2つの世界(リアル・ワールドとデジタル・ワールド)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト(16)

DXが普及した結果、問題と解決法を考えるときに、リアル・ワールドとデジタル・ワールドを想定して、ビジョンを立てる必要が出てきました。

 

今回は、2つの世界の存在と違いを論じます。

 

1)スーパーの例

 

最近、近所に新しい業態のスーパーが開店しました。

 

ここでは、スーパーの中をデジタル・ワールド、スーパーの外をリアル・ワールドに喩えてみます。

 

スーパーの外側のリアル・ワールドから、スーパーを眺めてみると、外観のデザインが違う、窓カラスから通して見えるレジは、無人らしいことがわかります。しかし、スーパーの中で、どのようなビジネスが行われているかは、わかりません。

 

スーパーの内側のデジタル・ワールドに入ると、どのような商品が、どのような形で、プレゼンされているか、顧客は、商品に対して、どのような反応をしているかが観察できます。こうした商品、顧客の間のネットワークの形成の仕方が、新しい業態というデジタル・ワールドを形成しています。

 

スーパーの中に入って、観察者も顧客の一人となって、顧客の視点から、店内を眺めることで、新しい業態が理解できます。

 

スーパーの外からの観察だけでは、新しい業態の中身は、永久にわかりません。

 

2)デジタル・ワールドの文章作成

 

今、世界は、リアル・ワールドとデジタル・ワールドに分かれています。

 

リアルワールドで観測されたデータは、デジタルワールドに転送されて保存されています。リアルワールドには、過去のデータはほとんど残されていませんが、デジタルワールドには、残されています。例えば、世界の写真のストックをみれば、圧倒的な量は、インスタグラムなどを通じて、デジタルワールドに存在しています。紙の書籍も、古いものはリアルワールドには、ほとんど残っていません。一方、紙を通さずに、デジタルワールドで作成され、保存されている文字データは、膨大な量になります。

 

今、この文章は、Googleドキュメントで書いています。この文章は、最初から、クラウドというデジタル・ワールドの上で、作成されています。

 

10年前であれば、文章は、ワードなどのワープロソフトで作成して、USBメモリーに保存していました。つまり、文章は、デジタル化されてはいましたが、USBメモリーというリアル・ワールドに存在しており、共有するには、ファイルをアップロードする必要がありました。ファイルの転送というリアル・ワールドから、デジタル・ワールドへの変化が必要でした。そして、その文章を誰かと共有するためには、ファイルを転送する必要がありました。

 

クラウドというデジタル・ワールドの上で、文章を作成すれば、こうした手間は不要になります。

 

文章の作成をワープロというリアル・ワールドから、クラウド・サービスというデジタル・ワールドの上に、移転させるだけで、劇的な生産性の向上が見込まれます。

 

3)2つの世界

 

1959年5月7日に、スノーはケンブリッジ大学セネト・ハウスのリード講演において、「2つの文化と科学革命」The Two Cultures and Scientific Revolution と題する講演を行いました。この講演は同年に同じタイトルで出版されました。

 

「二つの文化」とは、「自然科学」と「人文科学」を指しています。そしてスノーは、「二つの文化」の間でコミュニケーションが成り立たなくなっているといいます。スノーは、「西欧のもっとも賢明な人文科学者の多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていない」といっています。

 

スノーは、「自然科学」と「人文科学」を対比したわけですが、現在の課題は、デジタル・ワールドとリアル・ワールドの対比であり、ビジョナリストとヒストリアンの対比であり、アブダクション帰納法の対比です。



筆者は、リアル・ワールドとデジタル・ワールドの2つの世界のパラダイムは、2つの文化以上のインパクトがあると考えています。

 

リアル・ワールドにある観測された情報量とデジタル・ワールドにある情報量を比べると、コップの中の水と風呂おけの水くらいの差があります。

 

コップの水は、風呂おけに入れてもあふれませんが、逆はできません。

 

デジタル・ワールドの住民は、リアル・ワールドの住民に、話をしても通じないことがわかっていますので、話しはしません。つまり、ここには、明確に異なる2つの文化があります。

 

デジタル教育を例にとりましょう。

 

リアル・ワールドの住民は、紙の教科書をデジタル化したらという視点で、ものを考えます。紙の教科書とデジタル教科書は、対比する概念です。

小学校に、生徒一人にパソコンや端末を1台配るというのは、リアル・ワールドの住民の思考です。

 

デジタル・ワールドの住民は、デジタル・ワールドにある、ビデオ、画像、音声、文字、ネットワーク上で教師と生徒が書き込みでいる共有ドキュメント、教育目的のソフトウェア、リアル・ワールドの紙の教科書や演習書が、体系化され、有機的に利用可能な教育システムをビジョンとして持っています。これは、まだ実現していませんが、今後、次第に、実現するでしょう。

 

デジタル・ワールドの住民は、紙の教科書がよいか、デジタル教科書がよいかという枝葉末節の議論に、何の意味も見いだせません。

 

教育のビジョンをつくる王様は、デジタル・ワールドに住んでいて、紙の教科書というリアル・ワールドは、例外的な特殊な形態にすぎません。

 

パソコンや端末の台数は、教育ビジョンの一部を形成している問題で、デジタル教科と同じように、枝葉末節の問題です。2人に1台でも、大きく問題になることはありません。

 

問題は、リアル・ワールドの住民には、デジタル・ワールドの教育ビジョンをつくることができない点にあります。

 

2つの世界の視点に立てば、リアル・ワールドの住民は認めたくはないと思いますが、解決方法は、デジタル・ワールドの住民が、ビジョンをつくるしかありません。

 

4)ビジョン再考

 

前回、都市計画のビジョンは、ビジョンもどきであって、ビジョンではないと、申し上げました。

「ビジョンとは問題を見つけて、それを定義して、それを解決する手順を示したもの」です。

たとえば、都市計画のビジョンには、少子化といった問題が、記載されていますが、それを解決する手順は示されていませんので、ビジョンとは言えないことになります。

 

「解決する手順」は、ヒストリアンでは、記載できませんので、この部分が、ポイントになります。