リベラルアーツが有害である証明(2)

3)リベラルアーツとフィクション

 

リベラルアーツの信奉者は、歴史を生き残った知恵には価値があるといいます。

 

リベラルアーツ知恵には価値がある」という主張は、リベラルアーツは、一見すると役にたたないようにみえるが、実際は、役に立つという主張です。

 

リベラルアーツは、一見すると役にたたないようにみえるが、実際にも、役に立たないのであれば、教科として教える意味がなくなります。

 

広義には、この役に立つには、エンタ―テインメントのストレス発散効果も含まれますが、ストレス発散が、税金をつかった教育のカリキュラムに相応しいとは思われないので、フィクションは除外して、考察を進めます。

 

リベラルアーツは、他の専門分野とことなり、特定のオブジェクト(顕在変数)を対象としていません。これが、「リベラルアーツは、一見すると役に立たない」という意味です。

 

リベラルアーツが対象としている内容は、潜在変数です。

 

直接観測できない潜在変数には、一意性がありません。

 

つまり、リベラルアーツには、フィクションを除外するプロセスを持っていれば、役に立ちますが、フィクションを除外するプロセスを持っていなければ、役に立ちません。

 

リベラルアーツは、エンターテインメントのようなフィクションの教育になっている可能性があります。

 

フィクションの世界には、間違いは存在しません。

 

UFOを見た、雪男を見たという内容がフィクションであると明示されれば、問題になることがありません。

 

エンターテインメントの世界には、魔法や超能力に満ちていますが、そのことは問題にはなりません。

 

しかし、UFOが実在したとなれば、話はフィクションの世界から飛び出します。

 

リベラルアーツがフィクションを除外するプロセスを持っていれば役に立たなくなります。

 

4)フィクションを除外するプロセス

 

魔法の力で空間を移動したり、モノを動かすことができるという主張はフィクションです。

 

アリストテレスの運動論では、ボールは、ボールの後ろの空気がボールを押すことによって前に進みます。

 

これは、科学の仮説ですが、ニュートン力学の出現によって、フィクションであることが判明しています。

 

科学の実体は、仮説ですが、検証プロセスによって、フィクションを除外した仮説である点が重要です。

 

このフィクションを除外する手続きが、実験であり、エビデンスです。

 

最近、エビデンスに基づく法学が出現しています。

 

これに対する反応をみると、法学部の教授や弁護士の中には、エビデンスに基づく法学は、沢山ある法学の手法の一つに過ぎないと評価している人もいます。

 

この発言者には、「フィクションを除外するプロセス」が必要であるという意識がありません。

 

「フィクションを除外するプロセス」がなければ、UFOも、雪男も、実在することになります。

 

リベラルアーツがフィクションを許容する教育であれば、リベラルアーツは、科学に対する脅威になります。

 

5)証拠に基づく実践

 

「フィクションを除外するプロセス」の典型は、証拠に基づく実践(Evidence-based practice)です。英語版のウィキペディアには、次のように書かれています。

証拠に基づく実践(Evidence-based practice)とは、職業上の実践は科学的証拠に基づいているべきであるという考えです。一見明らかに望ましいように見えますが、この提案は物議を醸しており、結果は従来の慣行ほど個人に特化していない可能性があると主張する人もいます。1992 年に科学的根拠に基づいた医療が正式に導入されて以来、科学的根拠に基づいた実践が定着しており、関連する医療専門職、教育、経営、法律、公共政策、建築、その他の分野に広がっています。科学研究の問題点を示す研究(複製危機など)を踏まえて、科学研究自体に証拠に基づいた実践を適用しようとする動きもあります。証拠に基づいた科学の実践に関する研究は、メタサイエンスと呼ばれます。

 

なお、「根拠に基づく医療」(evidence-based medicine: EBM)という用語は、1990年にマックマスター大学のゴードン・ガイアット(英語版)によって導入されています。

 

「根拠に基づく」(evidence-based)は、1990年以降のムーブメントです。 

 

「根拠に基づく」手法が可能になった背景には、コンピュータとデータサイエンスの進歩があります。

 

メタサイエンスがあれば、リベラルアーツは不要になります。

 

リベラルアーツは、メタサイエンスと競合しています。

 

メタサイエンス自体は、サイエンスではありませんが、サイエンス実践の結果を反映していますので、リベラルアーツには、勝ち目はありません。

 

6)根拠の問題

 

「根拠に基づく」という場合の根拠とは測定されたデータになります。

 

データに要求される条件は以下です。

 

(P1)観測系に関するデータの添付が必要です。

 

(P2)コンタミネーションを排除する必要があります。

 

(P3)観測系は、十分な精度があり、サンプリングバイアスを排除できている必要があります。

 

リベラルアーツのデータは、以上の条件に満足していないか、条件を考慮していません。

 

典型はオーラルヒストリーです。

 

人間の過去の記憶を遡って、記述する場合に、記憶は、辻褄があうように自動編集されます。

 

現場に野帳を持ちこんで、観察した結果を即座に記述する場合には、記憶が自動編集されることはありません。

 

しかし、時間が経ってからの記憶内容は、自動編集されたコンタミネーションだらけの内容になります。

 

司馬遷史記や聖書は、イベントから、100年以上経って、記憶を元に記録されていますので、コンタミネーションだらけの内容です。

 

歴史学では、他のデータがないという理由で、史記や聖書を使いますが、自然科学では、コンタミネーションだらけの内容は、分析対象外になります。

 

理化学研究所は、2014年に、様々な臓器や組織の細胞に成長する新たな「万能細胞」を作製することにマウスで成功したと発表しました。しかし、この実験には、コンタミネーションがあって、間違いでした。

 

自然科学では、コンタミネーションだらけの史記や聖書は、分析対象外になります。

 

もちろん、中世のヨーロッパでは、キリスト教ミームが、人々の生活を支配していました。

 

キリスト教ミームの研究は、中世の人の行動の分析に欠かせません。

 

この場合のミームはフィクションです。

 

ミームは、潜在変数なので、観測できる行動記録から逆推定することになります。

 

これは、UFOの写真のケースに似ています。

 

UFOの写真は、観測可能な実在(顕在変数)です。

 

ミームの研究では、UFOの実在を検証するのではなく、UFOの写真が、UFOがあるというミームを形成して、UFOハンターのように、人々の行動を変化させる点を問題にします。

 

有名人のなりすまし詐欺では、有名人は実在しませんが、有名人と話をしているというミームが、人の行動を変化させています。

 

中世では、宗教のミームが世界を支配していました。

 

現在では、宗教にかわって、詐欺師がミームを拡散しています。

 

リベラルアーツがフィクションを許容する教育を行ない、その結果、詐欺師のミームに支配されやすい人間を養成している可能性があります。

 

国会では、議員に質問して、議員が、「記憶にありません」と返答します。

 

しかし、仮に、記憶の残っていても、その記憶は、コンタミネーションだらけで使いものになりません。

 

時間のたった事実に関する記憶を質問することは、時間の無駄です。

 

記憶をもとにした自白は、コンタミネーションだらけで使いものになりません。

 

記憶をもとにした自白がなければ、有罪にできない法律があれば、それは、科学的に不適切な法律です。

 

リベラルアーツコンタミネーションを許容する教育を行なっているのであれば、リベラルアーツは、自然科学とは相いれません。