土浦小学校(2)(土浦市)
2回目は、土浦小学校の歴史に、関係する部分です。
写真1は、土浦小学校の表通りに面した3つ目の門です。
写真2は、そこにある土浦幼稚園の案内版です。案内版だけというのは、風景写真を撮影する立場では、きついです。
写真3は、大手門の跡の石碑です。案内板とあまり変わらない気もします。
案内板も、石碑も、恐らく、写真3に、地図が写っている「歴史の小径整備事業」で整備されたものと思われます。
「歴史の小径整備事業」のパンフレットから、要点を抽出すると次になります。
歴史の小径整備事業
事業概要
歴史の小径整備事業は土浦城址,まちかど蔵「大徳」「野村」,県指定の文化財である矢口家住宅等,亀城公園や旧水戸街道沿いの地区に点在する多くの歴史的資源の保全と活用,さらに商店街の活性化を図るため,これらを結ぶ道路の修景整備を行い,回遊性や界わい性を創出することにより,地域の活性化と快適な居住環境,町並み景観の向上を目標としています。
整備状況
平成13年度に裁判所前の通り(外丸通り)より整備を開始し、平成26年度に土浦小学校前の通り(たまき通り)の整備が完了したことにより総延長が約1.47kmとなりました。
これから、土浦小学校の前の通りが「たまき通り」であることがわかります。
写真3の大手門の跡の石碑の隣にある地図は、「歴史の小径整備事業」のパンフレットにある地図と同じものです。
写真4は、その地図の一部に、土浦小学校の位置を赤い四角でいれたものです。
土浦小学校は大手門と外園門(西門)の間に位置しています。たまき通りと外園門から西に延びる道は、昔の土浦城時代のままです。(伝)西門の一部は、土浦市上坂田にあります。
さて、「たまき」とは何かにうつります。
神竜寺とたまき
小学校北のちょっと離れたところに、江戸時代に土浦藩主土屋家の歴代の菩提寺であった神竜寺があります。
「たまき」とはおよそ160余年前の神竜寺の住職であった大寅(だいいん)和尚という、人格高く学識深い名僧が「欠けることなく余すことなく只一輪」筆あと鮮やかに書かれた教えと説明されることが多いです。
土浦小学校では、次のように説明されます。
金色で一輪の輪を描いた校章「たまき」が1902年(明治35年)1月に制定された。(当初は、赤色の一輪だった。)「たまき」は環・輪の意味であり、「いつでも どこでも 誰とでも仲良くできる子どもたちに育ってほしい」という願いが込められている。
写真5の左にある黄色の環が、土浦小学校の校章です。大寅和尚の「たまき」の書は、検索しましたが、ヒットしませんでした。しかし、「環」を大寅和尚のオリジナルとするには無理があります。
『正法眼蔵』「行持(上)」巻に、次のように書かれています。
仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。
ここでいう「道環」とは、「仏祖の大道が円い環(たまき)のようになって、初中後に欠けることがない様子を示した言葉」だそうです。
さらに、円形の書は、円相とよばれ、禅宗の書の素材のひとつです。「禅の悟りを表す『円』を3人の禅画の名手たちは驚くべき描き方をしていた」では、次の3人を、円相の名手として挙げています、
また、最近では、チームラボが、2016年に、「禅をテーマにしたデジタルアート最新作『円相 無限相』」を展示しています。一部は、WEBでも見ることができます。
大寅和尚の「たまき」の書が、残っていれば、比べてみたいところです。
-
歴史の小径整備事業
https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1596435490_doc_34_0.pdf
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%C6%BB%B4%C4
-
土浦市遺跡地図
https://www.city.tsuchiura.lg.jp/page/page011053.html
https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1310107753_doc_43_0.pdf
https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1310107753_doc_43_1.pdf
-
禅の悟りを表す「円」を3人の禅画の名手たちは驚くべき描き方をしていた
https://intojapanwaraku.com/art/1080/
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000385.000007339.html
-
The Art of ZEN: From Mind to Form チームラボ
https://www.teamlab.art/e/zen/
前の記事
次の記事