(15)もしも哲学が科学だったら?
(Q:科学としての哲学はありえるでしょうか)
1)科学のダイナミズム
科学は、科学的な成果によって成り立つものではなく、科学的な方法論によって成り立ちます。科学と非科学を区別する境界は、検証を伴う方法論にあります。
科学の法則には、ニュートン力学のように、徹底して検証されている法則もあります。
ニュートン力学の検証でアウトの部分がアインシュタインの相対性理論になるのでかなり徹底して検証されていることがわかります。
チョムスキーの言語理論や、ウィルソンの社会生物学になると、検証は難しいので、仮説に合意しない人もいますが、明らかな反証は見つかっていないので、仮説は生き残っています。
ダーウィンの進化論になると、そのままの形式では検証できない問題を抱えています。
科学の仮説は、反証によって否定されなければ生き残ります。
反証によって否定された仮説の修正問題は、複雑なので、今回はパスします。
1959年のにスノーが、「二つの文化と科学革命」で論じたように、20世紀に、自然科学(科学的文化)は、目に見える成功をおさめましたが、人文科学(人文的文化)には、目覚ましい成功はありませんでした。
人文科学が成功しなかった訳ではありませんが、以前に比べて、爆発的な成功をおさめませんでした。
この2つの文化の間には、方法論の違いがあります。
2つの文化とも、理論(物語)があります。
ポパーの科学哲学では、科学と非科学の線引きは、反証可能性と検証でした。
物理学のような科学の線引きは、表向きは、ポパーの指摘で十分です。
しかし、「反証可能性と検証」が、容易にできるためには、介入可能性が担保されている必要があります。
介入可能性とは、因果モデルの原因に介入して原因を変化させられることを意味します。
介入可能性の典型は実験ができることです。
世界の原因は、神様であるという仮説は、神様に介入できませんので、検証できません。
神様に介入したらばちがあたってしまいます。
人文科学には、介入可能性がある仮説は少ないと思います。
介入可能性があれば、科学は、介入によって、世界を大きく変えます。
コレラが、コレラ菌が原因であることがわかったら、消毒してコレラ菌を排除します。
これは、原因に対する介入になります。
その結果、コレラの感染の拡大を抑えることが可能になります。
自然科学(科学的文化)が、目に見える成功をおさめました理由は、原因に介入して、実世界を大きく変えたからです。
原因に対する介入によって科学には、ダイナニズムが生じます。
しかし、大規模な原因への介入は、環境破壊を引き起こしました。
ニュートン力学には、表向き環境破壊の原因は見当たりません。
しかし、ニュートン力学を応用して、人類は人工的な構造物を多数建設して、結果的に、環境を破壊してしまいました。
今世紀の科学の課題は、介入を制御するルール開発や、そのために必要なパラダイムの設定にあるように思われます。
2)原点主義を超えて
科学は、原典主義ではありません。科学者は、ニュートンに敬意をはらって、ニュートン力学と呼びますが、科学者の99%はプリンキピアを読んでいません。
科学者が、プリンキピアを読まない理由は、はっきりしています。
それは、最新のテキストのようなより正確で、効率のよい文献があるためです。
プリンキピアには数式は出てきません。
科学者は、論文を読みますが、どの論文を読むかは人によって違います。
ある分野の共通的な知識はテキストで構築されます。
その点は、テキストの良し悪しは、学問分野の成長を左右します。
哲学が、科学になった時点で、原典主義はなくなると思われます。
2023年時点で、よいテキストがわからない場合には、英語版のウィキペディアがスタートに使えます。
3)科学のルール
科学のルールが、仮説と検証です。
検証に問題があった仮説は、検証に耐えられる新しい仮説に入れ替えられます。
ヨーロッパの大陸の哲学は、真理が存在するという前提をおいて、真理を探求します。
デカルトは、哲学原理で、自分は絶対的な真理「われ思う,故にわれあり」に到達したと主張しました。
しかし、科学的な仮説(真理)は、常に、よりよい仮説に取り換えられるルールです。
絶対的な真理に到達したと主張するのは、科学のルールに違反しています。
デカルトは、思考の完全性を神様が保証してくれているという前提をとっています。
しかし、科学は、思考の完全性を認めません。
人間は考え違いをして、間違った仮説を作ります。その仮説が考え違いであるか否かの判定は、検証という手段によるしかありません。少なくとも、これが、科学のルールです。
つまり、哲学が科学になるためには、哲学は真理を追求できる(思考によって真理に到達できる)という前提を捨てる必要があります。
思考によって真理に到達できるという前提を捨てれば、哲学は、科学になることができます。
