(リベラルアーツが役にたつかを考えます)
1)前提条件
大学や学校で、教科(専門分野)を議論する時には、次の2つの前提があります。
(C1) 教科は(互いに独立していて)独自の価値を持つ
(C2)(教科は互いに独立と等価ですが)教科の内容は、互いに干渉することはない。
バイドゥ株式会社は、「将来役に立たないと思う教科TOP10」を集計していますが、上記の2条件は、前提とされていると思います。
「将来役に立たないと思う教科TOP10」で、公開されている集計は、10位までで、11位以下は公開資料にはのっていません。
意外なことに、トップ10には数学は入っていません。
<< 引用文献
【Simejiランキング】Z世代が選ぶ!!「将来役に立たないと思う教科TOP10」2024/03/13 バイドゥ株式会社
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000809.000006410.html
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上記の2条件は、自明ではないのですが、学校や大学内の平安のために必要な条件なので、暗黙の了解になっています。
プラグマティズムの創始者のパースは、「ブリーフの固定化法」の中で、形而上学(哲学)を否定しています。
なぜか、「ブリーフの固定化法」は、リベラルアーツの中では、パースが否定した形而上学(哲学)として読まれています。
パースは、「ブリーフの固定化法」を執筆する前には、カント哲学に入れ込んでいましたので、直近の否定された哲学はカント哲学です。
「ブリーフの固定化法」を読んで、腹を立てたカント哲学者がいても不思議ではないのですが、何故か、そのような話は聞きません。
2)データサイエンスとAIの出現
データサイエンスとAIが出現する前までは、上記の2条件の矛盾は、あまり表面化することはありませんでした。
しかし、AIは、知的職業に置き替わると予測されています。
つまり、AIの出現とは、「(C2)教科(専門分野)の内容は、互いに干渉することはない」という条件が崩壊したことを意味しています。
これには、リベラルアーツの間違いの訂正が含まれます。
データサイエンスが出現するまで、自然科学は文字情報の世界に入ってきませんでした。
AIが可能になったことは、自然科学が文字情報の世界に入ってきたこと、データサイエンス(自然科学)と人文科学との垣根がなくなったことを意味します。
つまり、同じ文字データは、人文科学でも、データサイエンスでも処理が可能になりました。
評価は、「どちらの処理が効率的か」、「どちらの処理の正解率が高いか」という基準で行なわれます。
リベラルアーツの信奉者は、歴史を生き残った知恵には価値があるといいますが、その主張は間違いです。反例を簡単に見つけることができます。
アリストテレスの運動論は、歴史を生き残った知恵でしたが、ニュートン力学の前に、アウトになりました。
判定基準は、第1には、「どちらの処理の正解率が高いか」になります。
リベラルアーツは、正解率という判定基準に対して、生き残ることは難しそうです。
リベラルアーツは、正解率が高いということを主張できないのです。