君たちはどう生きるか(7)

11)日本を変える方法

 

11ー1)反事実とメンタルモデルの活用

 

反事実とメンタルモデルがあれば、日本を変えることができます。

 

加工貿易は、この方法でした。

 

加工貿易の代わりに、デジタル貿易の理論を展開すれば、日本を変えることは可能であると考えます。

 

日本には、ベンタム流の帰納法のウイルスが蔓延しています。

 

ベンタム流の帰納法のウイルスに感染すると、鳥という事実があるので、グライダーは正しいが、事実のないプロペラ機とジェット機は間違いであるとして、否定されてしまいます。

 

これでは、技術革新は、起きません。

 

グライダーとプロペラ機とジェット機の設計図の価値は変わりません。

 

設計図があれば、飛行機を作ることができます。

 

プロペラ機とジェット機が、存在しない時点では、グライダーが事実で、プロペラ機とジェット機は、反事実になります。

 

反事実を否定すれば、技術進歩は止まります。

 

反事実を否定する前例主義は、技術進歩を否定するので、正気ではありません。

 

ジェット機を開発する当初は、失敗の連続でした。

 

反事実が簡単に実現しないことを、反事実を否定する根拠にしてはいけません。

 

技術進歩を達成するためには、失敗を許容できる社会が必要になります。

 

そのためには、メンタルモデルの共有が必須になります。

 

どのようなメンタルモデルの共有が必要か、そのために、必要なステップは何かという推論が、重要になります。

 

例えば、自動運転自動車は、必ず事故を起こします。

 

前例主義であれば、事故を起こす自動車は運転させるなということになります。

 

しかし、これでは、技術進歩が止まってしまいます。

 

自動運転自動車の事故は、この範囲(エリア、時間、速度)にほぼおさまるというメンタルモデルが出来れば、事故を許容することができます。

 

事故は、確率現象ですから、このメンタルモデルは、統計学の法則に従ったものになります。

 

義務教育で、統計学のメンタルモデルが形成できなければ、自動運転自動車の実用化は、困難になります。

 

しかし、諦める訳にはいかないので、統計学のメンタルモデルの啓蒙を図る必要があります。

 

現在の法律は、確率分布を想定しない閾値による判定をしていますが、この方法では、確率統計現象に対応することが出来ません。

 

例えば、自動車の性能試験の認証問題も、確率分布を想定しない閾値モデルをつかっています。

 

確率分布を想定しない場合には、実際には、一様分布が使われていると思われます。

 

法律家は、疑わしきは罰せずといいますが、これは、あり得ません。有罪と無罪の識別は、確率分布を想定した閾値問題になります。裁判は、不完全情報に基づく判別関数問題です。

 

この問題をカーネマン氏が扱っていますが、データにノイズが含まれる場合には、統計処理が必要になります。

 

科学的に間違っている前例主義とベンタム流の帰納法は、技術進歩を止めてしまいます。

 

11-2)加工貿易の理論

 

加工貿易の理論を振り返ることで、産業構造のレジームシフトに必要な要素を点検してみます。

 

加工貿易の理論が出た時の日本は、農業国で、主な労働者は農業従事者でした。

 

これから産業の中心は、工業になり、農業から工業への産業間労働移動は、必然の流れであるというメンタルモデルの共有がなされました。農家の子弟は、都市で就職して、工場で働くものであるというメンタルモデルの共有がなされました。

 

経営者は、これから工場が大きくなるという反事実のビジョンをもっていました。

 

農家の子弟は、農業を継ぐのではなく、工場で働くという反事実のビジョンをもっていました。

 

社会がこうしたレジームシフトの反事実のビジョン(メンタルモデル)を共有できていれば、社会の変革がスムーズに行なわれます。

 

しかし、レジームシフトのメンタルモデルの共有ができていないと、社会の変革が進みません。

 

今後、AIが進めば、運転手の働き口は少なくなります。

 

今後、AIが進めば、町医者の働き口は少なくなります。

 

今後、AIが進めば、弁護士の働き口は少なくなります。

 

加工貿易の理論によって、農業従事者が工業従事者に転職することは、不可避の流れであるというメンタルモデルの共有に成功しました。

 

現在は、運転手、町医者、弁護士の仕事が、AIに置き換わることは、不可避の流れであるというメンタルモデルの共有に成功していません。

 

将来、離職した運転手、町医者、弁護士が、代わった仕事(反事実)のビジョンを描けていません。

 

加工貿易の理論の時代の技術の変化速度は、ゆっくりしていました。その結果、産業間労働移動は、世代交代の時に行なわれました。

 

しかし、デジタル社会の変化速度は、急速です。世代交代ではなく、ライフサイクルの途中で、転職が必要になります。

 

ベトナムやマレーシアのような発展途上国には、農業者が多くいます。発展途上国では、農業からデジタル産業へのレジームシフトが可能です。

 

運転手、町医者、弁護士といった職業の許認可制度も弱い状態にあります。つまり、デジタル社会へのレジームシフトを考えれば、発展途上国が、メンタルモデルの共有に成功すれば、簡単に日本経済を抜き去ることも可能です。とくに、英語が公用語の国のポテンシャルは高いと思われます。

