自己変容と演繹法~帰納法と演繹法をめぐる考察(12)

自己変容と演繹法

「計算論的思考と人文・社会科学」シリーズの話題は、まだ、完結していないのですが、SNSフェイクニュースが流れるということが、新聞などで、話題になっているので、関連の深い「自己変容と演繹法」について、シリーズを中断して、述べてみます。

自己変容の課題

自己変容とは、自分が変化することです。生物学的に人間は、自分が正しいという前提で、生きるようにプログラムされています。自分が正しくないということは、自己否定ですので、自死につながります。子孫を残す前に自死しますと、その遺伝子は途絶えます。従って、現在生き残っている人類は、基本的には、自分が正しいという判断をする遺伝子を受け継いでいるはずです。これは、その主張が、科学的に正しいということとは、全く別の判断である点に注意してください。

とはいえ、集団の構成員がまったく、自己変容しないと、環境が変化するとその集団が絶滅してしまいます。そこで、個体ではなく、集団の遺伝子を考えれば、環境の変化に対応できるような自己変容のしやすい人が若干ブレンドされているはずです。こうた弱自己変容の遺伝子を受け継いでいれば、自己変容しやすいのでクリエイティブな仕事をしやすくなります。ただし、その代償として、自死の確率が高くなります。クリエイティブであることは、以前の自己を否定して、自己変容を起こすことですから、ハンドルをちょっと切り間違えると自死につながります。ただし、これは、かなり自己変容の程度の高い、非常にクリエイティブな領域の問題ですから、通常のミニクリエイティブでは、そこまでの心配は不要と考えています。

自己変容は、今までのやり方を変えることですから、カーネマン流に言えば、ヒューリスティックの否定です。つまり、思考のファスト回路を停止して、スロー回路を起動しないと自己変容はできません。これは、非常に、時間と、エネルギー(根気)を必要とする作業です。詰め込み教育をすると、スロー回路を使うと落第してしまいますので、ひたすらファスト回路を使うことになります。こうすれば、クリエイティブな仕事ができる人材が育ちにくいというのが、ゆとり教育の視点でした。しかし、教材の量を減らしても、スロー回路が起動しないと、ヒューリスティックなファスト回路がなくなるわけではありません。スロー回路は、1つの作業当たりのエネルギー効率が非常に悪いので、進化の過程で、半ば封印された回路です。これを、起動させることは、ゆとり程度の刺激では、不可能です。暗記内容を吐き出す期末試験は、教材の量に関係なく、ファスト回路の活躍場所なので、やめるべきです。レポートとディベートで判断する方がよいでしょう。ただし、そうした場合に、スロー回路の起動に失敗すると(これが普通ですが)落第しますので、合格率は、高めに見積もっても3割以下のはずです。ファスト回路中心の暗記中心のカリキュラムであれば、対面講義より、ビデオ講義とネット学習ツールの方がより学習効率が高いです。ただし、暗記した内容は、コンピュータで代替できるか、コンピュータの方がより効率的に処理できます。したがって、現在行われているような、無人島に漂着した条件で、暗記を試す試験には、価値はないと考えます。

ここで、大切な視点は、二分法に陥らないことだと考えます。「自己変容できるか、自己変容できないか」の二分法は実は自己変容を妨げます。ある問題について、自分が解こうと考えたことがあれば、正しい解き方を見たときに、それが自己変容を伴うとしても、今までの自己の延長線上にあるので、障害なく理解することができます。ですから、スロー回路を使って、演繹的に何が問題かを考えておくと、新しい解法に出会ったときに、簡単に理解することができます。一方、まったく、考えたことのない内容は、ほぼ、完全な自己変容になりますから、通常は、生存のために、脳が拒絶するはずです。こうした場合、試験に出るから、語呂合わせなどで、とりあえず記憶しておく方法がとられるわけですが、筆者の経験では、語学以外では、この方法で、理解が深まったことはないです。レポート(やここで書いているような文章)を書くことが重要なわけは、実は、わかっているつもりでも、文章(あるいは、図や数式)にしてみると、頭の中が整理されていなかったことがわかります。それを整理する段階で、二分法から脱却できるので、理解力が増大します。簡単に言えば、自己変容に伴う拒絶反応を弱めることができます。

学習内容をしっかり理解できるということは、文言をコピーして口にするのではなく、自分の頭で、自分の言葉で表現することです。このレベルの理解に達するには、筆者の経験で言えば、3か月かかります。この方法では、期末試験に間に合わないので、散々な試験成績になります。おそらく、統計学は、全ての学習の中で最も大きな自己変容を要求する学問です。統計学の結果は、多くの場合には、直観に反した結果になります。これが、統計学が、理解されない理由です。統計学を理解するには、統計的な考え方ができるだけでよいのです。この点が、クリアできれば、数学的な式の展開は、容易ではありませんが、いったん、統計的な考え方ができるようになると、数学的な式の展開は、自己変容を求めませんので、心理的な障害はありません。どうしたら、統計的な考え方をすることによって生ずる自己変容に耐えられるかといえば、自分で統計的に物事を考えてみることにつきます。これは、ひたすら、演繹的な頭の使い方です。

まとめます。創造的な物事を生み出す力は、スロー回路であり、演繹法にあります。これは、自己変容を伴いますので、通常は、生存に不利な活動になります。失敗することも多いです。しかし、失敗せずに、創造的な仕事はできないと思います。天才作曲家も失敗(習作)を作っています。ここを通り抜けないで、成果だけを手にすることはできないでしょう。これは、スロー回路なので、エネルギーと時間がかかります。しかし、自分で、演繹的に学習することで、自己変容の芽を作らない限り、大きなエコシステム(またはパラダイム)の変化を伴う内容を習得することはできません。

コロナウィルスでは、日々の感染者数には、サイコロを振るようなバラツキが含まれます。サイコロの目の数字には格別の意味はなく、各目の出る確率が6分の1であることだけが、データサイエンスの真実です。しかし、報道は、毎日の感染者数に集中します。これは、統計的な理解は、あまりに自己変容が大きく、多くの人にとっては受け入れがたいからです。自己変容を拒否している点では、フェイクニュースと同じです。