オブジェクト・フュージョン:未来について語ること(3)~集団思考の事例研究(13)

「未来について語ること」を考えるとき、何かの未来を考えます。例えば、人口はどうなるか、一人当たりの所得はどうなるかといった具合です。

ところが、最近、筆者は、この何かが曲者ではないかと考えています。何かは、固定できないのではないかと思います。この問題を、オブジェクト・フュージョンと呼ぶことにします。今回は、この何かを限定する際の問題を取り上げます。

なお、哲学では、対象を明確化して議論するので、哲学のアプローチとオブジェクト・フュージョンのアプローチは異なります。オブジェクト・フュージョンを使うと、普遍論争は自動的に回避されます。

2021/07/22の共同通信は、「ドイツ自動車大手ダイムラーは22日、2030年までに高級車部門『メルセデス・ベンツ』の新車全てを電気自動車(EV)にする計画だと発表した」と伝えています。ここで、現在は、ガソリン自動車、2030年はEVという個別の自動車の車体のイメージを描くことができます。記事を読んで、そんなイメージを描いた人も多いと思われます。

しかし、個別の自動車のイメージでは、何の未来を考えているのかが不正確になって、わからなくなる問題があります。

自働車は、社会システムの一部です。EVになれば、ガソリンスタンドはなくなるでしょう。燃焼時に、CO2を出すのであれば、石炭より、石油が、石油より、天然ガスが、クリーンであると言われています。しかし、EVを使い、発電所で、CO2をほぼ全量吸収できるのであれば、石炭でも、全く問題はないはずです。太陽光や風力を使う必要もありません。もちろん、太陽光や風力の方が、地球の熱収支にやさしいかもしれませんが、問題になっているのは、熱収支ではなくCO2なのです。

自動運転やカーシェアリングが進めば、自働車と道路は少なくて済むはずです。

現在は、自働車は3年ごとくらいにモデルチェンジしています。一方、ファッションは、売れ残りや、使い捨てが問題になって、リサイクルファッションが注目されています。自動車も部品を共通化して、壊れた部品を入れ替えて、使えるようにすれば、50年くらい使うことができます。特に、カーシェアリングのように自動車を所有する組織が、毎週、チャックとメンテナンスをすれば、長く使うことは容易です。つまり、普通の自動車(庶民の足)は、モデルチェンジの少ないシェア自動車で、富裕層とマニアだけがモデルチェンジの自動車を所有する社会がくる可能性もあります。30年くらい前までは、途上国では自動車はぜいたく品で、輸入価格の200% くらいの関税がかけられていました。同じように、シェア自動車の税を低く、販売自動車の税を高くすることは可能です。こうすれば、環境負荷は劇的に小さくなりますが、自動車は売れなくなり、道路建設も不要になりますので、産業転換を図って、雇用を維持する必要があります。

つまり、言いたいことは、自動車というものは単独であるわけではなく、社会システムの一部であり、EV対応には、社会システムを組み替えをしないと国が持たなくなるということです。

科学哲学では、クーンがパラダイムを提案したとき、パラダイムは、科学の分野で起こっていることを説明する方法でした。しかし、パラダイムの概念は、科学以外の分野でも使えるということで、拡張されたパラダイムの利用が広まりました。拡張されたパラダイムは、クーンの本来の主張を逸脱しているので、パラダイムを本来の意味に使うべきという主張がありますが、実は、拡張されたパラダイムは便利なので、よく使われています。

ガソリン自動車から、EVへの変化は、社会システムの中の自動車の位置づけが変わってしまいますから、何かとしての「自動車」を単体で考えることが困難になります。このような場合には、クーンの意味とは、厳密には一致しませんが、パラダイムシフトという言葉を使うとわかりやすいでしょう。

同じようなパラダイムシフトの例に戦争があります。

ウィリアム・アーキン氏は、アフガンからの米兵の撤退について、現在のアメリカの戦争、特に、対テロリスト戦は次ような仕組みになっていると撤退の理由を述べています。(以下の内容は筆者が要約編集したもの)

「戦争を支える仕組みの大部分が『安全』な国にあり、グローバルな情報ネットワークを通じて大量の情報が収集・処理・共有され、世界中どこでも標的を見つけ出し、攻撃を仕掛けられるシステムが維持されている。この20年で、それ以前には存在しなかった、攻撃用ドローンや自律型の精密攻撃兵器、虫も逃がさぬ監視システム、サイバー戦のシステムなどの軍事技術も数多く登場した。このシステムは主に、民間軍事会社の従業員によって維持され、アフガニスタンでは彼らの数が7対1で正規兵を上回っている。この永続戦争マシンを使えば、正規軍の兵士が撤退しても戦闘は継続できる」

つまり、戦争は、軍人が前線にいって戦うものではなく、民間人が、本国で行う操作に入れ替わったという訳です。戦死者がでると、国内政治では、問題になりますが、戦死者がほとんど出ないので、民間を中心に永続戦争が組めます。

ホーチミン市戦争博物館には、ベトナム戦争で亡くなった戦争カメラマンの名前を刻んだ記念碑があります。そこには、日本人の沢田教一の名前も刻まれています。

しかし、現在は、戦争自体がネットワークで行われているので、現地で集まる情報は、全体のごく一部にすぎません。戦争をしているのは、軍人ではありません。現地で、取材すること自体がナンセンスになりつつあります。仮に、現地で写真を撮影する場合でも、危険を避けて、ドローンで撮影すれば十分と思われます。

今回の集団思考は、オフジェクト・フュージョン、つまり、何かのパラダイムシフトに、組織が対応できていない問題を言います。

たとえば、日本の自衛隊が考えている戦争は、永続戦争マシンというオブジェクト・フュージョンに対応できていないのではないかと不安にもなります。

 

  • アフガンの戦争から米兵が去った後、殺人マシンによる「永久戦争」が残る 2021/04/20 ニューズウィーク ウィリアム・アーキン(ジャーナリスト、元陸軍情報分析官)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/04/post-96111.php

https://news.yahoo.co.jp/articles/a16c4edf0a410cd40b81fadc36d87e6bdd03b22d

 

前の記事

未来について語ること(2)~集団思考の事例研究(12) 2021/07/23

 次の記事

7月第4週の東京都の感染者数のまとめ~コロナウイルスのデータサイエンス(220) 2021/07/25

関連記事

未来について語ること(1)~集団思考の事例研究(11) 2021/07/22