture on Human Values - Delivered by Karl Popper at The University of Michigan on April 7, 1978.

http://tannerlectures.utah.edu/_documents/a-to-z/p/popper80.pdf

  • クレイグ・ヴェンター wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

  • ポール・ファイヤアーベント wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88