ソリューション・デザイン(7)

(7)人文科学のルネサンス

 

(人文科学がルネサンスになっている理由を説明します)

 

1)人文科学の評価

 

2022年2月13日の現代ビジネスで、野口悠紀雄氏は、農業のGDP比率が低いので、農学部の定員が多すぎると指摘しています。その記事の中で、次のように述べています。(順番を一部入れ替えてあります)

 

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大学の重要な役目の一つは、産業活動に直接の関連を持たない学問の研究と教育だ。目先の実用性だけに振り回されては、長期的な成長は望めない。大学には、社会の変化からは隔絶された存在があってもよい。文学、哲学、歴史学などがそれに当たる。

 

私は、大学が社会の要求に受動的に応えるべきだと言っているのではない。

 

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野口悠紀雄氏は「目先の実用性だけに振り回されては、長期的な成長は望めない」とも「文学、哲学、歴史学などの社会の変化からは隔絶された産業活動に直接の関連を持たない学問の研究と教育が大学の重要な役目」ともいっています。

 

野口悠紀雄氏は、大学での勤務経験が長いので、同じような意見を持っている大学教員も多いと思われます。

 

この意見は、スノーの「二つの文化と科学革命」とは相容れませんが、日本国内で流布している「二つの文化と科学革命」の解釈に一致しています。

 

一方、野口悠紀雄氏も指摘しているように、人文系博士課程取得者は、41%しか正規雇用についていません。

 

筆者は、基本的には、スノーの意見に賛成です。

 

スノーは、「産業活動に直接の関連を持たない学問の研究」を否定している訳ではありません。スノーが問題にしている点はあくまで教育です。

 

経済価値の高いコンピュータサイエンスなど「産業活動に直接に関連する学問」のスキルが活用できる就職口が拡大すれば、経済価値の低い「産業活動に直接の関連を持たない学問」のスキルの就職口は減少します。

 

「産業活動に直接の関連を持たない教育」をすれば、博士課程取得者の雇用が正規雇用は41%でしかなくなるのは当然と思われます。

 

野口悠紀雄氏は、農学は、「産業活動に直接に関連する学問」であるが、その産業活動である農業がなくなっているので、農学部の定員は過剰であるいってます。

 

つまり、大学の学生定員は、産業活動に関連して変動していないので、経済発展を阻害しているといっています。この主張「大学の学生定員は、産業活動に関連して変動させるべき」は、スノーとほぼ同じ主張です。

 

「大学の学生定員を、産業活動に関連して変動させ」た場合、人文系博士課程取得者の正規雇用率は41%より更に低下する可能性があります。

 

日本では、企業が、人文系の博士課程取得者を雇うメリットはありません。

 

しかし、海外では、人文系の博士課程取得者が、企業に就職しています。

 

次にその理由を考えてみます。

 

2)オーバードクターの問題点の整理

 

2-1)問題点1

 

ジョージ・ソロス氏は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学の博士号を得た哲学者です。科学哲学のポパーの弟子です。ヘッジファンドがまだその呼称さえ確立していなかった黎明期の1969年にソロス氏は、ジム・ロジャーズ氏とはクォンタム・ファンドを立ち上げています。

 

ジム・ロジャーズ氏は、 イェール大学で歴史学を、オックスフォード大学で哲学を学んだあと、見習いアナリストとしてウォール街で働き始めます。その後、投資銀行を経て、クォンタム・ファンドを立ち上げています。

 

デービッド・アトキンソン氏は、オックスフォード大学で日本学を学んだあと、アンダーセン・コンサルティングアクセンチュアの前身)やソロモン・ブラザーズに勤務します。1990年頃に渡日して、1992年にゴールドマン・サックスに移ってアナリストとして活動しています。

 

なお、日本人でも類似の経歴の持ち主が少数ですがいます。

 

山口周氏は、慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程を修了した後、電通、ブーズ・アレン・ハミルトン、ボストン・コンサルティング・グループA.T.カーニーに勤務しています。

 

ソロス氏のように哲学を習得した学生が、ヘッジファンドで働きたいと思うでしょうか。

 

人文系の博士課程取得者は、就職にあたって、博士論文の延長のような仕事をしたいといっていないでしょか。

 

