(ミームを例に、人文科学の限界を説明します)
1)過去と未来
過去に起こったことが未来にも起こることは保証されていません。
ニュートン力学に始まる物理学は、20世紀の大きな成功を納めました。
アカデミー賞を受賞した映画「オッペンハイマー」の主人公は、今まで、地上に存在したことのない原爆の開発に成功しました。
原爆は、今まで、地上に存在したことがないので、帰納法で作ることはできません。
原爆の開発には、デザイン思考が必要でした。
物理学は、過去に起こったことが未来も起こることを保証しません。
かわりに、現在時間にかかわらず、同じ物理法則が成り立つことを主張しています。
前世紀には、物理学が大きな成功をおさめたので、他の学問も物理学をモデルに研究がなされました。
化学と物理学の境界は曖昧になりました。
生物学を物理法則のように説明するために、生物物理学の研究が進められました。
生物物理学は、DNAの解析や合成をする装置を、デザイン思考で作りあげます。
DNAの配列が明らかにされ、DNA配列を操作する技術が開発されます。
親のマウスの走り方は、力学の法則に従います。
子どものマウスの走り方も、力学の法則に従います。
この2つの力学の法則は100%同じ(完璧なコピー)です。
一方、親マウスの体型は、DNAで決まります。
子どものマウスの体型も、DNAで決まります。この2つのDNAには共通点もありますが、相違点もあります。子どものマウスは、DNAの約50%を片方の親マウスからコピーしています。しかも、コピーエラーも起きます。
生物でも、物理学と同じように法則のコピーが起こると考えた目の付け所は良かったのですが、生物の法則に相当するDNAとそのコピープロセスは、物理法則に比べると、遥かに複雑です。
過去に成立した法則が、未来にも成り立つ(未来の法則に100%コピーされる)という単純な前提が成り立つのは、物理学だけで、多くの分野では、過去の法則は、未来の法則に部分的にしか、コピーされません。
2)ミームモデルの長所
人文科学の有効性では、人文科学の過去の法則は、未来の法則にコピーされるかが課題になります。
コピーされれば、過去のデータを使った帰納法で得られた法則が、未来の法則になります。
コピーされなければ、過去のデータを使った帰納法で得られた法則が、未来の法則にはなりませんので、帰納法で得られた法則には、利用価値がありません。
人文科学には、価値がないことになります。
過去のデータを使った帰納法で得られた法則は、文化の一部である場合には、これはミームの継承(伝染)の問題になります。
例をあげて説明します。
コリン・ジョイス氏の説明を要約します。
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アイルランド共和国は、1986年の国民投票では、有権者のほぼ3分の2が離婚を認める憲法改正案に反対票を投じ、離婚は、1996年まで憲法により禁止されていました。
1979年のローマ法王(教皇)ヨハネ・パウロ2世のアイルランド訪問は、国を挙げての大イベントでした。
法王訪問から数年後の1985年、主要空港が、巡礼者がローマから飛んで来られるように、法王訪問の聖地であるノックに建設されました。
これは、アイルランド共和国はカトリック教会のミームにとらわれた国家だったためです。
小児性愛者の司祭によるスキャンダルや、各地に存在したマグダレン洗濯所(子どもの事実上人身売買と収容女性たちの奴隷労働があった)などでの長年にわたる虐待事件が発覚したため、カトリック教会の権力は、後戻りできないほどに縮小しました。
今のアイルランドは全く違います。経済は非常に力強く、何世紀も続いた国民の国外流出は、純移民増で逆転しました。今日の若者はキャリアと経済的豊かさを求めて国を出る必要はありません。
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<< 引用文献
むしろアイルランド共和国側が統合を拒否する日......日本人の知らない北アイルランドの真実(その2) 2024/03/01 Newsweek コリン・ジョイス
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2024/03/post-300.php
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ドイツでは、2021年には約36万人がカトリック教会を離脱し、2022年には52万人以上がカトリック教会を離脱しています。ドイツのカトリック教徒は人口の4分の1未満となりました。
1996年の憲法改正前のアイルランドでは、カトリック教会のミームは強固でした。
