クーンとスノー

(クーンとスノーの共通点に気付けば、全ては教育から始まることがわかります)

 

1)クーンの視点

クーンの「科学革命の構造」を、瀧本 哲史氏が、説明しています。

 

以下は、筆者による要約です。

 

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みなさん、「パラダイムシフト」(パラダイムチェンジ)とは、それまでの常識が大きく覆って、まったく新しい常識に切り替わることです。

 

最近では、スマホが登場してガラケーに取って代わったことなんかは、典型的なパラダイムシフトでしょう。

パラダイムシフトは世代交代によってしか起こりません。

ふつうに考えれば、天動説を唱える人に対して、地動説の人が「こうこう、こういう理由で天動説は観察データから見るとおかしいから、地動説ですね」って言ったら、天動説の人が「なるほどー、言われてみるとたしかにそうだ。俺が間違ってた。ごめんなさい!」っていうふうに考えを改めて地動説になったとか思うじゃないですか。

でも、クーンが調べてみたら、ぜんぜん違ったんですよ。天動説から地動説に変わった理由というのは、説得でも論破でもなくて、じつは「世代交代」でしかなかったんです。つまり、パラダイムシフトとは世代交代だということなんです。

地動説が出てきたあとも、ずっと世の中は天動説でした。古い世代の学者たちは、どれだけ確かな新事実を突きつけられても、自説を曲げるようなことはけっしてなかったんですね。

新しく学者になった若い人たちは違います。古い常識に染まってないから、天動説と地動説とを冷静に比較して、どうやら地動説のほうが正しそうだってことで、最初は圧倒的な少数派ですが、地動説の人として生きていったんです。

で、それが50年とか続くと、天動説の人は平均年齢が上がっていって、やがて全員死んじゃいますよね。地動説を信じていたのは若くて少数派でしたが、旧世代がみんな死んじゃったことで、人口動態的に、地動説の人が圧倒的な多数派に切り替わるときが訪れちゃったわけですよ。

こうして、世の中は地動説に転換しました。残念なことに、これがパラダイムシフトの正体です。身も蓋もないんです。

新しくて正しい理論は、いかにそれが正しくても、古くて間違った理論を一瞬で駆逐するようなことはなくてですね、50年とか100年とか、すごい長い時間をかけて、結果論としてしかパラダイムはシフトしないんですよ。

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「科学革命の構造」は、自然科学の中のパラダイムシフトを取り扱っています。

 

ここでのポイントは、「新しく学者になった若い人たちは、古い常識に染まってないから、天動説と地動説とを冷静に比較して、地動説の人として生きていったんです」という部分です。

ここでは、新しく学者になった人は、地動説が理解できるという前提で話が進んでいます。

つまり、新しく学者になった人は、自然科学の文法を理解していたことが背景にあります。

 

2)スノーの二つの文化

 

クーンは、2つの文化の違いをパラダイムだと見なしていません。クーンは、自然科学(科学的文化)だけを検討の対象にしています。

 

マイクロソフトのグレイは、4つのパラダイムの中で人文的文化(経験科学)を明確に科学パラダイムであると位置づけました。

 

以下では、グレイの立場を採用します。

 

クーンの世代交代のように、新しく人文的文化の研究者になった人は、古い常識に染まってないから、地動説を採用したように科学的文化のパラダイム(特にデータサイエンス)を支持するでしょうか。

 

これは、非常に難しいと思われます。というのは、人文的文化の学問の文法と自然科学の学問の文法が異なるからです。その文法の違いは、英語と日本語の文法の違いより大きいです。

 

そこで、スノーは、科学的文化と人文的文化の間には、ギャップがあるといいます。

 

ここで、スノーは、人文科学的文化で、自然科学的文化が理解できるとはいいません。

 

それは、地動説と天動説の例で言えば、天動説の枠組み(パラダイム)で、地動説が理解できるという無謀な試みですからありえません。ギャップは埋まらない。世代交代を待つしかないわけです。とはいえ、新しい世代にも、人文科学的文化だけを教えたら、自然科学的文化へのパラダイムシフトは永久におこりません。

 

つまり、従来の人文的文化中心の教育をしていては、科学者、特に、エンジニアが育たないので、英国の国力は、ドイツや米国に引き離されてしまう。スノーは、教育制度の抜本的改革を断行して、エンジニア教育を進める必要があると言いました。

