3)トッド氏の分析
種を開せば、「リターン(所得移転)>リターン(技術開発)」がクリティカルに、企業と個人の行動を制約するというアイデアは、エマニュエル・トッド氏のものです。トッド氏は、このアイデアを技術開発ゲームとしてモデル化していませんが、内容は、同じです。
トッド氏は、ウクライナ戦争のコンテキストで、なぜ、アメリカは、武器や空母を作る能力が落ちたかという説明で、「リターン(所得移転)>リターン(モノづくり)」という構造で、説明しています。
アベノミクスの10年で、工場の海外移転が進みました。この現象は、アメリカと同じように、「リターン(所得移転)>リターン(モノづくり)」で説明することができます。
4)野口悠紀雄氏の分析
野口悠紀雄氏は、次のように分析しています。
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高市政権の成長戦略を貫く発想は、比較的単純だ。その基底にあるのは、「AI・半導体などの先端分野に重点的に投資すると、技術革新が民間企業に波及し、生産性が向上する、そして経済が発展する」という成長モデルだ。
しかしこのモデルは、過去30年の日本経済が繰り返してきた失敗を見れば、誤りであることが明らかだ。
IT投資、デジタル化、DXなど、いずれも「導入」の必要性が喧伝されたが、生産性の上昇には結び付かなかった。
問題は、技術が導入できなかったことではない。導入はできたのだが、新しい技術が持つ潜在力を活用できる組織、制度、人材、意思決定の仕組みが整備されなかったのだ。そのため、日本経済の生産性の上昇にはつながらなかった。
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AI「2026年問題」でまた露呈!?高市成長戦略だけでない日本の新技術導入政策の“構造的欠陥” 2026/01/08 Diamond 野口悠紀雄
https://diamond.jp/articles/-/381058?page=2
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最後の部分「問題は、技術が導入できなかったことではない。導入はできたのだが、新しい技術が持つ潜在力を活用できる組織、制度、人材、意思決定の仕組みが整備されなかったのだ。そのため、日本経済の生産性の上昇にはつながらなかった」が、トッド氏の分析とは、異なりますが、前半の分析は一致しています。
トッド氏の分析は。人材が技術を理解する(人材優先:人材→技術)ことを前提としています。
野口悠紀雄の説明では、特許などの技術文書の入手の時点を「技術導入」と呼んでいますが、トッド氏の解釈では、技術者のメンタルモデルが書き換えられた時点を「技術導入」と呼んでいます。
認知科学で考えると、トッド氏の分析の方が分かりやすいです。
5)国外転出時課税制度
日本が経済成長しないと確信するもうひとつの理由は、「国外転出時課税制度」にあります。この制度は、5年以上日本に滞在した人が、1億円以上の株式資産を持って国外転出する時に、資産の50%に相当する税金を納めるものです。この税金は、株式を売らない場合にもかかります。
この制度は、次のフィルターとして作用します。
第1は、外国人の高度人材をブロックする機能があります。
外国人の高度人材は、5年近く日本で活動すると、国外転出時課税制度により出国が困難になります。
米グーグル出身で、自動運転やソフトウエアなどの先進技術を手掛けるジェームス・カフナー氏は、2018年に、トヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント(TRI-AD)の最高経営責任者(CEO)に就任し、2021年4月、トヨタの子会社で自動車の未来技術を開発するウーブン・プラネットの責任者に抜擢されました。2023年10月、カフナー氏は2年半の在任期間を経て退任しています。
詳細は、不明ですが、カフナー氏は、国外転出時課税制度の5年のリミットを考慮して、退任した可能性があります。
もしも、外国人の高度人材に、日本と他の国で、同じ条件のポストのオファーがあった場合、国外転出時課税制度がある以上、日本を選ぶ理由はありません。
