日本は如何にして発展途上国になったか(11)

(8) ビジョンの価値

 

(変化のスタートはビジョンです)

 

1)レジームシフトのイメージ

 

100年前のアルゼンチンは、農業先進国でした。農業従事者は大きな所得をあげました。

 

その結果、工業への産業転換をはかる人がいなくなって、生産性の相対的な低下によって、発展途上国になります。

 

50年前の日本は、農業国でした。

 

日本は、工業優先の政策をとり、農業から工業への労働者の産業間移動を図ります。

 

その結果、高度経済成長を経て、日本は先進国になります。

 

その原因は、政府の産業政策にあるという人もいます。



一方、ホンダ自動車のように、政府の個別企業政策に反対した企業も成長しているので、産業政策には効果がなかったが、実態は、成長を阻害していたという人もいます。

 

どちらが、正しいかわかりませんが、「農業から工業への労働者の産業間移動」というビジョンに、国民が賛同して、転職を図ったことが主要因です。

 

その背景には、転職によって、給与が桁違いに増えるという現実がありました。

 

2023年のアメリカは、デジタル産業国の入り口に入っています。

 

アメリカは、解雇と再雇用を繰り返して、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」を実現しています。

 

その背景には、転職によって、給与が桁違いに増えるという現実があります。

 

2023年の日本は、工業国です。日本には、工業はありますが、デジタル産業はありません。

 

この2つの産業の違いは、労働生産性の違いです。

 

日本にも、ITベンダーのようにデジタル産業もどきの企業はありますが、労働生産性を反映した利益率や給与の面でみれば、デジタル産業とはいえません。

 

デジタル産業の利益率の源泉は、ソフトウェアが継続的に利益をあげ続ける点にあります。

 

連合も、経団連も、政府も、春闘を続けて、年功型雇用を守ると言っています。

 

つまり、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」はさせないと言っています。

 

これは、労働生産性はあげさせないということです。

 

言い換えれば、給与はあげさせないということです。

 

つまり、100年前のアルゼンチンと同じように、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」が不都合な人が反対しています。

 

生産性が低く、賃金が安い仕事に労働者をつなぎとめておくことで、利益をあげる経営者がいれば、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」は、その企業にとってマイナスなので反対します。

 

円安を誘導して、賃金格差がある(同一労働同一賃金ではない:注1)非正規雇用を拡大してきたのは、こうした企業です。

 

多くは、デジタル産業国では、生き残れないゾンビ企業です。

 

転職によって、給与が桁違いに増えるという現実があれば、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」は自発的に発生します。

 

「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」を阻止するには、「転職によって、給与が桁違いに増え」ないようにすればよいことになります。

 

その仕組みが、年功型雇用と下請け制度です。

 

働かないおじさんをクビにすれば、それだけで、給与は5割くらい増えます。

 

働かないおじさんには、クビになったあとで、別の職場で仕事をしてもらえば、日本のGDPは、働かないおじさんが働いた分だけ、確実に増えます。

 

これほど確実にGDPを増やす方法は、他にはないと思います。

 

2)アベノミクスとビジョン

 

産業構造のレジームシフトを考えれば、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」とそれに伴う所得向上(GDPの増加)以上に、重要な課題はありません。

 

その理由は、単純で、その他の手段では、レジームシフト程の劇的な所得向上は期待できないからです。

 

高度経済成長期に、日本が、「農業から工業への労働者の産業間移動」を行わずに、農業国に留まっていたら先進国にはなっていません。

 

少子化・高齢化」、「社会福祉」などの諸問題の解決には、財源が必要です。つまり、GDPが増加しない限りは、打つ手はありません。

 

全てに優先する課題は、デジタル産業国家へのレジームシフトを実現するための「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」です。

 

ところで、経済学者は、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」を問題にしているのでしょうか。

 

2013年のアベノミクスウィキペディアで見ると、次の3つの重点政策があります。

 