例えば、次のような表現がネットで見られます。

 

オーバードクターが問題になっていたころは、大学院生への支援もなく、大学院に入ってから大学に就職できるまでの10年ほどを、この時代はアルバイトで食いつなぐしかなかった」

 

この表現には、博士課程取得者の就職口は、同じ専門の大学しかないという暗黙の前提があります。

 

いいかえれば、年功型雇用で、専門分野別のポストの増減がほとんどないことが前提にあります。

 

農学部の定員は多すぎるかも知れませんが、人文科学でも、学問の主流が動けば、学部の中での定員の増減は必要です。それどころか、同じ問題は工学部にもあります。工学部の教員の定員枠は機械系が主流です。コンピュータ・サイエンスを習得しても、大学の教員になれる確率は低いです。機械系の博士課程習得者の方が、就職は容易です。

 

(問題点1)ジョブ型雇用に伴うポストと給与の柔軟性がないことが、オーバードクターの原因です。ジョブ型雇用の欠如が、デジタル社会へのレジームシフトを阻害して、1人あたりGDP(所得)を下げている原因です。

 

風が吹けば桶屋方式で説明すれば、企業がジョブ型雇用で、コンピュータサイエンスのスキルの有る人の採用人数をふやし、給与をあげ、機械系のエンジニアをレイオフすれば、リスキリングの需要が発生します。

 

受験生の数に応じて、大学の教員も同じように、コンピュータサイエンスの教員の採用人数をふやし、給与をあげ、機械系の教員をレイオフすれば、大学はデジタル社会に対応したレジームシフトが可能になります。

 

重要なことは、この人口移動のプロセスを通じで、企業の労働者と大学の教員の平均給与が上がることです。

 

これが、欧米で起こっている現象です。

 

ジョブ型雇用では、クビになっても、リスキリングで、次のチャンスがあります。

 

再就職で、給与をあげることは可能です。

 

2-2)問題点2

 

ソロス氏は、彼の政治信条はまさにポパーの合理主義を通して培われてきたものであると言っています。

 

つまり、ソロス氏にとって、ヘッジファンドを起こして働くことは、ポパーの世界観の実現につながっています。

 

およそ50年前の1976年に、OECD調査団が日本にきて、日本の社会科学について、次のような批判をしています。

(1)現実から遊離して抽象的である

(2)外国から学んだ一般原理を伝えるだけで、独自の研究が皆無に近く、その水準も全体として遅れている

(3)研究の成果が国の政策に反映されず、政府自身も(経済学以外の領域では)真剣にこれを求めていない

簡単に言えば、日本の社会科学は、オリジナリティのレベルが低い上に、実社会の役にたっていないという指摘です。

OECD調査団は、社会科学を対象にしています。また、50年前の話です。

 

現在の社会科学や、OECD調査団の対象外であった人文科学の現状を判断する直接的な資料はありません。

 

間接的な資料として、筆者は、ウィキペディアを使っています。

 

英語版と日本語版のウィキペディアを比較します。

 

調査のチェックポイントは次の3点です。

 

(1)同じ見出しの同じ項目の内容比較

同じ見出しの同じ項目の内容を比較します。例えば、スノーの「二つの文化と科学革命」は、「チャールズ・パーシー・スノー(日本語版)」と「C. P. Snow(英語版)」の中に項目にあるので、比較できます。

 

不一致があれば、どちらが間違っています。

 

(2)同じ見出しの同じ項目の年代比較

同じ項目に書かれている(引用されている)文献の年代を比較します。

 

(2ー1)新しい年代の文献の欠如

過去20年間以上にわたって新しい文献が引用されていない場合には、その分野の学問は、既に死んでいて歴史になっていると思われます。

(2-2)基本的な文献の欠如

内容を論ずる場合に、検討のスタートになる文献があります。これが、落ちていると同じ見出しの同じ項目であっても、日英間で項目の内容の信頼性が異なります。

(3)見出しの有無

見出しは、その国の社会が何を問題にしているかを反映しています。

 

見出しがないことは、「関心のある人がいない」、「その分野の研究者がいない」ことを意味します。

 

