システムアプローチとDX(3)~プランBの検討

6)4セグメントモデル



4セグメントモデルを考えます。

 

企業の経営を考える場合には、4セグメントモデルが基本(一番単純なモデル)であると思います。

 

企業を構成する要素を次の3つに分けます。

 

(a)企業環境(企業組織資産など)

(b)経営者(主体1)

(c)社員(被雇用者、主体2)

 

企業の置かれている環境を外部環境と考えます。

 

(d)外部環境

 

外部環境には、海外と国内の競合企業、部品や資材の調達、為替レート、電気料料金などの事項が含まれます。これらは、必要に応じて、細分化して検討しますが、最初はプールで扱うことにします。



さて、「半導体産業復活の基本戦略」では、「過去30年にわたる日の丸半導体産業凋落」の主要因は以下であるとしていました。

 

 (1)日米半導体協定に基づく規制などの日米貿易摩擦による日本勢のDRAM敗退

 

   (2) 設計と製造の水平分離、いわゆるファブレスファウンドリモデルに移行できなかった失敗

 

    (3)デジタル産業化の遅れによる半導体の顧客となる国内デジタル市場の低迷

 

    (4)日の丸自前主義による陥穽により世界とつながるオープンイノベーションのエコシステムや国際アライアンスを築けなかったこと

 

    (5)国内企業の投資縮小によるビジネス縮小とは対照的な韓台中の国家的企業育成による企業業績増進

 

これと、4セグメントを対比させると次になります。

 

(a):(2)

(b):(4)、(2)

(d):(1)、(3)、(5)

 

対比は、筆者の推定なので、よくわからないところもあります。

 

第1は、(2)です。既に述べましたように、筆者の理解では、水平分離は、ジョブ型雇用とセットです。このため、(2)と(a)に対比させています。

 

一方では、年功型を廃止して天下りをしないという話はでてきませんので、(2)と(a)は対応されていないようにみえます。

 

その場合、水平分離はどのようにして実現するのか不明です。経営者が、水平分業するきにならないと、始まりませんので、(2)は、(b)に対応させてあります。

しかし、これも現実味は薄いです。

 

トヨタ自動車は、EVの販売で出遅れています。EV生産のシフトすることは水平分業にシフトすることです。車載の電池は中国企業からかっています。ガソリンをEVに切りかえれば、系列取引をしている会社がつぶれます。もちろん、系列取引をしている会社が、ジョブ型雇用であれば、ガソリン関係の技術者をレイオフして、EV関連技術を持っている人を採用して、あらたなビジネスを始めることになります。これは、日本以外の企業で起こっている普通の風景です。今のところ、日本では、ガソリン技術者の大量のレイオフがあったという話は聞いていません。

 

(4)も、(b)に対応させていますが、服部毅氏と遠藤誉氏は、過去の基本戦略で作られたコンソーシアムには、外国企業が入っていたといいます。そうすると、(4)は事実誤認になります。

 

以上のように考えると、「半導体産業復活の基本戦略」は、過去の失敗の原因は、ほぼ「(d)外部環境」だけであるという主張になります。問題解決には、補助金をばら撒けばよいという因果関係を無視した論理になっています。筆者は、「因果関係を無視した論理」はあり得ないと思っていますので、説明は破綻していることになります。

 

数年前に、経営の傾いた半導体企業を合併して作った国策会社の所長インタビューを思い出します。国策会社の社長は、天下り人事で、もと官僚でしたが、国策会社も破綻してしまいます。破綻後に、破綻した原因を尋ねられた元社長は、「自分は建て直しの仕方をわかっていた。しかし、補助金がたりなかったから破綻したのだ」といってました。記事を読むと、元社長が、因果律が理解できていたのか不安になりました。

 

7)サッチャーに学ぶ

 

破綻した論理で、補助金をばら撒くことは、「半導体産業復活の基本戦略」だけでなく、非常に多くの分野で見られています。

 

因果モデルから見て、破綻しているか否かは、セグメントモデルに当てはまるかチェックすればよいだけです。

 

セグメントモデルは、全てのセグメントに原因があるというモデルです。

 

原因が1つの場合、例えば、棘が刺されば、棘抜きで棘を取り除けばよいような場合には、原因が1つで、複数セグメントモデルはあてはまりません。

 

しかし、問題解決が長引いている場合には、原因が複雑で、複数あると考えるべきですから、セグメントモデルが必須になります。

 

さて、望ましくはないのですが、原資があれば、「問題解決には、補助金をばら撒く」ことは可能です。しかし、原資がなくなれば、「問題解決には、補助金をばら撒く」ことは出来なくなります。

 

筆者は、日本経済の原資は、工業生産品を輸出することによって得られる外貨が原資になったと考えています。そして、半導体に代表されるように、工業生産品を輸出することによって得られる外貨は、急速になくなりつつあります。つまり、これからは、原資のない生活、補助金の得られない生活に進むことになります。

 

多くの日本人には、ヒストリアンのバイアスがあります。黒字の出せない企業、黒字で経営できない自治体は、過去50年以上、補助金をもらいつづけていて、これからも、補助金が同じようにもらえるだろうと考えています。

 

筆者は、これから日本におこる「原資がなくなって立ち行かなくなった国」の例は英国であると考えています。

 

英国は、かつては、「ゆりかごから墓場まで」と言われる高福祉の国でした。これを支えたのは、英連邦と植民地からあがる収益です。その収益がある間は、高福祉が維持できましたが、植民地が独立したり、英連邦も離脱したり、形式化する国がふえてくると、維持できなくなります。2022年には、インドのGDPが英国を上回るという予想もでています。原資がなくなったことによる経済の停滞は英国病と呼ばれましたが、その解決には、サッチャーによる市場原理強化と政府の撤退(小さな政府)が必要でした。

 

日本では、「一億総中流」と言われていた時がありしたが、この言葉は、原資に注目すれば、「ゆりかごから墓場まで」によく似ています。

 

日本では年金問題では、退職した高齢者一人を現役世代何人が支えるかという人数比が問題にされますが、この議論は、労働生産性を無視しています。現役世代の人口が半分になっても、労働生産性が2倍になれば、高齢者を支える原資を以前と同じだけ納税してもらうことは可能です。

 

30年前に、ジョブ型雇用に切り替えていれば、若年層の所得があがって、税収が増えていたはずです。これは、お金の回り方の意味です。所得が増えれば、消費税も、法人税も増えます。

 

最近、アメリカのトラックの運転手の年収は1400万円なのに、日本のトラックの運転手の年収は400万円だという話が出ていました。2つの所得による税収の違いを考えれば、インフレになった時に、年金を減額するという姑息な手段が不要だったと思われます。

 

こうした所得の差を取り上げると、(筆者にはあまり働かないオジサンのように見える)ある人が日本は収入が少ないけれど、アメリカより良い点があると反論します。しかし、そうした反論者は、年金の減額に対する解決策を提示していないので、無責任です。

 

現在の年金制度がスタートした時点では、退職した高齢者一人を現役世代何人が支えるかという人数比が恵まれていたことは事実ですが、給与(労働生産性)も伸びていた時代でした。

 

「退職した高齢者一人を現役世代何人が支えるかという人数比」のみを取り上げることは、労働生産性を無視して、年功型雇用を維持する隠れた意図がある気もします。

 

問題解決には、日本版のサッチャーの登場が必要かも知れません。