第一の矢:大胆な金融政策(量的金融緩和政策、リフレーション新古典派経済学

第二の矢:機動的な財政出動(公共事業、ケインズ経済学)

第三の矢:民間投資を喚起する成長戦略(イノベーション政策、サプライサイド経済学) 

 

「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」に関連するのは、第三の矢です。

これが、トップでないあたりから、疑問が生じます。

 

第三の矢の内容は、以下で、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」は含まれていません。



    「人生100年時代」から創造される成長産業

    一億総活躍

    若者のチャレンジ

    女性活躍社会

    NISA(少額投資非課税制度

 

2014年6月30日、安倍首相はフィナンシャル・タイムズ紙に「私の『第3の矢』は日本経済の悪魔を倒す」と題した論文を寄稿し、経済再生なしに財政健全化はあり得ないと述べ、日本経済の構造改革を断行する考えを表明しています。

 

しかし、第三の矢を見る限り、産業構造のレジームシフトや「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」はまったく考慮されていません。

 

2022年に、BBCは、「政治的なブランディングとしては、アベノミクスは確かに成功した。ただ、安倍氏が掲げた主要な経済目標は達成できなかった」と評価しています。

 

「政治的なブランディング」とはドキュメンタリズムに他なりません。

 

産業構造のレジームシフトは、生態学のモデルです。

 

経済学の枠組では、レジームシフトは、2023年時点では、主流派の理論にはなっていません。

 

過去の理論になくとも、現実に起こっている現象を説明するために必要であれば、新しい理論をつくるのが、自然科学の方法論です。

 

理論は、現実(エビデンス)を説明できるように、改良されなければなりません。

 

アベノミクスには、高名な経済学者が参加しています。

 

経験科学の基準でみれば、日本経済の問題解決を任せるに足りる人材です。

 

エビデンスを基準に評価する自然科学の基準で見れば、最悪のパフォーマンスしか実現できていません。

 

つまり、経済政策は、理論科学ではなく、経験科学に基づいて行われた可能性があります。

 

3)リフレの限界

 

2022年2月2日に、浜田健太郎氏がエコノミストに書いた記事によれば、リフレ政策の要点は以下です。

 

<==

 

中央銀行インフレ目標を持って、絶対に実現するという信念で政策を実行すれば国民が信用する。この先、物価が上がるという認識が広がれば、家計の消費と企業の投資が促されて物価目標が実現する」──。これがリフレ政策を支える理論的な根拠だ。

 

==>

 

要するに、インフレ期待(この先、物価が上がるという認識)が、あれば、消費と投資が拡大するという仮説です。

 

しかし、「消費と投資の拡大」に影響する心理は、インフレ期待だけではありません。

 

所得の変化や年金の変化も影響します。

 

実質所得は、過去10年減っています。

 

年金は、100年安全(注2)と言いながら、インフレで確実に目減りします。

 

最近は、定年前にレイオフが行われる場合も出てきています。

 

つまり、「消費と投資の拡大」を抑制する要因として「実質所得の減少」と「年金の減少」と「レイオフの拡大」があります。

 

これから、「消費と投資の拡大」は、「インフレ期待」、「実質所得の減少」、「年金の減少」、「レイオフの拡大」の4要素の差し引きが影響すると考えられます。

 

ところで、リフレ政策には、理解できない点もあります。

 

「家計の消費と企業の投資が促されて物価目標が実現する」という部分です。

 

今の4要素の考察は、「家計の消費と企業の投資」に関するものでした。

 

ところが、浜田健太郎氏の説明では、最終的なアウトカムズは、「家計の消費と企業の投資」の拡大ではなく、「物価目標が実現」(インフレ)になっています。

 

円安になれば、見かけのインフレは生じます。石油ショックのときのように、資源やエネルギー科学が上昇すれば、インフレになります。

 

インフレは、健全な経済成長の指標にはなりません。

 

このように因果モデルで考えれば、リフレ政策は、仮説検証以前の思考実験のレベルで、科学的に破綻しています。

 