思考によって真理に到達できるという前提を捨てた哲学は、もはや哲学とは言えないかもしれません。
しかし、哲学が、科学になるために、これは、越えなければならい一線です。
しかし、これは、哲学の自己否定ではないでしょうか。
4)The fixation of belief再考
The fixation of beliefをもう一度見直してみます。
パースは、信念を固定する 4 つの方法を特定しました。
(A1)固執( Tenacity)
(A2)権威( Authority)
(A3)理由への同意( Agreeableness to Reason) (アプリオリa Priori)
(A4)科学(Science)
パースは、(A1)、(A2)、(A3)を否定しています。
(A2)と(A3)の解釈は困難です。少なくとも、分離しがたい事項が多数あります。
しかし、それもでも、パースがあえて(A3)を入れたかった理由は想像できます。
それは、キーワード(アプリオリa Priori)にあります。
(A3)で、パースは、アプリオリな形而上学(おそらく、既存の哲学)を否定しています。
そして、ベストな方法は、科学であると主張します。
それは、「信念を固定する 4 つの方法の中で、科学がベストである」というThe fixation of beliefの主張の正しさは、どこで、保証されるのでしょうか。
パースは、The fixation of beliefの主張が正しいという保証を放棄しています。
The fixation of beliefの主張は、科学的な仮説であって、その正しさは、科学的な検証によってしか、確認できません。
5)プラグマティズム
ウィキペディアのプラグマティズム(英語版)から、関連する箇所を引用します。
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当初から、プラグマティストは哲学を改革し、彼らが理解している科学的方法とより一致させたいと考えていました。彼らは、理想主義者と現実主義者の哲学には、人間の知識を科学が理解できるものを超えたものとして提示する傾向があると主張しました。 彼らは、これらの哲学が、カントに触発された現象学、または知識と真実の対応理論のいずれかに頼ったと主張しました。プラグマティストは、前者は優先主義であると批判し、後者は対応を分析不可能な事実として捉えていると批判した。 代わりに、プラグマティズムは、知っている人と既知の間の関係を説明しようとします。
1868 年、C.S. パースは、推論によって条件づけられていない認識という意味での直観の力はなく、直観的であるかどうかにかかわらず、内省の力はなく、内部世界の認識は外部の事実からの仮説的な推論によるものであると主張しました。 内省と直観は、少なくともデカルト以来、哲学の主要なツールでした。彼は、認知過程において絶対的な最初の認知は存在しないと主張した。このようなプロセスには始まりがありますが、常により細かい認知段階に分析できます。私たちが内省と呼んでいるものは、心についての知識への特権的なアクセスを与えるものではありません。自己は、外界との相互作用から派生した概念であり、その逆ではありません。同時に彼は、プラグマティズムと認識論一般は、特別な科学として理解されている心理学の原則から導き出すことはできないと主張しました。彼の「科学の論理の例証」シリーズで、パースはプラグマティズムと統計の原則の両方を一般的な科学的方法の側面として定式化しました。これは、より徹底的な自然主義と心理学を提唱する他のほとんどのプラグマティストとの重要な意見の相違点です。
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最後の次の部分は重要です。
「彼の『科学の論理の例証』シリーズで、パースはプラグマティズムと統計の原則の両方を一般的な科学的方法の側面として定式化しました。これは、より徹底的な自然主義と心理学を提唱する他のほとんどのプラグマティストとの重要な意見の相違点です」
プラグマティストの中で、C.S. パースだけが、一般的な科学的方法にこだわったのです。
とはいえ、プラグマティズムは、絶対的な真理を認めず、科学と同じように、哲学の仮説も、検証によって更新されるべき、多様性を持ったものであると考えますので、異なった意見(仮説)は、検証以外の手順で排除されることはありませんでした。
ウィキペディアのプラグマティズム(英語版)から、プラグマティズムの定義も見ておきます。
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プラグマティズムは、言葉や思考を予測、問題解決、行動のためのツールや道具と見なし、思考の機能が現実を記述、表現、または反映することであるという考えを拒否する哲学的伝統(a philosophical tradition)です。
