絵画の逆襲

(写真と絵画の境界は消滅しています)

 

1)19世紀の写真

 

19世紀に写真が発明されると、写真は、画家にとって、脅威になります。

 

それまで絵画は、対象を正確に再現することを理想していましたが、この点では、絵画は、写真に勝てそうにありませんでした。

 

また、現在のデジタル写真に比べれば、19世紀の写真は、非常に大がかりで、高価なものでしたが、それでも、人間が描く絵画に比べれば、驚くほど短時間で、イメージを作成できると思われました。

 

2)21世紀の写真

 

今世紀に入って、写真はデジタルになりました。

 

絵画がデジタルになったと言えるかは、不明ですが、デジタルな絵画を書いている人はいます。

 

写真も絵画もデジタルになれば、RGBの値をもったドットマトリクスです。

 

データだけ、見れば、数字が並んでいるだけです。

 

つまり、データからは、写真と絵画の区別はできません。

 

脳科学の進歩によって、見えるということは、目に入った光の信号を人間の脳が再構築しているプロセスであることが分かりました。

 

ものを見ることは、目で見るのではなく、脳内の再構築で見ていることになります。

 

21世紀には、デジタル写真とデジタル絵画の境界はなくなりました。

 

写真と絵画の関係は逆転しています。

現在では、写真は、証拠となる動かせない事実を記録したものではありません。

 

写真には、常に、加工された写真や絵画の混在した写真という疑惑がついて回ります。

 

この境界に明確な線を引くことは不可能です。

 

朝の霧の中の写真と、人工的に霧を上書きした写真を区別することは不可能です。

 

少なくとも、この境界に明確な線を引くフィルタ―は、確率的なフィルターにとどまります。

 

スマホのゲームをしている時に、それが、ゲームであると認識しているのは、ゲームの画像の出来が悪いからではありません。ゲームをするという準備がコンテクストを構成するから、ゲームは現実ではないと脳が判断する訳です。

 

同様に、メタバースが進めば、メタバースの中の画像データから、実世界とメタバースを識別することはできません。

 

メタバースの中に、CGで作った仮想データと、どこかにカメラを設置して、リアルな世界を写した実データがあった場合、この2つを識別することはできません。

 

したがって、メタバースを仮想現実と考えることは、脳科学を無視しているように見えます。

 

科学は、仮説と検証の枠組みを作って進んでいます。

 

メタバースでも、仮想データと実データを識別できる検証方法があれば、便利ですが、これは、不可能ではないでしょうか。