もちろん、この方法は、研究者が、ウィキペディアを真面目に更新していることを前提としています。英語圏の研究者数と日本語圏の研究者数は圧倒的に異なるので、そのギャップは認める必要があります。とはいえ、10年くらいのタイムラグを認めれば、人文科学が客観的科学であれば、チェックポイントの内容は収束して一致するはずです。

なお、以上の方法は、日本の人文科学の研究者は、日本語で考え、日本語で成果を発表するという前提にたっています。引用文献の主体は英語になるので、これは、非効率なので、英語で考え、英語で成果を発表する方が合理的です。しかし、哲学のように思考に深く結びついた学問の場合、母国語以外で、成果をあげた例はないので、「英語で考え、英語で成果を発表」できる分野が限定的になるのはやむを得ないと考えます。

この方法で調査すると、国際水準の研究が行われている分野もある一方で、OECD調査団が指摘したように、国際水準に全く達していない分野も多くあります。

 

(問題点2)研究のレベルが低すぎて使えない。

 

1976年は、日本が、先進国になりつあったころです。

開発途上国では、国際水準の研究が出来ている例は少ないです。

開発途上国では、国際水準の研究が出来ない、いい訳が通用するかも知れません。

しかし、先進国で、国際水準の研究が出来ていないことは問題です。

日本の大学の世界大学ランキングの位置は低く、そのランクも下がり続けています。

こうした場合、先端研究に目がいきますが、先端以外の人文科学、社会科学なども例外ではないと思われます。

アメリカの博士課程では、研究計画書を提出してから、研究着手に許可が出る方式もとられています。

日本では、名誉博士に近いドクターも濫造されていますので、オーバードクターが出るのは当然と思われます。

 

2-3)問題点3

 

(問題点3)研究が継承されていない

 

問題点3は問題点2と似ています。

 

例をあげて説明します。

 

哲学者のデイヴィッド・ヒュームは、人間本性論で「心は知覚、またはそれに存在する精神的対象から成り、私が印象と観念と呼ぶ 2 つの異なる種類に分解される」といいます。

 

Don Garrett (2002) はコピー原理という用語で、「すべてのアイデアは、情熱であろうとセンセーションであろうと、元の印象から最終的にコピーされる」というヒュームの説を発展させています。

 

コピー原理はオブジェクト指向の継承に対応します。コピー原理は、継承がオブジェクトより先にあると言っているように見えます。

 

デイヴィッド・ヒュームの哲学の継承者は、現在は、コンピュータ・サイエンスで、オブジェクト指向のような概念とプログラム言語モデルの研究を行っています。

 

これは、脳科学認知科学で検証可能です。

 

ヒュームは、因果律は習慣であるとして懐疑論で知られています。

 

ジューディア・パールは、人間本性論の因果律について、その部分を読むとゾクゾクするといっています。

 

因果律の真理がおさめられた扉があったとすれば、ヒュームはその扉の前まで到達したのに、入り口を見つけられずに引き返してしまったといったイメージです。

 

ジューディア・パールは、コンピュータ・サイエンスの巨人で、統計的因果律の研究で知られていますので、ヒュームの正統な継承者です。

 

エコノミストポール・クルーグマン は、ヒュームののエッセイ「貿易収支について」を参照して、「デビッド・ヒュームは、私が最初の真の経済モデルと考えるものを作成した」と述べています。つまり、クルーグマン も、ヒュームの正統な継承者の一人です。

 

アルバート アインシュタインは、1915 年に、特殊相対性理論を定式化する際にヒュームの実証主義に触発されたと書いています。

 

現代哲学に対するヒュームの多大な影響により、現代哲学と認知科学における多数のアプローチは、今日「Humean」と呼ばれています。

 

研究の継承とはこうしたものです。

 

科学技術基本法の改定で付け加えられた「人文科学のみに係る科学技術」とは、OECD調査団の報告書にあるように、「外国から学んだ一般原理を伝えるだけで、独自の研究が皆無に近い」研究のことを指していると思われます。

 

2-4)カリキュラムの問題

 

実は、科学技術を広義にとれば、「人文科学のみに係る科学技術」が1つだけあります。

 

科学技術は、エビデンスによる検証を伴います。

 