プラグマティストは、「知識の性質(the nature of knowledge)、言語、概念、意味、信念、科学」のような哲学的トピックはすべて、それらの実際の使用と成功(practical uses and success)の観点から見るのが最善であると主張しています。
プラグマティズムは 1870 年代にアメリカで始まりました。その起源は、多くの場合、哲学者のチャールズ サンダース パース、ウィリアム ジェームズ、ジョン デューイに帰せられます。
1878年、パースはそれを彼の実用的なプラグマティズムの格率(The pragmatic maxim, also known as the maxim of pragmatism )次のように説明しました。
あなたの概念の対象の実際的な効果を考えてみてください。そして、それらの効果のあなたの概念は、対象のあなたの概念の全体です.
Consider the practical effects of the objects of your conception. Then, your conception of those effects is the whole of your conception of the object.
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ウィキペディアは、プラグマティズムを哲学とは言わずに、哲学的伝統(a philosophical tradition)と言っています。
つまり、科学である可能性を残した記述になっています。
ウィキペディアの関連する箇所をもう一つ引用します。
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現在、学術哲学の領域外の研究者によって、パースのアイデアにかなりの関心が寄せられています。関心は、業界、ビジネス、テクノロジー、諜報機関、および軍から来ています。その結果、かなりの数の機関、機関、企業、研究所が存在し、そこではパースの概念の継続的な研究と開発が精力的に行われています。
— Robert Burch、2001 年
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パースは、統計の原則も組み込んで、過激に自然科学を目指しました。
しかし、統計学が、任意の確率分布を扱えるようになったのは、今世紀に入ってからです。
パースのアイデアはそのままでは、実現不可能でした。
パースの意図を組みながら、妥協点を探した試みが、ウィリアム・ジェームズ、ジョン ・デューイだったと見ることもできます。
哲学が、自然科学になると、哲学は、一般の自然科学と同じように、中身には触れずに、合理的な検討のツールを決める黒子に徹することになります。
そこで、パースは、プラグマティズムの格率(The pragmatic maxim, also known as the maxim of pragmatism )という形式をとることになります。
これは、伝統的な哲学の終わりを意味します。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、1918年に「論理哲学論考」を出版して、これで、哲学ができることは終わったと思いました。
ウィトゲンシュタインは、ウィリアム・ジェームズを参考にして、「論理哲学論考」を書いていますが、第2次世界大戦以前には、パースは忘れられた哲学者だったので、ジェームズの背後には、パースがちらついていたように思われます。
6)A:科学としての哲学はありえるか
検討のスタートは、1959年のスノーの「二つの文化と科学革命」です。
スノーは、人文的文化と科学的文化は理解できないギャップがあると主張したのですが、日本では、「スノーは、人文的文化と科学的文化のギャップをうめることの重要性を指摘した」と解釈されています。
つまり、文系の知識で、理系の内容は理解できるという通説がまかり通っています。
もしも、この通説が生きていれば、パースが正しく理解されることはありえません。
パースがどのように、日本で受容されているかは、ここまで読んでいただけば、想像がつくと思います。
例を1つだけあげておきます。
「パースはおもに科学的探究にプラグマティズムを利用しようとした」
この説明は、パースの趣旨とは全く逆であることがわかります。
同じようなエラーは多数見つかります。
結論を言えば、パースが目指した「科学としての哲学はありえ」ます。
ただし、実装には、第4のパラダイムのデータサイエンスの出現を待つ必要がありました。