第4のパラダイム論とヒストリアン~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

(ヒストリアンとビジョナリストの違いは、The Fourth Paradigmで説明できます)



第4のパラダイム論(The Fourth Paradigm)が気になっています。

 

欧米の科学教育では、科学的な方法論を叩き込まれます。

 

これは、学習者が、次の世代の科学を開発できる力をつけることを目的としているためです。前に、例にあげた教科書は、生物学でした。

 

日本の場合、文明開化でも、戦後教育でも、欧米の科学技術を輸入しています。科学や技術は開発するものではなく、輸入するものでした。

 

日本の大学の生物学系の教授には、生物学は暗記だという人もいます。しかし、暗記では、新しい理論を造ることはできません。

 

エビデンスもなしに日本の技術は優れている、あるいは、日本製品は優れていると書くマスコミもあります。

 

しかし、1990年代に、日本の教育で独創性を育てることを目標としたゆとり教育は失敗しています。つまり、1990年頃の日本の教育界では、今までの教育では、次の世代の科学を開発する力が弱いと考えていました。そして、そのためのゆとり教育は失敗しています。例外はありますが、日本は新しい技術を生み出す力が弱く、その結果、技術や価格競争力がなく、貿易収支が黒字にならなくなっていると考えられます。

 

欧米の生物学の教科書を見る限り、ポイントは、ゆとりではなく、科学的な方法論をマスターすることであったと思われます。



既に、述べましたように、2009年にマクロソフトリサーチのTonyHey 、Kristin Michele Tolle、Stewart Tansleyは、「The Fourth Paradigm」というアンソロジーを編集しています。

 

ここで、パラダイムとは、順番に、(1)経験的証拠、(2)科学理論、(3)計算科学、(4)データサイエンスになっています。

 

このリストを見て考えてしまいました。

 

(3)の計算科学は、物理方程式で記載される対象には強力なパラダイムですが、何にでも使える手法ではありません。

 

Heyらの主張をこのように整理すると、ビジョナリストには、2種類あることがわかります。

 

(2)の科学理論レベルのビジョナリストと、(4)のデータサイエンスレベルのビジョナリストです。

 

データサイエンスは、順番からすると第4ですが、物理学以外にとっては、(2)の科学理論以来のパラダイムシフトになります。

 

ガリレオ・ガリレイは、(2)の科学的方法論の確立に寄与しています。

 

ガリレオが地動説を唱え、それを理由にカトリック教会から有罪判決を受けたことは有名です。

 

ガリレオは、古くから、言われている、「歴史の時間のフィルタ―を経て、生き残っている仮説は価値がある、正しい」ということを認めず、実験によるエビデンスのない仮説は疑わしいと主張しています。

 

つまり、「古典は、時代を経て生き残っているので、正しい、価値がある」という主張をする人がいますが、ガリレオは、その主張を否定しています。

 

土木工学のように古くからある学問を経験科学であると主張する人もいます。しかし、Heyらの主張では、 経験的証拠は科学ではなく、ガリレオ以前の古いパラダイムになります。

 

ヒストリアンは、経験的証拠に基づいて意思決定をします。前例主義です。しかし、Heyらの主張では、 経験的証拠は科学ではないので、この意思決定は、非科学的であって、間違っています。

 

データサイエンスのパラダイムによるデジタルシフトは、400年ぶりの大革命です。

 

科学教育が出来ている国では、(2)科学理論から、(4)データサイエンスへパラダイムシフトを心がけています。

 

一方、現在の日本は、ヒストリアンが主流の(1)経験的証拠のパラダイムにあるように思われます。

 

こう考えると、日本では、意思決定がエビデンスに基づかず、同じ失敗が繰り返される現象が説明できます。

 

また、デジタルシフトが、絶望的に難しい訳も説明できます。

 

簡単に言えば、日本は、(2)科学理論以前の世界であるといえます。

 

これは、筆者の主張ではありません。

 

第4のパラダイム論を日本に当てはめて読むと、どのように解釈することが最も現象を説明でき、合理的であるかという翻訳の問題です。