オブジェクト・ヒストリカル:未来について語ること(4)~集団思考の事例研究(14)

オフジェクト・フュージョンでは、検討対象が時間とともに、変化し、それに、追従することが大切ですが、見落とされ、パラダイム・シフトを引き起こす場合があると申し上げました。

自然科学の方法論では、例えば、物理学は、物理現象をオブジェクトに研究する訳ですが、前世紀には、物理学が圧倒的な成功をおさめた結果、その方法論が自然科学の生物学はいうに及ばず、社会科学など広い範囲に適用されます。しかし、今世紀のデータサイエンスでは、オブジェクトと方法論は独立ではありません。オブジェクトに合わせた方法論が最適と考えられています。つまり、オブジェクトの特徴を把握することがスタートになります。そこで、オブジェクトについてもう少し、考察してみます。今回は、歴史です。

最初に典型例をあげます。それは、数学と数学史の違いです。数学史は、数学の歴史であって、数学ではありません。数学史の研究を進めても、数学の問題が解けるようになりません。したがって、数学史は、数学の一分野ですが、あくまで傍系になります。今回の用語でいえば、数学がオブジェクト、数学史が、オブジェクト・ヒストリカルになります。

物理学でも、状況は同じで、物理学史は、物理学の一分野ですが、主流ではなく、傍系になります。

さて、対象を、哲学にとると、状況は、混沌としてきます。

カント哲学や、ヘーゲル哲学は、哲学史になることは確実ですが、現在の問題を解く哲学といえるのでしょうか。科学哲学は、物理学にヒントを得ていますが、多くの場合は、物理学ではなく、物理学史を参考にしているように思われます。哲学から、オブジェクト・ヒストリカルを除いたら、残る部分はどれくらいあるのでしょうか。

しかし、哲学の場合には、関係者は、こうした質問はありうると感じているでしょう。

問題が大きい分野は、自覚症状のない分野です。

ひとつは、法律や制度が関連する分野です。

マスコミは、問題があると、専門家にコメントを求めます。この専門家は、オブジェクト・ヒストリカルの専門家ではないでしょうか。専門家は、過去の制度とその下で起こった歴史には精通しています。しかし、数学史の専門家が、数学の問題を解けないのと同じように、オブジェクト・ヒストリカルの専門家は問題をとくことができません。新しい制度や法律を合理的に提案する方法は2つしかありません。

  1. 制度の異なる海外の事例を参考にする方法です。この場合の文献は、英語はもちろん、各国語で書かれていますから、かなり高い語学の能力がなければ、研究できません。このレベルの研究者はしたがって、非常に少数です。

  2. 国内のテストフィールドで、試験運用する方法です。この方法は、欧米では、良く行われますが、日本では、中央集権的な制度のため非常に困難です。特区が設定されていますが、極めて例外です。その結果、このレベルの研究者も、非常に少数です。テストフィールドのデータを偏りなく、効率的に、収集するには、ランダム化試験をデザインして、できれば、デジタル機器で自動的にデータ収集することが基本ですが、それができる研究チームは少数です。

問題の例をあげましょう。

学校教育に、デジタル教科書を導入したり、パソコンを全員に導入する場合、こうしたデジタル機器を使ってこなかったオブジェクト・ヒストリカルの専門家を呼んできても役にたちません。海外の導入事例を調べるか、実際にテストしてみるしか、導入の可否を判断できる方法はありません。少なくとも、エビデンスが得られるのは、この2つの場合だけです。

ところが、専門家(実はオブジェクト・ヒストリカルの専門家)が、「デジタル教科書はよくない」といった憶測のコメントを出します。これは、占いのレベルです。こうした議論は、何かをしないことを合理化する説明なので、筆者は「免罪符の論理」と呼んでいます。

コロナウイルスPCR検査でも、「PCR検査を増やすと感染が拡がる」という「免罪符の論理」が主張されました。その結果、1年たっても、PCR検査数は増えませんでした。「PCR検査を増やすと感染が拡がる」というのが、「免罪符の論理」であるというのは、PCR検査の能力を増加させることと実際の検査数を増やすことは別だからです。検査数を増やせるポテンシャルを上がておいて、実際の検査数は、状況をみて調整すれば問題はないのですが、議論の目的は、何もしないことを合理化する「免罪符の論理」であるため、検査能力が増えません。

学校教育に、PCやデジタル教科書を導入しない理由も、デジタル教科書を使ったことのないオブジェクト・ヒストリカルの専門家の「免罪符の論理」が効いている可能性があります。なぜなら、オブジェクト・ヒストリカルの専門家には、教育のデジタル化は自分の専門家としての地位を危うくするからです。つまり、利害関係者になっています。

実は、上の2つの方法以外に、デジタル教科書の導入効果を検討できる方法があります。それは、紙の教科書とデジタル教科の認知反応の違いをモデル化して検討する認知科学的な手法です。しかし、この手法が使える教育の専門家は少数です。つまり、数学で言えば、数学の専門家が少なく、数学史の専門家ばかりが幅を利かせているような状況になっています。

 

例題はつきませんが、最後に、経済・経営の分野を考えます。新聞などの記事や専門家のコメントをみた場合に、それが、オブジェクトか、オブジェクト・ヒストリカルかを判定すれば、使える記事か否かが判断できます。残念ながら、筆者には、9割以上は、オブジェクト・ヒストリカルに見えます。「先週、IT企業が、企業買収をした」という記事は現代史で、オブジェクト・ヒストリカルです。オブジェクト・ヒストリカルでは、未来を語ることはできません。どうして、その企業を買収したのか、見通しはどうなっているのかというオブジェクトの論理を検討する必要があります。しかし、そうした記事は例外です。これは、冷静に考えれば異常なことです。

今回のまとめは、オブジェクト・ヒストリカルの専門家が跋扈しているので、オブジェクトの専門家が不在であるという当たり前のことすら気にならないという集団思考が蔓延していると思われるということです。

 前の記事

7月第4週の東京都の感染者数のまとめ~コロナウイルスのデータサイエンス(220) 2021/07/25

次の記事

天安門・香港・北京オリンピックとオプションB 2021/07/27

関連記事

オブジェクト・フュージョン:未来について語ること(3)~集団思考の事例研究(13) 2021/07/24