 

中国の経済成長の速度は、高度経済成長時の日本レベルでして。しかし、デジタル経済化に成功したアイルランドの経済成長の速度は中国を超えています。

 

デジタル経済化に成功する前のアイルランドは、EUの最貧国でした。レジーム・シフトを起こす場合、初期値が貧しいと守るべき既得利権が存在しないため、変革が起きやすくなります。デジタル社会へのレジームシフトは不可避であるというメンタルモデルの共有が容易にできます。

 

日本の場合には、既得利権があって、大きな政治勢力になっていますので、大きな努力をしなければ、デジタル社会へのレジームシフトは不可避であるというメンタルモデルの共有は困難になっています。

 

簡単にいえば、将来、離職した運転手、町医者、弁護士が、代わった仕事(反事実)には、薔薇色ビジョンが必要になります。



11-3)橋の哲学

 

日本では、加工貿易のメンタルモデルの共有が出来なくなり、産業間労働移動がなくなった結果、高度経済成長期はおわり、安定経済成長期に移行します。



リチャード・カッツ(Richard Katz)氏は、「日本経済の未来を賭けた戦い:起業家対大企業(The Contest for Japan's Economic Future: Entrepreneurs vs Corporate Giants)2023/12/27」で、次のような指摘をしています。(前出の一部を筆者要約)

日本経済は、1950年代後半から1970年代前半の高度成長期には、創造的破壊のダイナミズムを持っていました。しかし、1970年代の石油ショック後、日本の指導者たちは社会の安定を優先し、創造的破壊を減速させました。そして、その安定の要は、より広範な社会保障ではなく、労働者の現在の会社での仕事とされました。これにより、どんな犠牲を払ってでもこれらの雇用を守らなければならないという圧力が生まれ、政治家たちは「ゾンビ」企業を最盛期を過ぎても支え、余剰労働者の解雇を防ぐために賃金を補助しました。

 

創造的破壊のダイナミズムの放棄のルーツは、美濃部東京都知事にあります。

 

美濃部氏は、ファノン氏の橋の哲学を実践しました。橋の哲学とは、川にあたらに橋をかける時に、反対者が1人でもいれば、工事をすべきでないという主張です。

 

美濃部氏は、橋の哲学を実践したので、東京都の公共事業は中断しました。

 

橋の哲学は、経済合理性よりも、弱者救済を優先する思想です。この思想は、多数決原理を否定していますので、民主主義ではありません。

 

メンタルモデルの共有が出来ていれば、コミュニケーションが成立して、議論が尽くされ、最終的には、多数決原理で、合意が形成されます。

 

政治学の学者で、日本では、政府、政党、企業の意思決定は、声の大きい人の主張が通るという人もいます。これは、メンタルモデルの共有の概念が理解できていないので、出てくる発言です。

 

自然科学の研究者の社会では、最終的な意思決定が多数決になることはありません。最終的な意思決定は、モデルの検証結果によります。意見がひとつにまとまらない場合には、意見の確率分布が採用されます。

 

FRBの景気予測は、ドットチャートを使っていますが、これは、意見の確率分布に相当します。

 

エビデンスのデータがある場合には、多数決がベストな意見集約ではなくなることもあります。一方、情報が少ない場合には、多数決がベストな意見集約になると思われます。ブリーフの固定化法に多数決原理を採用する場合には、科学的に間違ったブリーフが採用される可能性があり、注意が必要です。

 

さて、橋の哲学は、メンタルモデルの共有を破壊しました。その結果、議論には至りませんので、多数決原理が使えません。

 

橋の哲学は、民主主義を破壊してしまいました。

 

橋の哲学は、田中角栄氏によって、コピーされ、日本列島改造になります。

 

日本列島改造は、経済合理性を無視して、都市部から、地方に公共投資を振り替えました。

 

これには、橋の哲学によって都市部の中断した公共事業によって生じた余剰金を地方に振り替える意図があった可能性もあります。

 

さて、加工貿易の理論のメンタルモデルであれば、政府の投資の中心は、工業地帯であり、都市部です。地方に公共投資が来る可能性はありません。池田首相は、工業投資のために資金を捻出するために、「貧乏人は麦を食え」といっていたのですから、地方にお金が来るはずはありません。そこで、地方では、資金不足の場合には、お互いにお金を出し合って、団体で共同事業をするか、労役奉仕で対応していました。現在の基準では、このような問題解決は考えられないかも知れませんが、この方法は、江戸時代から使われてきた手法なので、当たり前の方法というメンタルモデルでした。

 

日本列島改造は、地方への公共投資を行います。その結果、「創造的破壊のダイナミズム」のメンタルモデルは失われます。都市に移住しなくとも、地方に投資がなされるのです。そのための論理が、「過疎問題」でした。「過疎問題」は政治的に作られた課題であり、世界では、日本にしか存在しない課題です。過疎問題が一度も解決したことがない理由は、解決不可能な問題であり、世界では、問題として扱われていないからです。これは、世界には、日本より人口密度の低い国や、エリアがどのくらいあるかを考えれば分かります。

