(計算論的思考は、原典主義を否定し、一般化されたモジュールの実装を優先します)
計算論的思考では、原典は問題にされません。
人文科学で、論文を書く時には、原典に遡って引用することが原則です。
しかし、自然科学では、この制約はありません。
力学の法則を使う時に、プリンピキアを引用する人はいません。
計算論的思考では、コンピュータの使い方が、ひとつのモデルになります。
Linuxをつかって計算する人は、たくさんいますが、Linuxのソースコードを読んだことのある人はすくないでしょう。
更に、言えば、Linuxの全ソースコードを読んだことのある人は誰もいません。
原典にあたることは誰もできないし、非効率なので、回避すべきです。
もしも、Linuxのソースコードの原典にあたらなければ、論文がかけないとしたら、計算機科学の論文は、ほとんど、この世に、存在していないことになります。
これから、言えることは、原典にあたるということは、扱っているデータ量が少ない場合にのみ可能であって、データ量が増えたら、不可能だということです。
それでは、計算論的思考は、原典主義を捨てて何をとったのでしょうか。
計算論的思考の学問のストラテジーは、次のようなものと思われます。
1)知識はモジュール化して、計算できるモノにする
2)知識は、最近の知見を入れて、できるだけ一般化した表現に書き直す
3)知識は、最新の環境で、一般的に、使えるように、実装をバージョンアップする。
例えば、ニュートンの力学法則は、実装されていれば、入力パラメータに値をセットすれば、出力が得られます。
質点の力学では、入力は、スカラーですが、入力に、ベクトルやマトリックスや、テンソルをとることが可能な、一般化がなされます。
ここで、ダーウィンの進化論の例を考えてみます。
ダーウィンが進化論を考えた時には、遺伝子や、DNAのコードは、まだわかりませんでした。
進化論を考える時に、科学史の専門家は、ダーウィンの原典にあたって、ダーウィンが、何を書いたかを調べます。
しかし、科学史の専門家以外が問題にすることは、仮に、遺伝子や、DNAのコードが、わかっていたら、ダーウィンは、進化論をどのように、表現していただろうかと言うことです。
生物の教科書に書かれている進化論は、このように原典ではなく、現在の知識のエコシステムに合わせて、書き直された進化論です。
ダーウィンの後継者と思われるグールドやドーキンスの立場は、こうした最新の知識のエコシステムに合わせて、進化論を書き直すという作業です。
科学哲学のカール・ポパーは、進化論は、反証可能ではないので、科学ではないといって批判しました。
その後、コンピュータの上で、遺伝的アルゴリズムを使い、模擬的ですが、進化の検証が可能になりました。
現在は、DNAを組みかえて、実験室の中で、部分的ですが、進化の過程を検証できるようになっています。
このどちらも計算機科学の進歩なしには、達成できなかったと思われます。
ポパー流に言えば、過去のデータから作成した仮説は、それだけでは、反証がなく、全て、アドホックな、後付け仮説になります。後付け仮説は、検証されていませんので、正しい保証はありません。
仮説を検証する方法は、データサイエンスの大きなテーマです。統計的な計算方法が確立していませんので、数字は出されていませんが、データサイエンティストは、後付け仮説が正しい確率は、感覚的には、半分以下と思っているでしょう。
データサイエンスの仮説は、データによって検証され、パラメータのチューニングが行われます。
そのためには、計算論的思考では、原典主義は破棄され、仮説の一般化されたモジュールへの実装が最優先になります。