人新世(Anthropocene)という表現があります。
人新世は、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年に提案した、地質時代における現代を含む区分です。人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いているようです。クルッツェン自身は人新世を隠喩として解釈しているようです。
人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅があるようです。
人新世の概念が根拠とする主な仮説は2つあり、グレート・アクセラレーション(大加速)と、プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)です。
しかし、ここで、明確にしておきたいのは、人新世は、地質年代、つまり、ヒストリアンの用語であるという点です。
人間の記憶容量には、マジックナンバー7があり、7個を越えると、脳が対応できなくなります。人間が言葉で考える場合には、連続分布を想定することは困難になります。データサイエンスでは、最低限、平均と標準偏差をもった正規分布をイメージすることを推奨します。これは、正規分布が当てはまらない現象も多いのですが、平均値といった1つのパラメータで考えることによるエラーを回避しやすくなるからです。
人新世という不連続な分布は、ありませんが、人間の頭は、不連続な分布を想定して、データを丸め込むと、理解できたと感じるので、人新世という言葉が流行します。
温暖化問題で論じられる地球のエネルギー収支であれば、変換点は、石炭の利用と、石油の利用です。石油は、石炭より輸送の利便性が高いので、世の中を大きく変えました。地球規模の物質収支であれば、石炭をつかったハーバーボッシュ法は、窒素循環を大きく変えています。また、石油時代になって、プラスチックなどの石油の加工品が広まって、マイクロプラチックに見られるような、物質循環に異変が起こっています。
これは、石炭、石油の掘削量の関数で評価できる連続的な変化です。恣意的に、どこかで線を引くことはできますが、線引きに各段の意味はありません。
クルッツェン自身が、人新世を隠喩として解釈しているという意味は、こうした点を反映していると思われます。
石油の時代が長く続きましたが、現在は、脱化石燃料を目指しています。これが実現すれば、人新世2.0になるとイメージした方がよいかも知れません。
人新世2.0は、これから、何が起こるべきかというビジョナリストの視点です。
脱化石燃料は、地球規模のエネルギー収支を変えてしまいます。
現時点では、脱化石燃料は実現していません。エネルギー生産の転換は、これからの課題です。
しかし、エネルギーの輸送と保存では、既に大きな変化が起こっています。
大きな変化は、充電池です。スマホ、ドローン、EVは、性能の良い充電池があって、初めて実現できるものです。
人新世は、ヒストリアンで問題を提示する概念ですが、人新世2.0は、ビジョナリストの問題を解決する視点です。
こう考えると、窒素収支をどうするかも、重要な課題です。
おそらく、植物工場は、食肉の組織培養による生産ができれば、窒素を閉鎖系に閉じ込めることができるので、環境は大きく変わるはずです。
中国では、日本の国土の4倍強ある新疆ウイグル自治区の4分の1を太陽光パネルの一大基地にするという計画もあるようです。
人新世2.0が実現するエネルギーシステムの生産・輸送・貯蔵のサイクルのリングは、まだ、繋がっていませんが、リングを構成する部品は姿を現しつつあります。