続「子ども予算倍増」の不思議

(教育とエリート養成は不可分です)

 

1)舞田敏彦氏の記事と大学教育

 

2022年1月11日のNewsweekに、舞田敏彦氏が次の統計を紹介しています。

 

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(1)国の教育費支出の対GDP比率(OECD2019年)

 

37カ国中36位

 

(2)「世帯の収入の範囲で生活をやりくりするのが難しい」と答えた割合。

 (ISSP;国際社会調査プログラム、2019年調査)

 

29か国中2位

 

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1973年の大卒の初任給は、62,300円 (現在価値で、159,017円)でした。国立大学の授業料は、年間1200円でした。奨学金も貸与が主流で、教育や公務員にある年限勤務すれは、返済の免除がありました。

 

勉強ができれば、大学に進学するのあまりお金は必要ありませんでした。

 

この国立大学の授業料は、私立大学と比べて、あまりに安く、不公平だということで、授業料の値上げが進みました。

 

欧州の大学の授業料は安価です。ただし、大学はエリート養成の施設です。

 

授業料が安価であるという点で欧州に似た、オーストラリアには、40校、ニュージーランドは8校しか大学がありません。

 

アメリカの場合には、カルチャー大学と呼ばれる専門学校レベルの大学もあります。

アイビーリークの大学の授業料は高価ですが、奨学金が充実していました。最近では、この奨学金がレベルダウンして、奨学金返済に困っている学生が増えています。とはいえ、初任給の高い学科を卒業すれば、数年で返済することも可能です。

 

欧米の大学では、卒業できる学生の割合は高くないので、卒業できない場合には、経済的な負荷を抱えることになります。ただし、貧困でも、チャレンジする機会は開かれています。

 

日本では、1990年頃になると少子化の進展が明らかになり、大学生の絶対数不足が明らかになりました。そこで、大学教員の失業対策のために、修士課程と博士課程の大幅な拡充が行われました。

 

これらの変更は、大学教員の失業対策、つまり、年功型雇用の維持のために行われたので、あって、エリート養成のレベルアップを目指していませでした。

 

その結果、実用になるノウハウを持たない博士課程の卒業生が濫造されました。

 

マスコミは、人生は自己実現をすべきだと煽りました。

 

医学部を受験して合格するレベルの学生であれば、中学1年生くらいから、医者になるという目標を設定して、その実現のために、かなりの学習時間をとります。

 

一方では、大学に入ってもまだ自分が何になりたいのかわからない学生も多くいます。

 

こうした学生は、4年生になって就職の時期になっても、まだ、自分が何になるのか迷っています。

 

こうした学生が発生する理由は、マスコミや教育が、努力しなくとも、自己実現ができるという夢を煽っているからです。

 

日本では、落第がないことも、自己評価ができない理由です。

 

ドイツのようにある年齢で、レールを分けてしまう方法も極端ですが、日本では、努力や、自分の適性に関係なく、何にでもなれると洗脳しているように見えます。

 

学習についていけなくとも落第しませんので、博士課程の卒業生は、玉石混交です。

 

博士課程を持っている大学では、博士課程の学生数がゼロ続きも困るので、定員を埋めるために学生をとります。

 

政府は、4月から、博士課程の卒業生を採用した場合には、税制上の優遇措置を設けるようです。

 

博士課程の卒業生でも、高度人材ではあれば、国際労働市場で、海外の企業に就職できるようになりました。

 

税制上の優遇措置に該当するのは、高度人材以外の博士課程の卒業生になると思われます。

 

これでは、企業が採用するとは思えません。

 

ある大手の化学企業は、2030年までに、1000億円を使って、国内社員全体にDX教育を行うようです。

 

これは、次の点で、無駄に思われます。

 

(1)DXは社員全体で行うものではありません。高度人材になりうる人を選抜して、そこに集中投資すべきです。

 

(2)DX教育によって、高度人材になる人が5%くらいは出ると思われます。その人は、よほど高い給与を払わない限り、確実に転職してしまいます。

 

(3)時間と費用のパフォーマンスを考えれば、高給で高度人材をヘッドハントすべきです。その場合の問題点は、企業の幹部が、高度人材を活用できるようなジョブディスクリプションあるいは、技術開発計画を提示できるか否かです。ダメなら、幹部を入れ替えないと先に進みません。

 

税制上の優遇措置も、国内社員全体のDX教育も高度人材の分布を取り違えています。

 

高度人材という技術エリートを、排除して、つぶしてきたツケがきています。

 

2)加藤周一氏の論

 

2022年1月11日のNewsweekに、冷泉彰彦氏は、次のように加藤周一氏の論を紹介しています。

 

加藤周一氏は、1943年に東京帝国大学医学部を卒業した医師で、1951年からはフランス政府給費留学生としてフランスに渡り、パリ大学などで血液学研究に従事しています。

 

1951年は、ワトソン、クリックがDNA論文を発表(1953年)して、ノーベル賞を受賞(1962年)する前で、現在の遺伝子治療遺伝子工学)は想像すらできず、医学は経験科学でした。

 

加藤周一氏のその後の活動の中心は文学でした。

 

加藤周一氏の著書を読んでも、エンジニアの視点は希薄なので、以下では、加藤周一氏を文学者として見ています。

 

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加藤周一氏は、主著「日本文学史序説」の中で日本文学の歴史は「新旧が交替するのではなく、新が旧に付け加えられる」という特徴があると指摘していました。

 

加藤氏は、「日本社会に著しい極端な保守性(天皇制、神道の儀式、美的趣味、仲間意識など)」と「極端な新しもの好き(新しい技術の採用、耐久消費財の新型、外来語を主とする新語の創造など)」が共存している背景には、「旧体系と新体系が激しく対立して一方が敗れる」のではなく、「旧に新を加える」ことで社会を変化させてきた伝統があるからだと喝破しています。

