石原慎太郎氏とNOと言える日本

石原慎太郎氏が、亡くなりました。

89歳だったので、高齢で、体調もいろいろと思わしくなかったようです。

ニューズウィークは、盛田昭夫紙と石原慎太郎氏が共著で1989/01に出した「『NO』といえる日本」に関する1989/11/23の記事を再録しています。

本の内容の要約部分は、以下です。


石原は、この共著で次のように説いている――日本は経済力に見合う世界的な政治力を身につけ、対米交渉では、世界の半導体市場における影響力を行使すべきだ。また日米摩擦のほとんどの部分は、白人優位の思想から脱却できないアメリカ側に責任がある......。

盛田は、アメリカ人は「物をつくるということをだんだん忘れてきている......マネー・ゲームとかM&A(合併・買収)で儲けることに味をしめたからだ」と書いた。

とにかく日本はアメリカに「ノー」と言えるようになるべきだというのが、2人の一致した意見だ。

それによって、日本とアメリカの「逃れられない相互依存」関係に横たわる暗雲を一掃できると、盛田は考えている。一方の石原はアメリカ離れを主張し、防衛力の対米依存を減らしてアジアとの関係を強化すべきだと考えている。

(中略 )

「日本が、半導体ソ連に売ってアメリカに売らないと言えば......軍事力のバランスはがらりと変わる」とする石原の見解は、半導体の供給を外国に大幅に依存すべきでないというアメリカ国防総省の警告を裏づけているように思える。

もっともワシントンの貿易タカ派でさえ、アメリカの半導体生産能力が日本より劣っているとは考えていない。「石原はアメリカの軍需産業基盤を過小評価している」と、レビーンは語っている。


記事の内容は、「日米摩擦のほとんどの部分は、白人優位の思想から脱却できないアメリカ側に責任がある」という石原氏の人種差別があるという発言に関するものです。

なお、盛田氏は、大変誤解されていると言って身を引いて、彼のエッセイは公認の英語翻訳書には含められていません。

石原氏は、1990年に、『それでも「NO」と言える日本』を、渡部昇一氏・小川和久氏との共著で出しています。

石原氏は、1991年に、『 断固「NO」と言える日本』を、江藤淳氏との共著で出しています。

しかし、読んで考えさせられたのは、人種差別よりも、1989年の日本の状態です。

ウィキペディアには、石原氏の主張が、まとめられています。


日本の技術の優位性

  • 世界は特に半導体の生産において日本の技術に依存するようになった。
  • 日本はその技術の優位性を交渉の武器として使用すべきである。石原はアメリカに対する交渉手段として、ソ連と機密情報を交換するというような脅しさえも支持した。
  • アメリカは労働者のレベルが低いので商品の質も悪く、一方で日本の労働者の優越した教育は大きな強みである。

今から見ると、次の3点が指摘できます。

1)「世界は特に半導体の生産において日本の技術に依存するようになった」とは言えませんでした。日本の技術は、低賃金で、品質の良いものを安くつくることはできましたが、高賃金に耐えるだけの労働生産性をいじすること、独創的な技術は持てませんでした。いまや、日本の半導体産業は、絶滅寸前です。

2)「日本の労働者の優越した教育」は、大量生産に向いた均質な中程度レベルの労働者を生み出すだけで、独創的な価値を生み出す高度人材を作れませんでした。その後、ゆとり教育の失敗、日本の高等教育機関の世界ランキングの落ちこみは目を覆うばかりです。

3)「『NO』といえる日本」では、対米関係を中心に論じています。しかし、対米関係だけが重要ではありませんでした。対ソ連、対中国関係は、その後の世界の動きを決定づけています。1989年6月4日の天安門事件への対応は、歴史の分岐点でした。1991年12月26日のソビエト連邦の崩壊は、優秀な技術者の国外への流出をまねき、その後、シリコンバレーで活躍した人も多数います。しかし、日本は、こうした人材の受け皿には、なれませんでした。

1991年には、香港科技大学南洋理工大学シンガポール)が開校しています。

1991年当時は香港の経済が非常に良かったので、香港科技大学はすごく贅沢に建設されました。その贅沢さから「ロールスロイス大学」と呼ばれています。

このころ、日本もバブル経済で、お金がだぶついていましたが、残念ながら、その資金は、科学技術系の大学の創設には向かっていません。

唯一の救いは、1993年に開校した公立会津大学です。会津大学は、教員募集を全世界に向けてかけており、開校当時から、現在まで、外国人教員の割合が4割を超えています。

とはいえ、学生数は、概数で、香港科技大学 14,200人 南洋理工大学、32,700人、会津大学1,300人ですから、桁が違います。こうした差が、現在の経済状況に反映していると思われます。

こうして今から振り返ると、「『NO』といえる日本」の現状認識には、多くの問題があったように思われます。

-【再録:石原慎太郎インタビュー】アメリカ人の神経を逆なでした男~石原慎太郎はなぜ『「NO」と言える日本』を書いたのか ニューズウィーク 2022/02/01 ジェフ・コープランド、ドリアン・ベンコイル https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/no-14_1.php

-「NO」と言える日本 wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8CNO%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC