21世紀は、データサイエンスの科学革命の時代です。
20世紀の科学革命の中心は、物理学でした。20世紀の後半には、物理学の手法を他の科学に導入する試みがなされます。
生物物理学は、遺伝子の解析を生物学の中心に据えることに成功します。
とはいえ、その成功は、コンピュータサイエンスに、支えられています。
物理学を他の科学、特に、社会科学に導入する方法は、経済学では一定の成功をおさめますが、それは、人間の行動が経済合理性に従うという現実とは離れた仮定のもとで成立しています。
それ以外の社会科学では、物理学の手法を導入する試みは、成功しませんでした。
21世紀に入って、コンピュータサイエンスの進歩によって、統計学が、大転換します。データサイエンスの登場です。
さて、科学は、仮説と検証の手順を踏みます。検証は、エビデンスともいわれ、観測したデータが、仮説を支持することが条件です。
仮説は、エビデンスで、支持されるか、否定されるかが明確な形で提示される必要があります。
ここまでは、一般に、広く知られている考え方です。
仮説は、「もし条件Aが成立すれば、事象Bが起こる」(if A then B)の形で書かれると、考えられてきました。
ところが、コンピュータサイエンスでは、仮説はアルゴリズムで、実装されたものです。
アルゴリズムは、仮説に比べれば、知名度が高いとはいえません。
しかし、コンピュータサイエンスでは、アルゴリズムが問題になることが多く、仮説が問題になることは少ないです。
例えば、画像認識のアルゴリズムを実装します。このアルゴリズムは、画像識別の性能で、検証が可能です。
更に、画像識別の性能は、機械学習することで、性能があがります。
つまり、次の図式が成立します。
仮説<=>アルゴリズム+学習
一方では、アルゴリズムがパターンマッチングであれば、これは、因果モデルではありません。アルゴリズムは有益で、検証可能ですが、科学とはいえないかもしれません。
アルゴリズムは人間の認識の過程をモデル化しているとも考えられます。
つまり、人間の認識過程が、アルゴリズム化でき、学習できるのであれば、因果モデルにこだわる必要はないという視点も成り立ちます。
この問題は、AIでは重要です。
自動運転で、画像認識は、対象物が何かを理解していないといわれます。一方、人間は、理解しているという主張があります。つまり、自動運転は、因果の予測を伴っていないという訳です。これは、一般的になされる議論ですが、計算論的思考では、チューリングマシンを考えますので、人間は、理解しているという主張は限定的だと考えます。AIが人間に追いつくという表現は、計算論的思考にはありません。人間の認識をチューリングマシンでレベル分けして、どのレベルまで、アルゴリズムで代替可能かを考えるだけです。
このように、計算論的思考は、今までの科学の仮説というパラダイムを破壊しています。
上の図式は、社会科学など、他の科学にも適応可能です。機械学習の経済学、機械学習の政治学などが、今後出て来る可能性があります。既に、株式運用などでは、機械学習は使われています。経済学の専門家よりも、アルゴリズムと機械学習の方が役に立っている可能性があります。
これは、驚くべきことですが、いまのところ、専門家が失業していないためか、そのことが話題になることは少ないです。