アンシャンレジーム~経験科学の終わり

(アンシャンレジームに注意が必要です)

 

1)アングルの時代

 

フランス絵画の巨匠にアングルという人がいます。

 

この人の世代は、写真が発明されて、画家が初めて、写真と対峙した時代です。

 

画家は、写真という画家以上に対象を精密に表現するテクノロジーと競合するようになりました。

 

写真があれば、画家が失業する可能性が出てきました。

 

アングルは、人物をデフォルメしたり、その頃の写真では不可能であった大画面の絵画に活路を探します。

 

後の世代の画家、例えば、印象派の画家や、アンディ・ウォルホールは、写真を絵画の下絵に使っています。印象派画家の写真の使用は控えめですが、ウォルホールにとって、写真は、絵の具と同じレベルのツールの一つに過ぎません。

 

新しい技術が出てきた時に、古い技術で食べている人の中には、新しい技術より、古い技術が良いというアンシャンレジームの主張をする人が出てきます。

 

ウォルホールのように、技術をツールの一つとして使いこなすことができる人が出るまでには、時間がかかります。

 

2)アンシャンレジームの例

 

2022年現在の日本はアンシャンレジームに満ちています。

 

例をあげてみましょう。

 

(1)紙の教科書がデジタル教科書より優れている

 

(2)スマホを使うと脳がダメになる

 

(3)年功型雇用は、強欲資本主義のジョブ型雇用より優れている

 

(4)デジタル教育よりリベラルアーツが優れている

 

(5)新しい技術より伝統的な技術が優れている

 

(6)(新しい技術より)匠の技は優れている

 

アメリカで、ITエンジニアになれば、高い給与を得ることができますが、リベラルアーツを学習しても、高い給与を得ることはできません。

 

リベラルアーツは、4つの科学パラダイムの中で、一番古い経験科学で、他のパラダイムが使えない場合以外には、経験科学を使うメリットはありません。

 

リベラルアーツが、デジタル教育より優れているのであれば、人間が、アルファ碁に負けることはありません。

 

アンシャンレジームの目的は、ともかく新しい技術に悪い印象を与えて、古い技術で食べている人を温存することにあり、エビデンスを問題にすることはありません。

 

アンシャンレジームの目的は、フェイク情報を流して情報操作をすることにありますので、反論は受け付けません。

 

注意が必要な点に、(6)のように、競合する新しい技術を表に出さないパターンもあります。

 

一見すると、「匠の技は優れている」という主張は、客観的な命題のように見えますが、プロパガンダの目的は、新しい技術を否定する点にあります。

 

これを更に一般化したプロパガンダに次があります。

 

(7)(新しい技術を使った海外製品より)、日本製が優れている。

 

製品が優れているか否かは、性能テストの結果の問題であって、製造場所とは関係がありません。

 

実際には、同じ価格帯であれば、日本製品より、中国製品の方が優れていますので、日本製品は、中国製品に駆逐されました。



また、(7)のプロパガンダによる情報操作が成功した結果、アサリの産地偽装がおこります。

 

「日本製が優れている」という主張は、「日本製」というラベルを問題にして、内容を問題にしない主義です。

 

筆者は、「ラベルを問題にして、内容を問題にしない」主義をドキュメンタリズムと呼んでいます。この問題は、別途論じますので、ここでは、深入りしません。

 

ドキュメンタリズムは、人材募集でも蔓延していて、「新卒の大学生」というラベルで企業は人材募集をかけます。大学での成績や出身大学のレベルが初任給に反映されることは稀です。

 

新卒一括採用は、ドキュメンタリズムの問題ですが、アンシャンレジームでもあります。人材採用は企業のコストの大きな部分を占めますので、経営上は、不合理な新卒一括採用を行う理由はありません。新卒一括採用のアンシャンレジームは、それによって利益を得る高齢の企業幹部によって維持されています。

 

高齢の企業幹部が高給を得る根拠は経験には価値があるという経験科学の論理です。日本企業が、欧米の企業と同じようにデータサイエンスの論理で経営されれば、高齢の企業幹部の半数は、給与に見合うだけ働かないおじさんとして首になるでしょう。働かないおじさんは首にならないのは、高齢の企業幹部が人事権を持っているためです。

 

つまり、DXが進まない原因、あるいは、日本企業の国際競争力が衰退している原因には、高齢の企業幹部が、エビデンスのない経験科学による経営の正当性を主張するアンシャンレジームがあります。