注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。
(37)哲学の課題
1)哲学の残された課題
パール先生は、「哲学の問題の多くは、科学の進歩とともに消えていった」(p.550)といいます。
ウィトゲンシュタインは、哲学で残るテーマは数学に関するものだけになるだろうと考えていました。
科学者の多くは、科学研究をするためには、哲学は不要であると考えています。
パースは、形而上学の哲学は不要であるとして、追放しています。
それにもかかわらず、パール先生は、哲学の研究をしています。
「因果推論の科学」には、哲学の話題が出てきますし、「因果推論の科学」の三段のはしご(p.50)は、科学で理解することは困難です。
三段のはしごを仮説として、実験で検証する方法を考えることは難しいです。
つまり、パール先生は、「哲学には、科学で扱うことのできない残された課題がある」と考えています。
この残された課題は、一つではありませんが、昔ほど多くの課題を取り扱う必要はないと思います。
日本では、「君たちはどう生きるか」といった形而上学が哲学であると考えている人が多くいますが、筆者は、(哲学史を除く)現代の哲学者で、形而上学を問題にしている人はいないと思います。
パール先生が問題にしている哲学は、形而上学ではありません。
科学は、非常に強力な手法ですが、科学では扱えない問題があります。
科学は、問いや仮説を提示すれば、効果的に検証して、仮説を比較する手法を持っています。
しかし、何を問いにすべきか、何にを結果に設定して、仮説を作るべきかについては、科学では、何も言えません。
パール先生は、科学の進歩には、適切な問い、言語の開発が必要であると考えています。
言語は、記号(オブジェクト)と記号があらわすインスタンス(実現値)から構成されます。
パール先生は、「入門統計的因果推論」で、変数とは問いで、その値は答えであると考えることができるといいます。
変数名と値を区別することは重要です。
言語はコミュニケーションのツールです。新しく、オブジェクトを定義しても、そのオブジェクトが、グループの中でメンタルモデルとして共有されている必要があります。
メンタルモデルが共有できないと理解ができません。
「因果推論の科学」の解説で、松尾豊氏は、「本書は、核となる理論的な説明の合間に、さまざまなエピソードがちりばめられている。(中略)こうした話題自体は、本書をより豊かで読みやすいものにしているが、逆に、先に述べた本書の理論的な骨格が読み取りづらくなっている面はあるかもしれない」と書いています。
筆者も、最初は、松尾氏と同じように、理論の実例のエピソードが書かれていると勘違いしていました。しかし、エピソードを理論の実例であると考えると、松尾氏のいうように「読み取りづらく」なります。
パール先生は、新しい言語を開発しています。新しい言語を理解するためには、メンタルモデルの共有が欠かせません。そのためには、言語のオブジェクトとインスタンスの関係を説明する必要があります。エピソードは、新しい言語の説明であって、エピソードなしに、因果推論の科学を理解することはできません。エピソードは理論の一部であると考えて読むことで、はじめて、「因果推論の科学」が理解できます。
新しい言語の提案は、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを一般化した答えになっています。ウィトゲンシュタインは、言語の理解には、言語ゲ―ムが必要であろうと推測しました。パール先生は、新しい言語を提案し、その言語を読者に理解してもらう必要にかられて、「因果推論の科学」を書いています。
数学公式集の式の形を暗記しても、メンタルモデルができません。公式を理解するには、実際に数字を入れて、イメージをつかむ必要があります。昔は手計算でしたが、現在は、プログラムコードを書いて、数値解を求めれば、メンタルモデルを作ることができます。
2)相関係数の信奉者
適切な問いを選択する場合にも、メンタルモデルをつかうことができます。
ピアソンは、実証主義の哲学を信奉し、全ての理論は、相関係数で書くことができると考えてました。(p.108)ピアソンは、相関係数のメンタルモデルをもっていたことになります。相関係数のメンタルモデルは、反例によって消去されます。疑似相関係数、その一例です。
単純な時系列は、増加または、減少です。
増加または減少傾向にある複数のデータを並べれば、高い相関係数が見られますが、その2つのデータの間には関連がありません。
メンタルモデルで消去できる間違った仮説が、50年以上にわたって、統計学を支配してきました。