エビデンスを伴わない検証をしている学問があります。

 

これは、エビデンスを伴わないので、科学技術ではないと考えるのが、狭義の科学技術です。

 

エビデンスを伴わなくとも、検証ができれば、科学技術であると考えるのは、広義の科学技術です。

人文科学で、検証ができる唯一の学問は数学です。

 

現代の数学には、エビデンスによる検証を進めながら使う自然科学の数学と、論理的に完結した検証を追求する人文科学の数学があります。

前者の展開が、計算科学で多用される近似解を求める数学です。

 

数学は典型的な人文科学ですから、人文的文化が数学を排除するのはナンセンスです。

 

(問題4 数学に典型的に見られるカリキュラムの欠陥)

 

ジョージ・ソロス氏は、哲学の博士号を得た哲学者ですが、ヘッジファンドを起こしていますので、数学、特に、データサイエンスは得意なはずです。

 

デカルトは、デカルト座標系で知られているように、その時代のトップの数学者です。

 

哲学者チャールズ・サンダース・パースは、当時アメリカ最大の数学者と見なされたハーバード大学数学教授ベンジャミン・パースの次男として生まれ、早くから父に才能を見いだされ、特別の教育を受けています。パースも当時のトップの数学者です。

 

日本で、パースの紹介をしている本を書いたり、翻訳している人の中には、数学が十分にできていない人も見られます。古くは、パースのアブダクション(abduction)を「あてずっぽう」と翻訳した人もいました。

 

数学なしに、現代の哲学を理解することはできないと思われます。

 

ジム・ロジャーズ氏は、「捨てられる日本(2023)」の中で、「日本では文系と理系を早期に分ける教育が行われているが、早期に分けると、後から違うことが思うように学べなくなり、遅れをとってしまう」と言っています。文系と理系を分けたら、リスキリングができなくなるという主張と思われます。

 

2022年11月24日のDiamondに、野口悠紀雄氏は、「岸田政権が1兆円支援のリスキリング、学ぶべきはDX事情ではなく『文系数学』」という記事を書いています。

あるいは、野口竜司氏は「文系AI人材になる―統計・プログラム知識は不要(2019)」という本を出版しています。

しかし、ジム・ロジャーズ氏が主張するように「文系と理系を早期に分ける教育」に原因があれば、つけ刃では対応は難しいです。

野口竜司氏の「統計・プログラム知識は不要」というタイトルは、スノーの「二つの文化と科学革命」の指摘を無視し続けられるという幻想です。

 

「統計・プログラム」は、それが一番簡単で便利だから使われています。ところが、「文系と理系を早期に分ける教育」を行った結果、「後から違うことが思うように学べなく」なっているので、「統計・プログラム知識は不要」という苦し紛れが出てきます。

2023年2月23日の日経新聞には、世界のオープンAIのトップ30がのっていますが、日本企業はゼロです。ジム・ロジャーズ氏が言うように、「遅れをとって」います。

 

チャットGPTのような生成AIを活用したビジネスが広まっています。

 

この問題について、「AIの文章には誤りがあるという問題」を指摘している人もいます。

「一番つまらない話」の中で、新井 紀子氏が、「AI.vs.教科書が読めない子どもたち」の中で、「私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を十分に備えていない」といったことを紹介しました。

恐らく8割の人の書く文章には、「AIの文章にあるより多くの誤りがある」はずです。

筆者のワープロの打ち間違いは、AIより多いと思います。筆者は、Googleドキュメントの疑問点のアンダーバーに助けられています。

分かり易い例で言えば、Google翻訳には、間違いが多くありますが、Google翻訳以下の英訳しかできない学生は多数います。

「AIの文章には誤りがあるという問題」は、正解と誤りの間の確率を無視したバイナリーバイアスになっています。つまり、確率が理解できない人の文章です。

数学(最低限数学的な発想)ができないと、一歩も先には進めないのです。

実は、英語では、応用数学(自然科学の数学)の優れた入門書が多数ありますが、日本語版は皆無です。数学再入門を希望する場合には、英語版のテキストを使うことを勧めます。筆者は、疑問点がある場合には、英語版のテキストを調べます。

