ソクラテスの期末試験(2)

知識レベル(知と無知)の判別関数の弊害

データ・サイエンスでいうと、ソクラテスの主題は、「知識レベル(知と無知)の判別関数」の問題に帰結できるように思われます。

しかし、知識のレベルを、次のように分離してモデル化していないでしょうか。

知識の習得ー>知識の確認(判別関数の適用)

このモデルに問題があることを説明します。

問題を単純化するために、以下では記憶を問題にします。

最近の認知科学では、記憶は次のように分けられます。もちろん異論もありますが、とりあえず、以下で話を進めます。

このうち、短期記憶は、バッファーメモリーで、一時的に覚えておくもので、時間がたつと新らしい内容に置き換えられてしまいます。従って、学習するとは、短期記憶を長期記憶に転換する過程になります。

エピソード記憶は、自分の体験したことを覚えている記憶で、このブログで言えば、風景写真の記事を書いているときの記憶の働きになります。

意味記憶は理屈でわかって記憶するものです。

手続き記憶は、非陳述的(非言語的)ない記憶で、自転車にのる方法とか、水泳で泳ぐ方法を記憶する方法です。

進化の過程を考えると、筆者は、手続き記憶とエピソード記憶がまず、できるようになって、一番最後に、意味記憶が出てきたのではないかと、推測しています。というのはエピソード記憶は言語表現を含んでいるので、陳述記憶に分類されていますが、記憶内容は、言語表現に限られません。よく引き合いに出されるエピソード記憶の例に「失われた時を求めて」の冒頭の「紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から蘇った幼少時代の記憶」が取り上げられますが、この時のトリガーは、「マドレーヌの味覚」です。もちろん、文学作品なので、典型的な陳述記憶ですが、記憶の内容は、五感に及びます。進化の過程では、腐ったものや、毒を食べないことが記憶できないと生き残れませんので、これらもエピソード記憶が分担したと思われます。

問題は、ここからです。期末試験では、本来は、意味記憶をテストすべきです。しかし、短期記憶を経て意味記憶が形成され、本当にわかった感じになるのには非常に時間がかかります。数学では、3か月くらいはみないと無理です。授業でならって、次の週に期末試験があるような場合には、まじめに意味記憶に変換するのを待っていると、落第してしまいます(注1)。なので、試験の直前に短期記憶にインプットするか、エピソード記憶を使うことになります。記憶法の多くは、暗記する内容をエピソード記憶をトリガーにして、定着させる手法と思われます。

期末試験は本来は、連続分布である知と無知を判別関数を使って強引に、合格と落第に分ける手法です。これは、ソクラテス先生の論法と本質的には同じです。

しかし、知と無知を判別関数で分離する期末試験は、学習を阻害するのです。

このことは、医学系の大学受験の指導をしている方の話で初めて知りました。どのように指導しても、医学部には合格させられない学生がいるので、そのタイプの学生だけは除外しないと、ビジネスにならないというのです。そして、その問題のあるタイプとは、試験を短期記憶で受ける学生だというのです。

おそらく、そのタイプの学生は、勉強とは、前日に短期記憶に正解をインプットして、翌日に答えを記述するものであると理解していると思われます。この方法では、試験が終わると、ゼロクリアーになります。

なぜなら、短期記憶はそのような特性を持っているからです。

期末試験の担当教師は落第を多数だすと、学校の管理職からも、文部科学省からも、クレームを付けられます。良心的な解決法は問題のレベルを落として、前学期までに学習した内容だけで、50点以上とれる(合格できる)ようにすれば、意味記憶が形成されている学生や、授業の内容をエピソード記憶して覚えている学生は、合格させられます。しかし、このような長期記憶の回路が形成されていない学生は、問題を易しくしても、また、落第してしまいます。ですので、短期記憶だけしか持っていない学生を合格させるためには、追試験を行い、追試験の問題は、ほぼ、本試験と同じにするしか方法がありません。

この方法で、学習(?)した学生を、試験範囲の広い入学試験で合格させることは不可能です。

このようにして、短期記憶しか持っていない学生が、通学して、卒業しますが、これは、教育としては、完全な間違いで、社会的な損失と思われます。

筆者には、良い解決法は思い浮かびません。

ソクラテス先生が、良い解決方法を提案してくださると助かるのですが。

 

注1:授業の予習と復習を毎日して、期末試験に臨めば、良い成績が取れるというのは、都市伝説で、エビデンスはありません。筆者の経験では、意味記憶を活用する一番効率的な方法は、授業の3か月以上前に予習し、授業自体が復習になるようにする方法です。現在は、英語ができれば、自習用の教材や、ビデオはふんだんに手に入りますので、この学習方法が一番合理的です。なお、ノートを取らないで、授業の要点を全て覚えてしまう人もいますが、この場合でも、短期記憶を長期記憶に移転するために、授業のあとで、頭の中で授業を思い出して、記憶を定着させるために、それなりの時間をかけるようです。数学以外の短期記憶を意味記憶に転換するのにかかる時間が短い科目では、こうした方法も可能と思われます。いずれにしても、短期記憶を長期記憶、特に、意味記憶に転換するには時間がかかります。

参考

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E

  • 記憶の分類

http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/45-1/index-45-1.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6

  • 藤 井 俊 勝:記憶とその障害 高次脳機能研究 第30巻第1号

https://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/30/1/30_1_19/_pdf