恐らく、リフレ政策の理論が成り立ったアメリカでは、「実質所得の減少」、「年金の減少」、「レイオフの拡大」等は無視できたのだと思います。

 

リフレ政策には、日米の前提の違いを無視した前例主義の発想が見られます。

 

それは、自然科学(科学的文化)ではなく、経験科学(人文的文化)の発想です。

 

リフレ派は、ノーベル経済学賞を受賞したニューヨーク市立大学ポール・クルーグマン教授が、「日本のようにデフレに陥って、金利がゼロになっても中央銀行にはまだ対応できる政策はある」と提唱したことで、勢いを増しています。

 

権威者が言ったことは正しいという発想は、権威者の経験が、エビデンスに基づく検証より優先するという視点(人文的文化)ですので、科学的文化ではありません。

 

リフレ政策は、エビデンスに基づく検証という手順を無視して、10年を過ごしました。

 

AIを使えば、「インフレ期待」、「実質所得の減少」、「年金の減少」、「レイオフの拡大」等を原因とした統計的因果モデルを自動的に作ることができます。

 

AIのモデルは、科学的根拠に基づいていますので、経験科学に基づくリフレ政策のような間違いは犯しません。予測は、必ず、いくらか外れますが、エラー(残差)は、モデルパレメータの改善に使われますので、経済構造が大きく変わらなければ、推定精度は次第に改善されます。

 

現在の経営は科学です。モデルを作成して、パラメータを変更した複数のシナリオを計算して、ベストな結果になるシナリオを選択するプロセスです。

 

太平洋戦争の時に、日本は、精神があれば勝てるとして、竹槍を振りまわして、敗戦になりました。

 

日本には、高度成長期に大企業をつくった経営の神様がいます。

 

こうした過去の経営哲学を学べば、良い経営ができるという主張は、竹槍主義です。

 

これは、人文的文化で、科学的文化に対抗できるという発想です。

 

データサイエンスは、経験を科学に置き換えてしまいました。

 

その代表がAIになります。

 

竹槍主義の人文的文化から、科学的文化に、パラダイムシフトしないと、敗戦は必須です。

 

そのルーツは、科学教育(エンジニア教育)の失敗にあります。

 

4)まとめ

 

ジームシフトモデルが正しければ、賃金の上昇は、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」によって起こります。

 

2023年現在、賃金の上昇を伴う「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」が発生しています。

 

しかし、それは、高度人材の頭脳流出によって実現されています。

 

つまり、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」は、アメリカ経済を成長させて、日本経済を停滞させる方向に働いています。

 

簡単に言えば、あと10年すれば、アメリカは、デジタル産業国に移行して、日本は、工業国に留まっていることになります。

 

ですから、経済発展の最優先課題は、「工業から、デジタル産業への労働者の産業間移動」を日本国内で実現することです。

 

この視点に立てば、春闘や年功型雇用の維持は、産業の自殺行為です。







注1:

 

正規雇用と賃金格差のある非正規雇用を拡大しておいて、同一労働同一賃金を謳うのは、ドキュメンタリズムです。「同一労働同一賃金」というキーワードを口にすれば、差別を温存することに対して、担当者は、責任逃れができるという発想です。ここには、問題解決をする意図はありませし、エビデンスに基づく科学的文化でもありませんので、議論することは無駄です。差別を解消する変化速度の議論がない場合には、ドキュメンタリズムであると判断できます。

 

注2:

これも、ドキュメンタリズムです。表現(百年安心)と内容(実質目減り)は一致していません。

ドキュメンタリズムが起こると、議論と検討は不可能になります。

 

引用文献

 

アベノミクス」は何を残したのか 安倍氏の経済政策 2022/07/09 BBC News

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-62103859






岸田政権が10年ぶりの総裁交代で狙う“インフレ退治” 浜田健太郎 2023/02/02 エコノミスト

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230214/se1/00m/020/053000c