タテ社会と1940年体制~2030年のヒストリアンとビジョナリスト(18)

中根千枝氏の「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」 (講談社現代新書 1967)が、どのように読まれてきたかを考えてみます。




野口 悠紀雄氏は、日本型組織は、日本の伝統的な雇用形態ではなく、「1940年体制」の一環であると喝破した人です。野口 悠紀雄氏は、次のようにいっています。

 

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日本のレガシー問題は、日本型組織と密接に関連しています。

 

これは、「1940年体制」の一環です。1940年体制とは、戦時経済への対応のために形成された日本特有の仕組みです。この仕組みは、高度経済成長期においては、うまく機能しました。

 

1970年代になって、情報化が行われるようになりましたが、メインフレームコンピュータは、1940年体制の日本型組織とは相性の良いものでした。

 

その後、「1940年体制」は制度としては崩壊しました。まず、1940年体制を必要とした経済的条件(資金割り当てによる高度成長)が消滅し、それを支えた制度(官僚制度、銀行制度)も、1990年代を通じて崩壊しました。とくに大蔵省と日本長期信用銀行について、これが顕著です。

 

しかし、1940年体制の主要な部分は、その後も生き続け、いまだに残っています。それは、企業間の流動性が限定的なことです。

 

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野口氏の文脈では、「1940年体制」が、戦後の生きのこったという視点になっています。

 

しかし、「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」と「1940年体制」を重ねて見ると、別の視点がみえてきます。

 

日本は、1945年に終戦を迎えます。1952年までは、GHQの統治下にありました。

このことは、問題を複雑にしています。つまり、1945年から、10年弱の間は、「1940年体制」では、ありません。

 

教育の世界では、ポツダム校長という用語があります。これは、ポツダム宣言によって、旧体制の校長がパージされ、GHQよりの人材が、校長に抜擢されたことをいいます。ここでは、「1940年体制」は崩壊しています。

 

岸信介氏が、公職追放を解かれて政治参入したのは、1952年にGHQが、日本を去ってからです。

 

1952年から、1967年の「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」 までは、15年しかありません。

 

戦争で、多くの人が死んでいます。また、1967年の平均寿命は、男性69歳、女性74歳でした。

 

1964年の東京オリンピックで、日本は女子バレーボールで、金メダルを獲得しました。

日本が国際バレーボール連盟に加盟したのは1951年ですから、GHQの撤退と同じころです。この時の日本のバレーボールは9人制です。1957年に、日本で国内初の6人制選手権が開催されます。

 

1960年、ブラジルで開催された世界選手権に日本男女が初参加し、女子2位、男子8位になります。

1962年、都市対抗、国体、全日本インカレ(男子)が9人制を廃し、6人制に切り替え、1963年からインターハイも6人制になります。

 

バレーボールが、オリンピックの種目になったのは1964年の東京大会が最初です。

 

このようにみれば、バレーボールのチームに、「タテ社会」が、介在する余地がなかったことは明らかです。

 

つまり、1967年には、タテ社会が、普遍的にあった訳ではありません。



つまり、1967年の「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」は、1952年以降の日本について、「タテ社会」が形成されつつあったということを指摘したと解釈できます。

 

1960年に22歳で大学を卒業した人が、52歳で退職するまでには、30年かかります。そう考えると、タテ社会の完成は、1990年のバブルの頃です。

 

戦時経済への対応のために形成された日本特有の仕組みである1940年体制が完成に向かって進んでいた時期と、高度経済成長期の時期は重なります。

 

しかし、タイムラグを考えれば、「1940年体制が、高度経済成長期においては、うまく機能した」と結論づけることはできないと思います。

 

これが、前回「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」が、「日本の失われた30年は、1967年には、スイッチが入っていた」ことを示していると述べた理由です。



なお、アマゾンでみると、日本人論のカテゴリーで、「タテ社会の人間関係─単一社会の理論」は、ベストセラー第1位になっています。

 

筆者は、ヒストリアンが、問題解決の阻害要因であると考えますので、ベストセラー第1位は、ヒストリアンが蔓延をしていて、問題解決の道が遠いことを示してると解釈します。

つまり、日本人論というヒストリアンの運命論から抜け出すことが、問題解決のスタート地点に立つ最低条件になります。

 

中根氏は「資格」と言っていますが、肩書やラベリングで、物を判断するのは、身分制度社会のルールです。これが、日本製だから良い、農林水産物は、日本産だから良いといったルールとして、生き残っています。その結果、アサリの産地偽装が起こる訳です。一方、世界的にみれば、2011年の東京電力福島第1原発事故後から、日本産は、マイナスイメージが長く続いたことを考えると、「日本産だから良い」というエビデンスはありません。

 

なお、日本的雇用慣行に関する論文は多数あります。引用はしませんが、その内容の9割は、ヒストリアンの視点で、過去の雇用の歴史を調べたものです。ビジョナリストの視点で、あるべき雇用形態が論じられていません。多くの論文は次のような構成です。

 

「過去の雇用形態を調べた結果はこうだった。(ここまでが、全体の9割)今後は、新しい制度の導入を検討すべきだ。(ここは1割あるが、バックキャストできないのでビジョンではない)」





日本人は年功序列の弊害の重さをわかってない 2021/01/21  東洋経済 野口 悠紀雄

https://toyokeizai.net/articles/-/402708