パール先生は、触れていませんが、ピアソンの相関係数と同じように、単純なデータの関係でモデルを作ることができると考えた人(スキナー)がいます。
ウィキペディアの英語版の「スキナー」には、チョムスキー氏の批判が出ています。
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チョムスキー氏は数十の動物本能と動物学習の研究を引用して、スキナー氏の決定的な反論をしようとしていた。第1に、動物本能に関する研究は動物の行動が生来のものであることを証明しており、したがってスキナー氏は間違っていると主張した。第2に、学習に関する研究に対するチョムスキー氏の意見は、動物研究から人間の行動に類推を引き出すことはできない、つまり、動物本能に関する研究は動物学習に関する研究を反証するというものだった。
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バーバラ・パークスは、知性は、遺伝と生育環境のどちらが原因で決まるかという問題を検討しています。(p.466)チョムスキー氏は、スキナー氏の遺伝的要素(本能)を無視した研究を批判しています。チョムスキー氏は、「動物研究から人間の行動に類推を引き出すことはできない」と、スキナー氏がトランスポータビリティ(p.534)の問題を無視している点を批判しています。
ウィキペディアの英語版のBehaviorism(行動主義心理学)には、次のように書かれています。
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20 世紀後半、行動主義は認知革命の結果、大きく影を潜めました。この変化は、急進的な行動主義が精神プロセスを検討していないと強く批判されたことによるもので、これが認知療法運動の発展につながりました。20 世紀半ばには、認知心理学を正式な学派として刺激し形作ることになる 3 つの主な影響が生じました。
ノーム・チョムスキーによる 1959 年の行動主義、およびより一般的には経験主義に対する批判は、後に「認知革命」として知られるようになるものを引き起こしました。
コンピューター サイエンスの発展により、人間の思考とコンピューターの計算機能の間に類似点が見出され、心理学的思考のまったく新しい領域が開かれました。アレン・ニューウェルとハーバート・サイモンは、人工知能 (AI) の概念の開発に何年も費やし、その後、AI の影響について認知心理学者と協力しました。実際の結果は、コンピューターの対応する機能 (記憶、保存、検索など) と精神機能のフレームワークの概念化に近いものでした。
この分野が正式に認知されるには、1964 年にジョージ・マンドラーの人間情報処理センターなどの研究機関が設立される必要がありました。マンドラーは、2002 年に「行動科学の歴史ジャーナル」に発表した記事で、認知心理学の起源について説明しています。
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なお、ウィキペディアの日本版では、スキナー氏の業績と行動主義心理は、現在でも、カウンセリングや教育に使われている現役の理論であると書かれています。
これから、日本の社会科学者には、訓詁主義の理解が強いと思われます。
スキナー氏の理論は、本家のアメリカでは、問題が多すぎるという評価で、使うべきでない理論になっていますが、日本では、宗教のように信奉者がいます。もちろん、アメリカは多様性の国なので、現在でも、原型に近いスキナーの理論を研究している人はいると思われます。しかし、トランスポータビリティ(交絡因子の違い)を無視した研究は使えないはずです。
もっとも、日本では、トランスポータビリティが問題になることの方が少ないとも言えます。
学校で、講義をする場合、先生が同じ発言をしても、生徒のレベルによって、理解は異なります。
講義は、教師が発言する(原因)=>生徒が理解する(結果)という因果モデルで成り立っています。
しかし、この因果モデルには、生徒の理解度という交絡条件があります。
時には、教師の理解度という交絡条件もあります。
落ちこぼれは、トランスポータビリティの失敗としてモデル化できます。
おなじ落ちこぼれという現象に対して、2つの問いをたてることができます。
第1は、「落ちこぼれをなくすには、どうしたらよいか」です。
第2は、「講義のトランスポータビリティを確保する条件を満足する方法」です。
同じ問題に対して、問いが異なれば、アプローチはまったく異なります。
トランスポータビリティの確保と選択バイアスの問題の数学は、既に解かれています。(p.538)選択バイアスの問題が解かれたことを、パール先生は、「奇跡」であると評価しています。
落ちこぼれ問題をとく数学理論は、既にあります。