したがって、1996年までのアイルランドの将来予測をする場合には、経済合理性ではなく、主要空港の建設地のように、カトリック教会のミームに基づく予測が有効です。
現在では、カトリック教会のミームの力は弱まっており、カトリック教会のミームに基づく将来予測は無効です。
カトリック教会のミームの力が弱まった結果、現在のアイルランドは、1996年以前よりも、より経済合理性にあった政策選択がなされているはずです。
その結果、経済成長したと分析できます。
カトリック教会のミームのように、そのミームが力を持っている場合には、ミームによる予測は有効です。しかし、この方法では、ミームから抜けだすことができません。
経済停滞の問題解決に必要な方法は、経済合理性に著しく反するミームを取り除くことです。そして、この作業は、人文科学の範疇では解決できません。
脇田晴子氏は、太平洋戦争の特攻は、中世文化のミームが原因であると主張しました。
水林章氏は、特攻の原因である中世文化のミーム(法度制度)が、日本を介して現在も生き残っていると主張しています。
脇田晴子氏の研究動機は、特攻を繰り返したくないというものでした。
しかし、脇田晴子氏は、特攻の原因である中世文化のミームを取り除くことなく、亡くなっています。
あるミームを研究する人文科学で得られた法則性は、そのミームが力をもって、伝染している限り有効です。
しかし、このアプローチでは、問題の原因であるミームを除去する方法は得られません。
世界には、多数のミームがあります。
音楽で言えば、演歌、ロック、クラシックなどのミームがあります。
政治思想でいえば、自由主義、マルクス主義などのミームがあります。
ミームを使えば、経済合理性に合わない人間の行動を説明できます。
ミームの世界では、経済学の経済的合理性の仮定は成り立ちません。
経済学では、来年のビルボードのヒットチャートを予測できません。
しかし、経済合理性に合わないミームを野放しにしてしまえば、経済成長ができなくなり、貧困に陥ります。
これは、カルト集団が、大企業を育てられないことと同じ論理です。
その典型は、多文化主義で、複数のミームの価値は等価になってしまいます。
多文化主義を解消するためには、人権思想や経済的合理性の仮定が必要になります。
人権思想は、帰納法ではなく、自然状態を前提とした理想的な契約形態から導かれます。
女性天皇の継承問題は、人権思想では、解決済みで議論の対象ではありません。
日本で、女性天皇を論ずる人文科学の有識者は、法度制度のミームで議論をしています。
議論が、どのようなミームのフレームで行なわれているかに注目すれば、問題の所在がよく見えます。
与党と政府は、鉄のトライアングルの利権のミームで動いています。
このミームは、田中角栄氏が確立したもので、日本の政治で力をもっています。
利権のミームは、政治家の判断で、利権に合わせた予算配分をすることでなりたっています。
経済合理性に基づく予算配分がなされると、政治家が予算配分に関与できる部分はなくなります。
それでは、利権のミームがなりたたないので、利権のミームは、過疎問題や弱者救済といった経済不合理性が正義であるという建前を持っています。
このためにプロパガンダが強欲資本主義です。
強欲資本主義という表現を裏返せば、日本は理想的な社会主義(法度制度)になります。
社会主義では、経済合理性が働きませんので、生産性があがらず、所得は急速に低下します。
ミームの視点で、日本経済をみれば、経済成長は、アイルランドと同じように、ミームの交代の問題に見えます。
3)2つの人権思想
ミームとミームの比較では、多文化主義になって、優劣がつけられません。
経済的合理性は、数学の最適解の求め方の問題であり、ミームではありません。
経済成長か付加価値を評価関数にして、関数の値を最大化する資源配分を探索します。
今のところ使えるデータが不十分なので、市場原理を使います。
将来、ビッグデータが自由に使え、その中に環境価値のデータも含まれる場合には、市場原理に替わるより良いアルゴリズムを使う可能性もあります。
経済活動は人間が行います。経済活動を最大化するためには、人間の能力を最大限活用することが必要であると推測できます。
SIM CITYのような仮想空間に社会のモデルを作ります。このモデル上で、社会制度を変化させたときに、経済成長を最大化する社会制度を探索することができます。
ルソーや、ロールズは、自然状態を概念モデルの上で展開しました。
その際に、どのような社会制度が良いかという点については、検証がなされていません。
進化論のモデルは、遺伝的アルゴリズムのシミュレーションで検証できます。
同様に、社会制度は、メタバースに実装することで、どのような社会制度が、経済成長を最大化させ、貧困を排除できるかを検証できます。
この方法を使えば、社会制度の優劣を、経済合理性と同じように、数学的最適化問題の解として解くことができます。