 

「二つの文化と科学革命」は、正常な社会の進歩までをも阻害している伝統的な教育制度の抜本的改革を断行して、全ての学生に、自然科学的文化の教育を提案しています。

 

1959年の「二つの文化と科学革命」の教育制度の抜本的改革は、次のような特徴を含みます。

 

(1)文系と理系の区別は、あってはいけません。これは、米国の大学の入学試験で、英語(国語)と数学が必須科目になっていることに対応します。

日本では、分数の出来ない大学生が問題になっていますが、このレベルの自然科学的文化の習得が出来ていない学生は、入学試験に合格すべきではありません。

 

(2)教育の基本目標は、エンジニア教育です。政府は、最近、大学の理系定員の枠を増やしていますが、義務教育など、教育全体がエンジニア養成を目指して、科学立国を目指している訳ではありません。

日本は、1959年の「二つの文化と科学革命」の趣旨を理解できず、自然科学的文化の理解とエンジニア養成をおろそかにしてきました。

 

 米国では、選抜試験を通って宇宙飛行士になるのは、非常に困難で、宇宙飛行士は、スーパーエリートです。宇宙飛行士は、万能で、何でも簡単にこなせなければ、なれないからです。

 

日本のJAXAでは、宇宙飛行士でも、給与は普通の職員と同じです。

 

こうなった原因は、日本が、「二つの文化と科学革命」を受けた教育制度の抜本的改革を進めてこなかったからです。宇宙飛行士の給与が、科学的文化ではなく、人文的文化で決まっているからです。



政治家の国会答弁を見ていると、発言は、自然科学の文法にしたがっていませんので、同じ間違いが永久に繰り返されます。宇宙船であれば、すべて墜落しているレベルの議論展開です。

 

クーンとスノーに従えば、これを説得して改善することは不可能です。

 

世代交代しか解決策はありません。

 

全ては教育から始まります。

 

なお、日本では、「二つの文化と科学革命」は、科学的文化と人文的文化の間のギャップを指摘して、ギャップを埋める方向(つまり、地動説を天動説の枠組みで理解すること)を進めたと解釈されています。その理解であれば、エンジニア教育や大学入学試験への数学の必修化は不要になります。数学なしでもわかる自然科学の本や、人文的文化で、科学コミュニケーションが可能と考えられています。その結果、エンジニア教育はないがしろにされて、日本では、大学生向けの自然科学のテキストすらない状態になっています。現在の英語のエンジニア教育のテキストは、物理でも数学でも1000ページ以上あるのが普通で、これに、自習書、演習書がついています。

 

別のところで論じましたが、ゆとり教育には、エンジニア教育の視点は全くありませんでした。暗記を排除するのであれば、テキストは暗記する必要がありませんので、詳しい説明のついたテキストを使います。これは、現在の欧米の標準で、デジタルになる前には、カラーの厚い教科書には、コストの制約がありましたが、デジタル教科書になって、その制約はなくなっています。ところが、ゆとり教育では、テキストが薄くなっていきました。これは、暗記を前提としてテキストを作成していたことを意味しています。

 

これらの問題は、「二つの文化と科学革命」は、人文的文化の価値を認めたという我田引水的な理解に、発生源があります。

 

3)パラダイムとレジー

 

クーンはパラダイムは、世代交代によってしか起こらないといいました。

 

パラダイムの概念には、生息域の概念はありません。

 

生態学では、世代交代があっても類似の生態系(生息域)が維持される場合と、世代交代によって生態系を構成する生物(レジーム)が大きく入れ替わる場合を区別します。

 

後者は、レジームシフトと呼ばれます。

 

デジタル社会は、工業社会に比べると、生活基盤(生態系、エコシステム)が入れ替わります。この場合には。パラダイムシフトより、レジームシフトの方が実態をよく表わすと、思われます。





引用文献



瀧本哲史「社会を変えるのはいつの世も若者だ」  2020/08/12  東洋経済 瀧本 哲史 

https://toyokeizai.net/articles/-/352042?page=4



世界有数の宇宙飛行士でも、給与は普通の職員と同じ…野口聡一さんのJAXA退職が示す「日本方式の限界」 2022/06/22 Presient 知野 恵子

https://president.jp/articles/-/58810