日本語版の応用数学(自然科学の数学)の優れた入門書が皆無であることは問題の深刻さを示しています。

昔からある寺沢 寛一の「自然科学者のための数学概論」には、統計はでていませんし、図は殆どありませんし、詳しい解答例ものっていませんし、自習には、全く使えないと思います。

アメリカの大学の入学では、SATの点数を参考にします。SATの教科は数学と英語(母国語)です。

 

ですから、アメリカには数学の全く出来ない大学生は、いないことになります。

 

アメリカの学部では、副専攻をとることがすすめられますので、人文系学部でも、他の専攻の講義をとります。

日本の博士過程では、論文作成関連のゼミ以外の授業は少ないです。

 

このため、企業が、学部卒業で、新規採用して5年経った人材と、博士課程に5年間在学した人材を比較した場合、OJTをうけた学部卒業の人材の方が、博士取得者より使いものになることが多いです。

OJTの方が、ゼミ以外の授業より教育効果が高くなっています。

海外の修士課程と博士課程では、体系的な授業をみっちり行います。OJTは、体系的な授業には太刀打ちできません。博士取得者は体系的な授業の結果、何でも出来るスーパーマンになっています。OJTをうけた学部卒業の人材のより、博士取得者が圧倒的に使えるのです。

しかも、卒業できる学生は、成績が水準に達した学生に限定しています。日本のように、自己都合を除けば、90%以上が卒業できる訳ではありません。

欧米では、博士取得者は、即戦力になる人材になっています。

 

日本では、高等教育は、年功型雇用の大学教員の失業保険になって、高等教育の品質管理が無視されています。

 

3)ルネサンスの現場

 

今まで、数学以外の人文科学は、検証手段を持ちませんでした。

 

正しいか否かがわからないのです。

 

「猫と正義」で書いたように、人文科学が取り扱う概念の問題が、AIによって検証可能になりました。

 

1995年に現代思想系の学術誌に、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルが、デタラメ論文を掲載した「ソーカル事件」が起こります。

 

人文科学では、デタラメ論文が審査を通ったという事件です。

 

ソーカル事件」は、人文科学の論文の正しさに疑問を投げかけました。

 

しかし、1995年には、問題はそこで停止しています。

 

検証の方法がなかったからです。

 

2023年現在では、この問題を検討するチャットGPTのようなツールを利用できます。

 

例えば、チャットGPTに、ソーカル論文とまともな論文を比較させることもできます。

 

チャットGPTはまだ賢くないと言われますが、モデルのパラメータ(アルゴリズムが考慮するさまざまな数値)は1750億に達しています。

 

人間が使えるパラメータは7個程度です。

 

今までの人文科学は人間は全能であるという間違った前提で推論していましたが、人間の脳には制約があります。

 

AI等のデータサイエンスを使えば、人間の脳の限界を超えた推論ができます。

 

これは、自動車を運転すれば、徒歩より速く進めるのと同じ理屈です。

 

紙と鉛筆(徒歩)だけが、人文科学の唯一の正統な研究手法であると制限する理由はありませんし、不合理です。

 

紙と鉛筆を捨てて、クラウド上のデータサイエンスの世界に移動することで、人文科学には、ルネサンスが起こっています。

 

日本の人文科学は、ルネサンスに取り残されて、「人文科学のみに係る科学技術」を主張しているように見えます。

 

引用文献



日本の社会科学政策 OECD調査報告 1976/09/17 朝日ジャーナル

OECD調査団『日本の社会科学を批判する』(講談社学術文庫,1980年)

 

岸田政権が1兆円支援のリスキリング、学ぶべきはDX事情ではなく「文系数学」 2022/11/24 Diamond 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/313309

 

東大が19世紀の大学では、日本でIT革命が起こるはずはない 2022/02/13 現代ビジネス 野口悠紀雄

https://gendai.media/articles/-/92280?imp=0



これが日本衰退の根本原因、なぜ博士号取得は経済的に割りにあわない 2023/02/26 現代ビジネス 野口悠紀雄

https://gendai.media/articles/-/106507

 

焦点:生成AI、検索サービスへの導入は巨額コスト必至 2023/02/26 ロイター

https://jp.reuters.com/article/alphabet-ai-idJPKBN2UY0BY