2025年の展望(2)

2)学習のパフォーマンス比

 

学習のパフォーマンス比の定義は以下でした。

 

学習のパフォーマンス比 = 学習内容が陳腐化する前に使える時間 ÷ 学習にかかった時間(時定数)

 

前回は、分母の学習にかかった時間(時定数)を問題にしました。

 

今回は、分子の学習内容が陳腐化する前に使える時間を考えます。

 

2-1)陳腐化の時定数

 

学習内容が陳腐化する前に使える時間も、時定数として扱うことは可能です。

 

学習にかかった時間(時定数)と混乱しないために、以下では、陳腐化の時定数と呼ぶことにします。

 

陳腐化の時定数の推定は、難しそうです。

 

学習のパフォーマンス比を考えると、陳腐化の時定数は、学習にかかった時間(時定数)と同じ分野(オブジェクト)を対象にしている必要があります。

 

陳腐化の時定数は、簡単に変化します。

 

学習内容が陳腐化する場合には、革新的な学習内容が出現して、代替が起こります。

 

人間の雇用がAIに置き換わる場合には、AIの学習内容の増加が、人間の学習内容を陳腐化させています。

 

あるいは、記憶媒体のフロッピィディスクが、USBメモリーになり、クラウドサービスに交替しています。

 

2-2)学習にかかった時間(時定数)の補足

 

前回の学習にかかった時間の考察では、学習内容の変化に触れていませんでしたので、補足しておきます。

 

これは、コンピュータサイエンスに特異な現象かもしれませんが、計算機資源の拡充とともに標準的な学習内容が変化しています。

 

1980年代であれば、円周率を計算する場合には、計算手順のプログラムコードの書き方を教育していました。数学で、パイの記号を書いても、コンピュータが理解できなかったからです。現在では、どこでも、pi()関数が使えますので、数式をそのままコーディングすれば、コンピュータが問題をといてくれます。

 

パイの計算方法の学習は不要になりました。コンピュータの中を完全なブラックボックスにすると学習ができない部分がありますので、2、3の例で、計算手順のプログラムコードの書き方を学習します。しかし、それは、あくまで、サンプルにとどまります。

 

1980年代には、1つ数式を100行以上のプログラムコードに変換する場合もありました。現在では、数式はそのまま書けばよいので、コード量は、100分の1になっています。

 

パイの計算の学習にかかる時定数は、100分の1になっています。

 

一方では、パイの計算方法という学習内容は陳腐化しています。

 

パイの計算方法が陳腐化する一方で、AIのような革新的な学習内容が出現しています。

 

コンピュータサイエンスの学習内容は、毎年膨張を繰り返しています。

 

コンピュータサイエンスの分野では、このような革新的な学習内容が日常茶飯事に出現しているので、コンピュータサイエンティストは、革新的と意識することはありません。

 

コンピュータサイエンスの分野では、学習内容の陳腐化があまりにも頻繁におこるので、陳腐化の時定数の推定は困難になり、あまり高い精度は期待できません。恐らく、ムーアの法則のように対数の世界の議論になります。

 

しかし、これは、他の分野からみれば、異常事態であると言えます。

 

人間がAIと競争することは、対数の世界の時定数と競争することになり、勝ち目はないとも言えます。

 

2-3)変わらない日本

 

野口悠紀雄氏は、2025年の年頭に次のように書いています。(筆者要約)

 

過去10年の間に、日本以外の国の1人当たりGDPは、大きく増加している。アメリカの場合には、実に50%の増加だ。ヨーロッパ諸国も、イタリア以外は、20%台後半から40%台の増加になっている。

 

ところが、日本の1人当たりGDPは、この間に約5%減少している。つまり、この10年間、日本経済は歩みを止めてしまったのだ。

 

アジア諸国の成長はもっと顕著だ。日本は、2024年に一人当たりGDPで韓国や台湾に抜かれた。

 

こんな事態になるとは、10年前には考えたこともなかった。

 

この間に世界経済に起きた大きな変化の1つは、中国経済の成長だ。中国経済の成長は重視していたつもりだ。しかし、実際に生じた変化は、予想を遥かに超えた。

 

世界はこの10年間に驚くほど変わった。それにもかかわらず、日本は変わらなかった。日本国内では、この10年間、時間の進行が止まったようだった。そして、10年前の思考法と基準・尺度から脱却することができなかった。

<< 引用文献

2025年、日本がもっと「後進国になる」根本理由 2025/01/05 東洋経済 野口 悠紀雄

https://toyokeizai.net/articles/-/849507

>>

 

「日本国内では、この10年間、時間の進行が止まったようだった。そして、10年前の思考法と基準・尺度から脱却することができなかった」は、時定数の問題を指しています。

 

デジタル社会になれば、対数的な時定数の減少がおこります。

 

行政の継続性とは、「学習内容の陳腐化」に対応する行政政策の有効性の陳腐化を無視することになります。

 

つまり、学習のパフォーマンス比の改善を放棄しています。

 

野口悠紀雄氏は、日本は、(既に、後進国であり、)<もっと「後進国になる」>と主張していてます。

 

「10年前の思考法と基準・尺度から脱却する」問題は、メンタルモデルの更新の問題です。

 

この問題は、次回に考えます。