1.10 ビジョナリストの選挙と投票制度 ~2030年のヒストリアンとビジョナリスト(新10)

(離散民主主義から連続民主主義へと世界が、変化する可能性がある)



オードリータン氏が、指摘していますが、DXは、民主主義や選挙の制度を大きく変えるポテンシャルがあります。ここでは、選挙と投票制度のビジョンを検討してみます。

 

1)デジタルとアナログのパラドックス

 

デジタルデータは、ビットに還元できる離散値をとります。デジタルデータの情報は、保存する媒体の種類には、依存しません。

 

アナログデータは、物理的または化学的な性質をもつ物質として保存されます。アナログデータの情報は、保存する媒体に依存します。

 

自然界にある信号はアナログなので、デジタルに変換するときに、情報の一部が失われると考える人もいます。(注1)

 

デジタルカメラフィルムカメラ、ネット配信音楽とLPレコードを考えれば、以上の性質は理解できます。

 

人間の思考はアナログです。

 

コンピュータは、デジタルです。



そう考えると、人間の思考の方が、無理に離散化して、割り切りをしない丁寧な検討ができるとかんがえるかも知れません。

 

しかし、人間のワーキングメモリーは非常に小さく7個程度なので、この主張は正しくありません。

 

人間より、ワーキングメモリの大きなコンピュータは、はるかに柔軟な情報処理が可能です。

 

データを連側的に処理できるのはコンピュータで、人間には、離散的な処理しかできません。

 

つまり、一般的に思われているのとは逆に、ワーキングメモリーを節約するために、「人間は、コンピュータよりはるかに、デジタル化した情報処理が好き」であるというパラドックスが存在します。

 

人間の情報処理能力が小さいために、人間は時には離散化をします。

 

極端な場合には、AかBか、1か0かといった2値分布にもとのデータを当てはめます。

 

連続分布を2値分布に当てはめれば、問題が発生するのは当たり前です。

 

しかし、コンピュータのアシストを使えば、この問題は回避できます。



注1:

この論理は、ノイズを無視しています。ノイズレベルより高い周波数でサンプリングしても、得られたデータに意味はありませんので、離散化でかならず元のデータの情報の一部が失われる訳ではありません。

 

2)選挙制度のビジョン

 

選挙制度は、極端な離散化が行われている例です。しかし、DXを併用すれば、無理な離散化を行う必要はありません。

 

1人1票という制度、その制度に含まれるビジョンを考えるべきです。

 

政治が、政策によって、未来への意思決定の手段であるというビジョンに立てば、投票権は、未来の変更によって受ける影響の大きさに従うべきです。

 

その場合には、

 

「1票の重みは、残存生存日数(残存寿命)に比例すべき」

 

です。

 

これは、紙と鉛筆の投票では、不可能ですが、電子投票であれば、簡単にできます。

 

3)投票制度のビジョン

 

選挙で当選した議員は、議会で投票して、議案の採決に参加します。

このときも、1人1票は、重み付け補正をしないルールです。このルールは、処理は簡単ですが、ルールを正当化するビジョンを考えることは困難です。

 

議員が有権者の代表として、有権者に代わって議会で投票するというビジョンであれば、

 

「各議員の投票には、有効投票数に応じた重みをつけるべき」

 

です。

 

現在、1票の格差をめぐって、裁判所の判決が毎回だされています。人口数の少ない選挙区を統廃合すると、地方の意見が集約されなくなるのが、1票の格差を温存した選挙割が続く理由らしいですが、各議員の投票に、有効投票数に応じた重み補正係数をかければ、選挙区割を変えずに、1票の格差をセロにすることができます。



4)まとめ

 

選挙制度は典型的な例ですが、離散化を無理に行う被害は多くあります。



この分野では、ヒストリーを離れて、ビジョンを再構築する余地が多くあります。



なお、日本では、新制度を作る場合に、「特区」が検討されます。しかし、本来の「特区」は、逆に、旧制度を温存する地域に適用すべきものです。

 

ビジョンが成功する確率は10%もあれば良いほうです。「変わらない日本」をかえるためには、試行錯誤を繰り返すことが必要です。

 

2022/02/03のニューズウィークのダイアナ・チョイレーバ氏の記事は、この点では、示唆に富んでいます。この記事を読むと、日本の総理大臣は習近平氏に、似ているように思われます。

 

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中国の開発モデルが成功する上で最も重要なもう一つの要素は、鄧小平の言葉を借りれば「石を探りながら川を渡る」こと。つまり試行錯誤を繰り返しながら政策を発展させるやり方だ。中国は特定の改革の目的について幅広い合意が得られた後、「試しにやってみる」ことでイニシアチブや改革を生み出してきた。

 

各種政策を省レベル、さらには全国に展開する前に、地元レベルで試験運用を行い、実験を奨励し、それぞれの現場に合わせた解決策を探ることで、中国は最善の道を見出してきた。中国が今後、ますます複雑化し、不透明さを増しつつある状況の中で成功するためには、この点で妥協することは許されない。

 

だが中央に権力を集中させ、国家統制を強化する習近平のやり方により、中国の開発モデルはトップダウン型に振れつつある。地方での試験運用は、ごく一部の例外を除いて検討もされない。粛清の繰り返しが政治的な疑心暗鬼を生み、地元当局者たちは既成の枠からはみ出すことを恐れている。そんなことをして政敵につけ込まれれば、キャリアが終わってしまうからだ。

 

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北京冬季五輪習近平式「強権経済」崩壊の始まり 2022/02/03 ニューズウィーク ダイアナ・チョイレーバ

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/post-97994.php