新しい科学観

データサイエンスが出てきた結果、従来の科学観に決定的な変更が生じました。

そこで、ちょっと、説明を試みます。

物理学の時代

20世紀の科学観は、物理学の成功を受けて、物理的な科学観が主流をなしてきました。

つまり、物理学の影響は、他の科学分野や芸術にまで及びました。

クラッシック音楽の演奏史における新則物主義など、芸術でも感情を出来るだけ排することで、芸術がより高いところに達するという信念は、物理学の影響を考えなければ、考えられません。実際に、日本では、1970年頃までは、一番優秀な理系の学生は物理学科を目指すような傾向がありました。その頃の日本でノーベル賞の受賞者には、物理学賞が多かったことも希望者が多かった理由と思われます。

時代が進むにつれて、科学が進歩し、不明な事柄は次第に科学が解明していく。

現時点で、不明なことがあるのは、科学が進歩していないからだ。しかし、その状況は、科学の進歩により、次第に減少する。

こうした考え方を、一部の評論家は、「科学信仰の時代」であると述べました。

統計学の時代

今世紀にはいって、リーディングサイエンスは、物理学から統計学に移ったと思います。

その結果、科学観に決定的な変化が生じました。この点は、一般には、ほとんど、理解されていないと思います。誤解されることを恐れずに、簡単に説明して見ます。

科学は、確実性(検証)に基づき、次のレベルに分けられます。

  • 松のレベル(3つ星)の科学:ランダム化試験で検証された仮説です。

  • 竹のレベル(2つ星)の科学:相関があるか、ニューラルネットで学習するなどして、数値予測が可能な仮説です。

  • 梅のレベル(1つ星)の科学:帰納法で得られた仮説です

  • そのほか(星なし):単一パラメータの計測結果、関連のない複数のパラメータの計測結果

全ての課題が、松のレベルに達することはありません。これは、レストランの星と同じで、限られた予算や人材をどう配分するかの問題です。1つ星のレストランは、3つ星程は美味しくないかもしれませんが、低予算で食べることができます。同様に、予算をかけられない課題は、松のレベルの解決は困難です。

こうした科学観は、物理学の科学観より夢がないかもしれませんが、反面、実現可能性に対しては、適切に対処していると思われます。また、信仰になるリスクもありません。