科学的方法の進化論(2)

(2)わかるということ

 

(Q:わかるとわからないの判別ができますか)

 

1)生成AIの理解

 

霞ヶ浦総合公園の面積を調べたところ、ネットでは、460ha、46ha、33ha、10.5haの4つの数字が見つかりました。

 

460haは、ゼロの数え間違いと思われますが、残りの3つを絞り込むのは容易ではありません。

 

そこで、Bing先生に聞いたところ、46haでした。引用文献は、46haの数字が乗っているHPでしたので、これでは、当てにできません。

 

これから、Bingは、クロスチェックをかけていないことがわかります。

 

そこで、Bingに、クロスチェックをかけてと聞いたところ、今度は460haになりました。

 

Bingは、上手使わないとクロスチェックはかけられないようです。

 

結局、地理院地図を使って、面積を計測した結果、30haだったので、33haに落ち着きました。

 

引用するだけでは、理解していないことがわかります。

 

2)数学と物理学の試験

 

数学と物理の試験では、公式を書いても点数はもらえません。

 

求まられているのは、公式を暗記する能力ではなく、公式を使いこなす能力だからです。

 

この考え方を徹底すれば、試験問題の最後のページに、参考資料として、公式集をつければ良いはずですが、残念ながら、そこまで、徹底はしていません。

 

つまり、現状は、理解が中心とはいえ、中途半端に、暗記を求めています。

 

数学や物理学の教科書を書くことは容易ではありません。

 

同じ教科の2冊の教科書を持ってきて、比べた場合、文章であれば、一字一句が同じになることはありません。それでは、盗作になってしまいます。

 

しかし、公式(数式)は、全く同じです。

 

一般には、生成AIのような、丸ごとコピーは良くないのですが、公式は、丸ごとコピーせざるをえません。

 

数式の入っていない文章で書かれた教科書であれば、文章を読めは、分かり易い教科書とわかりにくい教科書があることが簡単に理解できます。

 

執筆者がどこまで、内容を理解しているかを判断することは難しいですが、執筆者が、分かり易い教科書を書く能力がどの程度あるかは判断できます。

 

それでは、公式や数式の多い教科書の執筆者の理解度と分かり易く書く能力は、判断できるでしょうあ。

 

これは、複数の教科書を比べ読みしてみるしかありません。

 

公式そのものは、どの教科書でも丸ごとコピーであることには、変わりはありません。

 

違いは、公式の前後の解説、理解を促進するための演習問題の選択などにあります。

 

大学で、教科書を読んで理解できなかった時には、自分はよほど頭が悪いのだろうと思っていました。

 

しかし卒業後に、複数の教科書の読み比べをすると、数学や物理学の教科書の50%は、執筆者が理解していないコピペ教科書で、読んでもわからないのは当然だと考えるようになりました。

 

これは、中学校と高等学校の数学と物理学の教科書にも当てはまます。中学校と高等学校の教科書は、チームで作成していまので、さすがに、一冊丸ごとお薦めできないことはありませんが、20から30%の部分では、改善の余地があると感じています。

 

さて、話を大学の数学と物理学の教科書に戻します。

 

ここで、読んでもわからない教科書と、丁寧に読めばわかるように書かれている教科書の判別は、演習問題を解けるようになるか否かで行っています。

 

つまち、公式に、実際の数値を代入して、問題を解けることを、理解の判断基準にしています。

 

このタイプの典型は、数学と物理学ですが、演習問題を解くように「理解とは、公式に、実際の数値を代入して、問題を解けること」という基準は自然科学に共通しています。

 

その理由は、自然科学はエビデンスによる検証によって、公式が作られているからです。

 

インスタンスをあつめて、共通項をオブジェクトにしたものが公式になります。

 

3)人文科学の理解

 

生成AIが引用文献を部分的にコピーしても、生成AIが中身を理解できているとは思えません。

 

それでは、人文科学で、理解できているとはどのような状態を指すのでしょうか。

 

パースのThe fixation of beliefを解説している本やHPがあります。アクセスしやすいのは、HPで、検索すれば、解説を見ることができます。

 

「信念の固め方」、「信念の固定化」、「信念の確立」などいった訳が多いです。

 

「納得に至る方法」と書いている人もいて、こちらの訳はこなれています。

 

The fixation of beliefを公式とみなします。

 

そうすると、これは、オブジェクト beliefにメソッドfixationを適用する話になります。

 

The fixation of belief公式を使いこなす(理解できている)とは、オブジェクト beliefと、メソッドfixationが理解できていて、実際に公式に適用できることになります。

 

