0ー1)この小論を書く理由
WEBや雑誌には、問題解決の提案がなされています。
執筆者は、自分の経歴を記述して、自分には、十分な経験があるので、自分の発言が正しいと主張します。
歴史を経て生き残った経験を圧縮すれば、リベラルアーツになります。
しかし、この推理は、科学的に間違いです。
推論の正しさは、執筆者または、発言者とは関係がありません。
日本のマスコミでは、何か問題があると、有識者の意見を掲載します。
これは、有識者であれば、発言(推論)が正しいであろうという推定です。
推論の内容の正しさが発言者のポストで判断できるという推論の方法は、アメリカの基本思想であるプラグマティズムでは、権威の方法に分類されます。
権威の方法は、科学の方法ではなく、間違った推論です。
リベラルアーツは、権威の方法を間違いと認めませんので、科学の方法と対立します。
日本のマスコミでは、何か問題があると、有識者の意見を掲載しますが、これは、常識的な方法ではありません。
プラグマティズムの国のアメリカでは、有識者の意見が掲載されることはありません。
アメリカでは、有識者の推論が、根拠のデータとともに掲載されます。
複数の有識者の推論が対立する場合には、その相違点を整理して掲載します。
加谷珪一氏は、日本の多くの経済関係者は、推論で、感情が論理的判断を邪魔していると指摘しています。
<< 引用文献
マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」の理由...関係者も見落とした「冷徹な市場のルール」 2024/04/23 Newsweek 加谷珪一
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/04/post-276.php
>>
科学的な推論では、感情が論理的判断を邪魔することは許容されません。
このことは、日本では、権威の方法の間違った推論が蔓延していることを示しています。
科学技術立国は、科学によって生産性を上げて賃金をあげる方針です。
正しい推論ができないのであれば、議論や課題解決の方法の検討はできません。
この小論を書く理由は、余りにも、科学的に間違った推論が蔓延している点にあります。
筆者は、この科学的に間違った推論が蔓延する原因は、リベラルアーツに問題があると考えています。
そこで、ここでは、リベラルアーツの問題点を指摘するとともに、科学的な推論の例を示してみたいと思います。
0-2)法度制度のミームの課題
人間の思考形態は、ミームに支配されています。
中世のヨーロッパでは、世界は、キリスト教の神によって操作されており、推論をすることは、神の意図を読み取ることでした。
戦前の日本では、世界は、天皇(現人神)によって操作されており、推論をすることは、天皇の意図を読み取ることでした。
脇田晴子氏は、戦時中に特攻が行なわれた原因は、中世から続く天皇を中心にした文化に原因があると考えました。
フランス文学者の水林章氏は、 江戸時代の幕藩体制によって、上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造ができあがり、この法度制度が、天皇制に残ったことが特攻の原因であると考えています。
脇田晴子氏は、天皇を中心にした文化は、中世に起源があると考えています。
水林章氏は、法度体制の起源は、江戸時代にあり、明治になって、天皇制度に組み込まれて生き残ったと考えています。
脇田晴子氏は、戦後も中世から続く天皇を中心にした文化が生き残っていると言いますが、脇田晴子氏の専門は中世史なので、戦後の天皇を中心にした文化については多くを語らずに亡くなっています。
水林章氏は、法度体制は、令和の現在にも生き残っていると考えています。
以下では、脇田晴子氏と水林章氏の天皇制を中心とした「上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造」を法度制度としてまとめて扱います。
法度制度は、ミームになって、日本人の思考パターンを支配しています。
年功型雇用は、「上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造の体制」なので、法度制度になります。
法度制度では、上位者が下位者にだす命令は、正しい推論であるという権威の方法で構成されています。
したがって、日本から法度制度のミームがなくならない限り、科学的な推論はできないと言えます。
法度制度のミームを、脇田晴子氏は、1000年以上生き残った非常に強力なものであるとかんがえていました。
特攻によって、子どもや同僚を失った日本人は、その原因が法度制度にあるのですから、戦争を再び起こさないようにするためには、法度制度を排除することが合理的な行動になります。
しかし、遺族会や同期会は、靖国神社のような法度制度の復活を希望しています。
靖国神社に参拝する政治家の行動は、法度制度のミームで説明できます。
法度制度のミームで行動する政治家に、科学的な政策の議論は不可能です。
0-3)トートロジーの課題
トートロジー(同語反復)とは、「Aは、Aである」という命題です。
これは、「青色は青い」や、「青は青色である」といった意味のない文章を指します。
同様に、「こども家庭庁は、子ども家庭の問題を扱う部署である」、「デジタル庁は、DXを進める省庁である」も同語反復になります。
トートロジーには意味がありませんので、「こども家庭庁」や「デジタル庁」を同語反復で定義すると、何も仕事をしなくとも、存続できることになります。
これに対して、「こども家庭庁は、子どもの出生数を回復するための省庁である」という定義は、トートロジーではありません。
この定義では、「子どもの出生数を回復」できなければ、「こども家庭庁」は、不要な省庁になります。
トートロジーが出現すると議論は無効になります。
さて、ジョブ型雇用では、ジョブディスクリプションが書かれますので、トートロジーは出現しません。
一方、年功型雇用や法度制度では、「上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造」があれば、組織が存続できます。
年功型雇用や法度制度では、ジョブディスクリプションが書かれると存続できない組織が出てきます。これを回避するために、トートロジーが多用されます。