第2は、日本人の高度人材の流出を加速する機能です。高度人材は基本的には、世界中を渡り歩きます。国外転出時課税制度があるので、日本では、大学院を卒業して、就職後、所有する株式の評価額が1億円をこえると、事実上、日本から、脱出できなくなります。ハイテク企業の株価は大きく変動します。所有する株式の評価額が数千万円こえると、次に、いつか、1億円を超えるリスクが高くなります。つまり、若年層の高度人材は、可能な範囲で、できるだけ早く、日本を脱出することが合理的な行動になります。
2019年頃から、日本のスタートアップ界隈では「創業当初からシンガポールや米国に親会社を置く(フリップ)」という手法が、投資家の間でも推奨されるようになっています。
以上のように、国外転出時課税制度は、日本から高度人材を追放する制度ですから、日本で、技術開発がすすみ、経済成長するというシナリオの実現可能性は、ほぼ、ゼロと考えられます。
国外転出時課税制度は、経済モデルには組み込まれていません。
6)反事実推論(1)
もうひとつの根拠は、認知科学に基づく推論です。これは、複雑なので、今回は反事実推論の部分に限って、説明します。
以上の2つの仮説には、問題があります。
データが不十分な場合には、原因を特定することはできません。
だからといって、失敗の原因を排除できなければ、失敗は繰り返されます。
原因を推論する方法の基本は、「もし、原因がなければ、どうなっていたか」という反事実推論をすることです。
アベノミクス(リフレ政策)が、経済成長停滞の原因であるという主張は、アベノミクスが実施された世界(事実)とアベノミクスが実施されなかった世界(反事実)を比較した推論に基づいています。
この反事実を考えることができるかが、認知科学から見たポイントになります。
2011年と2024年を比較すると、日本の所得は円建てではほぼ横ばい(約430万円〜450万円)ですが、アベノミクスで、為替レートが 1ドル=80円から150円へ と約46%も減価しました。
ここで、「為替レートが 1ドル=80円から150円へ と約46%も減価」という表現では、2024年に 1ドル=150円(事実の日本)と2024年に 1ドル=80円(反事実の日本)を比較していることになります。
つまりドルでみる国内の需要(購買力)は、約46%も減価しています。単純に考えれば、日本国内だけをマーケットにしている企業の46%が倒産しても不思議ではありません。株価は、円安になったので、見かけの数字は大きくなりましたが、ドル換算で考えれば、上昇率は少なくなります。
政策の評価は、事実と反事実を比較することで、初めて可能になります。
この事実と反事実とは、ドライビングフォース(原因、ここではアベノミクス)の有無でわけられるシナリオであり、この手法を未来に展開すれば、シナリオプランニングになります。
まとめると、過去の政策の評価では、事実と反事実の比較が必須条件になります。
現在の政策の選択は、未来の事実と反事実の比較に基づくことが必須条件になります。
現在の政策の選択は、シナリオプランニングを基本にする必要があります。
「現在の政策の選択は、シナリオプランニングを基本にする必要がある」は、因果推論の科学の基本であり、エビデンスに基づく政策選択の原則になります。
とはいえ、このことは、広く認知されているとは言えないので、認知モデルに問題があるといえます。この認知モデルの問題の中身が、今回、説明を省略した部分になります。
シナリオプランニングを整理します。
シナリオはドライビングフォースがある場合(事実)とドライビングフォースがない場合(反事実)を比較する手法です。未来に何が起きるかを予測することはできませんが、ドランビングフォースが適切に選択できれば、未来は、事実と反事実のどちらかに、落ちます。このシナリオの外(事実、反事実以内の第3の選択肢)に、未来がある可能性を考える必要はありません。
筆者は、このことが理解できて、初めて、なぜ、欧米では、シナリオプランニングが多用されるかを納得しました。
7)ダブルループ学習
認知科学には「シングルループ学習(既存の枠組み内での改善)」と「ダブルループ学習(前提そのものを疑う学習)」があります。
共通点: 太平洋戦争もアベノミクスも、「一度決めた方針をどう精度良く実行するか」というシングルループには長けていますが、「そもそもこの方針(戦争継続/円安誘導)は正しいのか?」というダブルループ学習が機能しにくい認知モデルを持っています。