The fixation of beliefで、パースは自然科学の方法の一般化を目指しています。

 

そうすると、beliefは、ケプラーの法則ニュートンの法則も含んでいることになります。

 

beliefは、日本語の信念ではありません。敢えて日本語にするのであれば、ブリーフとカタカナ表記にするしか方法がありません。

 

パースは、科学的方法を出来るだけ広く一般化することを目論んで、The fixation of beliefを書いています。科学的方法とは、 fixationに第4の科学的方法が利用可能であれば、すべて科学的方法になります。科学的方法の適用対象を最大限に大きくとるのであれば、メソッド fixationで、第4の科学的方法が利用可能は全てのオブジェクトを対象にすべきです。

 

したがって、筆者は、beliefは、メソッド fixationが利用可能な全てのオブジェクトを表わしていると思います。

 

こう考える、The fixation of beliefを理解するとは、The fixation of beliefが実装できればよいことになります。

 

4)The fixation of beliefの実装

 

4-1)belief=ソフトウェア

 

ソフトウェア開発をする場合に、事前に完全な仕様書を作り、指示通りに開発をする方法は、第2の権威のよる方法(一方的な作業命令の流れ)に対応しています。

 

オブジェクトの特性を無視して、データとアルゴリズムを完全独立に設計する関数プログラミングは、汎用性は高いですが、オブジェクトとの乖離を招きやすく、デバッグが困難になります。これは、第3の形而上学による(論理的正統性による)方法に対応しています。

 

オブジェクトとメソッドか切り離せないと考えるのは、言葉は、オブジェクトを直接は使えずインスタンスを通じてしか取り扱えない点に対応します。

 

第4の科学的方法は、パースが、The fixation of beliefを書いた時点では、実体が殆どありませんでした。

例えば、マイクロソフトのグレイの第4のパラダイムで言えば、第3のパラダイムの計算科学も、第4のパラダイムのデータサイエンスもありませんでした。

 

パラメータを完全に制御できる実験が不可能な分野で、利用可能な唯一の手法であるRCTと、それに基づく、エビデンスべースアプローチもありませんでした。

 

従って、パースの第4の科学的方法の部分は、虫食い原稿のように考えて、新しい知見を加えて、解釈し直しながらよむべきです。

 

その情報が少ない中で、パースが提示した条件は次になります。

 

(1)言葉の不完全を前提にして、検証を行う。

(2)科学的な真理は常に更新されて、改善するプロセスを含む。

 

「言葉の不完全を前提」にする部分は、関数プログラミングに対するオブジェクト指向に対応しています。

「科学的な真理は常に更新されて、改善するプロセスを含む」は、アジャイル開発につながっています。もちろん、パースの時代には、コンピュータはありませんでしたので、The fixation of beliefがそのまま使える訳ではありません。

 

しかし、The fixation of beliefは、集団でのbeliefを問題にしています。

 

これは、言葉は集団の中でしか意味をもたないと考えるからです。

 

また、集団のなかで、 beliefが収束していくというアイデアは、アジャイル開発に共通しています。アジャイル開発は、PDCAに似ていますが、自己組織的なチームが対話の中で方向性・仮説を見出します。変化を伴いながら、 beliefを収束させるのは、一見すると矛盾していますが、言語の不完全性を前提にすれば、すり合わせの余地がでてきます。

 

アメリカでは、パースは、哲学以外の専門家が研究しています。

 

それは、行き詰ったときに、パースを参考にするとブレークスルーが見つかるからだと思われます。

 

4-2)政策=belief

 

次に実施する政策になに選ぶかでも、The fixation of beliefは使えます。

 

4-3)企業の経営方針=belief

 

企業の経営方針の決定にも、The fixation of beliefは使えます。

 

まだまだありますが、問題は、科学の進歩によって、利用可能なメソッドが劇的に拡大しています。

 

例えば、企業はABテストをする場合も、The fixation of beliefに、従っていると言えます。



5)A:わかるとわからないの判別

 

公式をオブジェクト+メソッドであると考えれば、インスタンスを実装できて初めて、わかっていると言えると考えます。

 

この基準でみると、実装を伴わない人文科学は、アウトになります。

 

実装を伴わない人文科学には、(自然科学でいう)理解が存在しないことになります。

 

The fixation of beliefは、第2の方法で権威を、第3の方法で、実証を伴わない形而上学を批判して、無力であると断じています。

 

つまり、The fixation of beliefは、実証を伴わない人文科学批判になっています。

 

そう考えると、The fixation of beliefは、人文科学としてではなく、自然科学として読まれるべき論文であると考えます。