3)博士課程卒業生の就職のミスマッチ
旧態依然の「博士課程卒業生の就職のミスマッチ」の記事がでています。
就職のマッチングは、学生(応募者)と企業の採用者の能力のマッチングです。
バイナリーバイアスを承知で、単純化すれば、次の4つの組み合わせが考えられます。
募集者 採用者
P1 高度 高度
P2 高度 低度
P3 低度 高度
P4 低度 低度
P1は、マッチングしている場合です。
P3とP4は、採用に適さない人材なので、マッチングの比較の対象になりません。
P2には、3つの問題があります。
第1は、採用企業が、人材を活用できるようなジョブを持っていない場合です。
例えば、GAFAMは、高い給与に見合うだけの難易度の高いジョブを準備していますが、日本のITベンダーは、そのようなジョブを準備できません。
冷泉彰彦氏は、「アメリカの五輪放映のコマーシャルでは、圧倒的にAI関係の広告が目につく、法律や会計などの文書作成業務などで人力がAIに置き換わる動きは実際に始まっている」といいます。
<< 引用文献
アメリカで加速するAIの実用化、日本の進むべき道は?2024/07/31 Newsweek 冷泉彰彦
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2024/07/ai-1.php
>>
AIを使って、法律や会計などの文書作成業務などで人力をAIに置き換えれば、生産性が上がりますので、より高い給与を支払えます。経済効果があれば、AIが売れるので、AI技術者に高い給与を払うことができます。
春闘の賃上げの好循環では、速度が遅く、論外です。
第2は、人材を活用できるようなジョブを持っていても、安い賃金で労働者を雇いたい場合です。
第2の場合には、労働市場がない問題ですが、日本での就職に限定しなければ、労働市場は拡大しています。
こう考えると、「博士課程卒業生の就職のミスマッチ」は、問題設定の誤りと思われます。
日本の大学は、習得主義ではなく、履修主義です。これは、官僚の都合で決まっているだけで、卒業証書には、能力を保証しないので、価値はありません。大学の専門分野も、官僚と大学の教員の都合できまっていますので、経済的な価値のない卒業証書が大量に生産されています。
第3に、年功型雇用の人事部には、能力を評価するリテラシーがありません。意味のない面接をするよりも、分数の計算をさせた方がずっと合理的な能力評価ですが、それすらできていません。
結局、間違った問いをすれば、企業の経営は行き詰まります。
生成AIの流行は、2023年の1月ころから始まりました。
その時に、日本の政府や、日本企業が、AIを活用するためには、何をすべきかが分かるような、適切な問いがなされていれば、現在、日本企業や、政府は目標に向かって邁進しているはずです。
こうした何が重要であるか、優先順位をどうつけるべきかという問題には、利害関係がからみます。
そのような場合には、議論が集積するような付帯条件をつけた適切な問いを発することは、問題解決への近道になります。
問いは、メンタルモデルの共有を可能にする手段でもあります。
補足:
原稿を書いてから、パール先生の「入門統計的因果推論」を読んでいたら、次の文章に気付きました。
<
私たちは、データを理解するために、行動や政策を導くために、そして過去の成功や失敗から学ぶために因果について学ぶ。私たちは喫煙が肺がんに、教育が収入に、炭素放出量が気候にどのよう栄光を与えるかを推定する必要がある。
>(p.1)
つまり、教育の収入効果は、もっとも、普遍的な問いである、これを無視することはあり得ないことが分かります。
「教育の収入効果」は、大学のコースの改廃の基準になります。
学生が、大学に入学するときに、コース選択の基本情報になります。
この問いを無視して、マッチング問題があるという問題設定は破綻しています。
教育の収入効果にマッチするように、大学院のコースを改廃していませんので、マッチングしないように政策誘導してきたと言えます。
問いを選ぶことは、重要です。
また、職業訓練パートナーシップ法に関するグリンとカシンの論文の紹介(p.351)が、「因果推論の科学」にのっています。2人は、政治学者ですが、パール先生は、「定量研究を行なう社会科学者なら全員読むべきと思われる優れた論文」と評価しています。
この論文の紹介をみると、日本の政治学のレベルは問題外であることがわかります。問題が生じた時、解決策は、データがなければ、判別できません。したがって、科学的に正しい態度は、解決策を判別できるような調査計画を提示することです。日本でも、グリンとカシンの論文のレベルの調査研究が行なわれていれば、政治の状況はまったく異なっていたことがわかります。