 

カッツ氏は、「安定の要は、労働者の現在の会社での仕事」の継続(雇用の優先)であったといいます。

 

高度経済成長期は、公務員を除けば、年功型雇用ではありませでした。ホンダは、浜松に200社あった原付自転車のメーカーのひとつでした。200社の原付自転車のメーカーで生き残ったのは数社にすぎません。現在、中国には、EVメーカーが数百社ありますが、高度経済成長期の日本は、現在の中国のような状態でした。

 

「安定の要は、労働者の現在の会社での仕事」を、「安定の要は、労働者の地域での仕事」に置き換えれば、過疎対策になります。

 

過疎対策では、政治献金の数倍のリターンが期待できますので、利権に基づく政治をが完成します。

 

しかし、上手い話には、裏があります。過疎対策や、「ゾンビ」企業を支えるためには、資金が必要になります。これは、国債の発行と社会保障の財源を世代間所得移転で先送りするというねずみ講で実現しています。現在は、そのつけを払うフェーズになっています。

 

日本は、人口が減っています。人口規模の縮小をうわまわる速度で、生産性が向上すれば、ダメージは小さくなります。しかし、政府は、補助金で、「ゾンビ」企業を支えますから、「創造的破壊のダイナミズム」のメンタルモデルはなく、生産性は上がりません。補助金は、中抜き経済ですから、非効率です。課税して、補助金を配布するよりも、減税の方が、効率がよいので、補助金は、経済成長を阻害します。結局、購買力が減少しますので、百貨店、スーパー、レストランなど消費者を対象にした店舗は閉店になり、ビジネスは縮小していきます。閉店の原因の一部は通販の拡大にありますが、レストランなどは通販とは直接競合しないので、可処分所得が減少した結果、外食への支出を減らしていることと、人口減少がおもな原因です。補助金は、重税によって、可処分所得を減らしますので、閉店の速度を加速する効果があります。公共支出を減らして、減税することが、解決策になりますが、雇用の維持と過疎問題のメンタルモデルが、それを阻止しています。

 

民主主義の多数決原理であれば、地方への投資は実現しません。

 

民主主義の多数決原理であれば、特定の企業に、補助金が偏ることはあり得ません。

 

それを実現するために、民主主義を否定するトリックが使われています。

 

その第1は、メンタルモデルの共有を否定して、コミュニケーションと議論を否定することです。半導体の製造のために、特定の企業に、国会での議論も採決もなしに、補助金が投入されることは、民主主義ではあり得ません。利害関係者が、利権を優先できるシステムは、民主主義ではありません。もしも、メンタルモデルの共有ができてれば、コミュニケーションがなりたつので、議論になり、国会の審議になります。それではまずいので、政治家は、メンタルモデルの共有を、妨害しています。ですから、問題は、政策の内容ではなく、メンタルモデルの共有ができないことにあります。

 

その第2は、多数決原理を否定する橋の哲学論理を持ちだすことです。過疎問題を実現するためには、多数決より、弱者救済が優先すると主張します。防衛費や半導体企業への税金の投入を合理化するために、国益を持ち出します。

 

過疎問題には、過疎問題という変数名(オブジェクト)はありますが、インスタンスはありません。インスタンスがないので、問題は永久に解決しません。過疎問題を病名と考えれば、治療薬に相当するインスタンスは存在しないのです。人口密度を考えれば分かりますが、過疎は永久機関を開発するような解決不可能な問題です。橋や道路を作っても、橋や道路が原因で、人口が増える訳ではないので、これは当たりまえです。

 

「創造的破壊のダイナミズム」を使って、生産性を劇的にあげれば、可処分所得が増えるので、人口が増える可能性があります。過疎対策は、この逆の政策ですから、人口が減るはずです。そして、これが、過去30年続いてきました。

 

防衛費や半導体企業への税金の投入を合理化するために、持ちだす国益にも、インスタンスは無いと思います。円安になっても、防衛費の計画を変えなくてもよい、防衛費の財源が未定であることは、インスタンスがないことを示しています。

 

整理します。

 

「創造的破壊のダイナミズム」=>生産性の向上=>可処分所得の増加=>人口増加

 

過疎対策=>生産性の低下=>可処分所得の減少=>人口の減少

 

これは、仮説です。過疎対策を円安に置き換えることも可能です。

 

円安=>生産性の低下=>可処分所得の減少=>人口の減少

 

大切なことは、どの仮説が正しいかではありません。

 

メンタルモデルの共有ができれば、コミュニケーションが成り立つので、こうしたレベルの反事実の推論の議論が出来ます。

 

こうしたレベルの反事実の推論の議論が存在しないことは異常で、民主主義が成り立っていません。

 

誰も、正しい推論ができるとは限りませんが、議論を進めて、衆知を集めれば、良い解決策が見つかる可能性が高くなります。これが、民主主義の基本になります。コミュニケーションが成り立っていなければ、投票にいっても、何もできません。これが現在の状態です。無党派層が多い原因は、政治が、メンタルモデルの共有を破壊してきた点にあります。

 

長くなったので、続きの「デジタル貿易の理論」は次回に述べます。