対策と目標~コロナウィルスのデータサイエンス(113)

制御目標の不在

東京都の感染者数は移動平均で見れば、増加率が減少しつつあります。

これは増加率で、感染者数の移動平均は増加しています。

しかしながら、2回目の非常事態宣言を出すための基準らしきものは有名無実化しています。

そもそも、そこには、コロナウイルスをどのように制御していくのかという目標が欠如しています。

増加率を抑えるのか、新規感染者数をゼロにするのか、何をしたいのかが不明です。

目標の欠如は、コロナウィルスに限定したことではなく、日本の企業や組織のマネジメントに共通する課題です。

いままで行ってきたことの延長線上で、ともかく、同じようなことを繰り返すことは出来ますが、そもそもの目標がない組織が多数あります。

カーネマン流に言えば、同じようなことを繰り返す(ヒューリスティックに基づく行動:ファースト)ことは出来ますが、何をすべきか考えながら行動する(思考判断に基づく行動:スロー)ができないのです。これが、組織文化になってしまうと、意味は解らないが(要するに考えることは放棄)今までと同じやり方を踏襲すれば、組織内からは苦情が出なくなります。こうなった組織は環境変化に耐えられないことは言うまでもありませんし、実際に倒産に至る例も多く見られます。コロナウィルスで老舗の倒産が報道されていますが、それも、この例にあたります。

結局、皆で、コロナ対策は誰かが考えてくれるだろうと思っていて、その誰かは行方不明なのです。対策を考えることには非常に(時間と労力の)コストがかかります。最も簡単な回避方法は、先行事例を探して、それをコピーする方法です。実は、これは、公務員の世界で横行している方法です。公務員の世界では、成功事例集が良く編纂されます。しかしながら、まったく条件が同じ事例はないので、コピーしても成功しないか、本家にはない副作用が発生してしまいます。コピー元との条件の違いを考慮して、コピーをアレンジして利用すればよいのですが、その場合には、ゼロから考えるとの同じくらいのコストがかかります。ですから、対策を行って問題解決ができる組織は、対策を考えるために必要なコストを許容する文化をもった組織になります。バブルのような短期的な利益があがってしまうと、こうした文化が失われ、組織に致命的なダメージを与えますが、そのダメージが表面化するまでには、時間がかかるため問題が表面化したころには、手遅れになります。コロナウィルス対策でも、感染がすぐには広がらないという恵まれた対策を考える時間を無駄に食いつぶしてしまったように思われます。

コロナ対策で、給付金をバラまいていますが、給付金は、「今までと同じやり方を踏襲すれば」お金がもらえる仕組みですから、給付金に頼ると解決策を考えない企業文化がはびこります。つまり、給付金は、当面の企業の存続をを可能にしますが、ゾンビ状態からの回復にはなりません。昔、京セラの経営方法がWEBで紹介されていました。京セラは不景気でモノが売れない時には、組織改革を集中して行い、無駄を省くそうです。税金は、企業の組織改革による体質強化に支払われるべきです。あるいは、失業した人の再教育につぎ込まれるべきです。選挙の支援業界に理由を付けて、お金を還流させて、次の選挙の票を抑えるような政策を行えば、日本経済は、致命的な打撃を受けます。

哲学という学問があります。哲学をカーネマン流に解釈すれば、「考えるために必要なコスト無限に許容することを方法論とする学問」になると思われます。これは極端ですが、もう少し、少なくともコロナウィルスの制御目標を考えることは必須と思われます。