 

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加藤周一氏の発言は、人文的文化そのものです。

 

「新旧が交替するのではなく、新が旧に付け加えられる」という視点では、どうして、1970年頃に、日本がエリート教育を放棄してしまったのか、その理由が説明できません。

 

人文的文化の特徴は、仮説検証をしないことです。

 

人文的文化でも、「新旧が交替するのではなく、新が旧に付け加えられる」という仮説をたてます。

 

そして、冷泉彰彦氏が引用しているいるように、その仮説のあった事例を列挙することはできます。

 

しかし、科学的文化の仮説は、ポパーが主張したように反例主義によって正しさが保証されます。

 

反例主義のルールは厳しすぎて、すべてに適用可能ではありませんので、反例主義に準ずる条件が採用されている分野もあります。そのような分野でも、実現可能であれば、反例主義をとるべきであるという主張に対する人はいないと思います。

 

加藤周一氏の文学論が正しい(権威がある)と考える理由は、仮説検証の結果にあるのではなく、加藤周一氏の卓越した文章を読む力、記憶力に基づく膨大な知識量にあったと思われます。これは余人をもって代えがたいので、加藤周一氏の主張は正しいのだろうと推測されたと筆者は考えます。加藤周一氏の仮説は、人文的文化であり、ヒストリアンの視点です。AIとクラウドデータベースが出て来るまでは、理論科学と計算科学の仮説検証ではカバーできない分野であり、そこでは、人文的文化に高い価値がありました。しかし、2023年現在は、知識量(記憶容量、メモリー)で、クラウドデータベースに勝てる人間はいません。AIの文章を読む力は、人間にはかないませんが、「文章を読む力×読書量」のスループットでは、AIに勝てる人間はいません。

 

更に、データサイエンスは、この高いスループットをつかって、今まで人文的文化の課題であった問題を、検証を伴う科学的文化に転換して解決しています。

 

加藤周一氏は戦後の日本を代表する文化人です。

 

その加藤周一氏に反論することは恐れ多いのですが、スノーの「『二つの文化と科学革命』が、文化の間の解消不可能なギャップを提示した」と膾炙(かいしゃく)すれば、人文的文化の加藤周一氏はおわかりにならないでしょうが、科学的文化から見れば、ご説には、同意できませんということになります。

 

「新旧が交替するのではなく、新が旧に付け加えられる」という仮説は、パラダイムシフトが起こらない、あるいは、生態学でいうレジームシフトが起こらないという仮説です。

 

この問題を冷泉彰彦氏は、次のように指摘しています。(筆者の要約)

 

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社会の変革期において、「古い方法論を否定したり、破壊する」ことはしないで、つまり保守的な制度はスルーして、「新しい方法論を付け加えればいい」という発想がとられます。

 

ジョブ型雇用を進めるのに、必ずしもメンバーシップ型を否定する必要はないと考えます。



注意しなくてはならないのは、「古い制度を残して、新しい制度を加える」という方法では、余りに非効率でコストがかかるという問題です。日本社会には「どうしても旧に新を加える」クセがあり、放っておくとどんどん生産性が落ちるということを自覚し、あえて旧式をバッサリ捨てるのが最適解という場合もあるということです。

 

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このように、冷泉彰彦氏は、加藤周一氏の仮説には限界があるといいます。

 

加藤周一氏の仮説には賛成しかねますが、冷泉彰彦氏も指摘するように、現在は、パラダイムシフトまたは、レジームシフトを前提とした施策は行われていません。

 

これは、筆者には、理解不能ですが、人文的文化では、こうなるのでしょう。

 

子ども予算の増額は未だ不明ですが、防衛費は、加谷珪一氏が指摘するように、まともな財源なしに増えていて、経済成長の足を引っぱる可能性が高いです。

 

現在の自衛隊には、隊員の希望者が不足して欠員になっています。

 

米軍の場合には、IT戦争に備えるため、兵士の採用試験の科学技術レベルが高くなって、合格率は3割程度まで落ちています。

 

兵士は、ドローンの自動操縦プログラムをかいたり、画像分析をする必要があります。あるいは、画像を自動判別して、ドローンは自動運転して、攻撃する必要があります。

 

自衛隊は、情報戦部隊の定員を増やすようですが、定員を増やしても高度人材がいなければ、無駄な人が増えるだけです。

 

対戦相手の情報戦部隊と戦う訳ですから、囲碁や将棋の団体戦と同じイメージです。へぼ棋士を揃えても全く戦力になりません。対戦相手の情報戦部隊より、高度な人材を揃える必要があります。

 

ここには、国内社員全体にDX教育を行う大手化学企業と同じような人材の労働生産性について間違ったイメージ(レジームシフト前のイメージ)が見られます。

 

それは、人文的文化からみるイメージであり、パラダイムシフトまたは、レジームシフトを前提としない人材の労働生産性のモデルです。

 

パラダイムシフトまたは、レジームシフトを無視すれば、近い将来に、情報戦に負けるような大きなツケを払うことになります。

 

引用文献

 

子どもへの冷たさが「異次元」の日本政治 2022/01/11 Newsweek 舞田敏彦

https://www.newsweekjapan.jp/writer/maita/

 

新旧交替ではなく追加で成長してきた日本社会 2022/01/11 Newsweek 冷泉彰彦

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2023/01/post-1299.php

 

防衛費増額と増税...「適切に管理」では済まない、見落とされた問題点とは?2022/01/11 加谷珪一

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2023/01/post-218.php