筆者は、個人の能力発揮の最大化を目指す人権思想が最適解になると予想しています。
仮に、最適化問題の解として、人権思想が得られた場合には、この人権思想は、ミームではありません。
つまり、人権思想は、多文化主義を超える可能性があります。
一方では、伝統的なミームとしての人権思想があります。
人権思想は、フランス革命後のフランスでは、ミームになったと思われますが、日本では、人権思想は、あっても弱いミームで、法度制度のミームに完敗しています。
数学的最適化としての人権思想は、経済発展の最大化を目指しています。
これから、経済的なダメージが非常に大きな戦争が、人権思想によって、引き起こされることはあり得ません。
正義のための戦争は、伝統的なミームとしての人権思想が引き起こすことはありますが、数学的最適化としての人権思想が引き起こすことはないと推測されます。
社会制度は、メタバースに実装して、検証することで、伝統的なミームとしての人権思想に含まれるエラーを見つけることができると予想されます。
3)アイルランド問題の考察
コリン・ジョイス氏は、アイルランドのカトリック教会のミームは、長年にわたる虐待事件が原因になって、弱体化したと考えています。
アイルランドのカトリック教会のミームの弱体化(結果)に対応する原因は、一般には、複数あります。
野口悠紀雄氏の分析は以下です。(筆者要約)
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1980年代までの通信技術では、通信コストが高すぎて、欧州の端に位置しているアイルランドから大陸の顧客に連絡をとってサービスを提供するのは、不可能でした。
人口が400万人に満たない島国では、自動車産業などの製造業が発展することは望みえません。それは、ドイツやフランスなどの産業大国の役割です。20世紀型の産業構造において、アイルランドが貧しい島国にとどまらざるをえなかったのは、必然的な現象でした。
1985年のマイクロソフトを初めとして、アメリカの多くのIT関連企業が、アイルランドに欧州本部を設置しました。
1990年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下し、アイルランドのような国に有利な世界に変わりました。
アイルランドは、1980年代の半ばから、それまで誰もが予想しなかった急激な経済成長を始めました。
この驚嘆すべき変化を形容するのに、「アイルランドがCeltic Tiger(ケルトの虎)に変身した」という表現が使われます。
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<< 引用文献
IT革命が実現したアイルランドの驚異的発展/野口悠紀雄 2020/02/25 文芸春秋
https://bungeishunju.com/n/n3879935d8091
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野口悠紀雄氏の分析では、1990年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下し、アイルランドは、その機会を活用して経済成長をしたという説明です。
この説明では、社会変化の原因は、通信コストの大幅な低下にあります。
通信コストの大幅な低下は、日本でも起こりましたが、日本では、IT産業が成長しませんでした。
こうした場合に対して、ジム・ロジャーズ氏は、覇権国やそれに近い状態になった国では、アニマルスピリットが失われるので、新産業が起こらなくなると説明します。
アニマルスピリットが失われるということは、アニマルスピリットのミームが失われた問題です。
ミームだけでは、経済成長が起こりませんが、不合理なミームが主流になると、経済成長のチャンスをみのがすと解釈できます。
4)ブルシットジョブ
経済合理に基づけば、ブルシットジョブは生まれないと思われます。
ブルシットジョブは、文化人類学の視点で提案された概念です。
これから、ブルシットジョブを取り除くことは、経済学ではできない、文化人類学のような経済学以外の学問の助けが必要であると主張している人がいます。
しかし、ブルシットジョブが、経済合理性を欠いた文化人類学のミームが生み出したものであると考えれば、問題を解決するためには、経済合理性のない文化人類学のミームを取り除く、経済合理性の視点(経済学)が必要になります。
文化人類学は、ブルシットジョブという問題点の分析には優れています。
しかし、問題を解決するためには、ブルシットジョブという問題点を分析しない経済学の理論が不可欠です。
この結果は、常識に反するかもしれませんが、帰納法によるミームの研究は、デザイン思考によって、ミームを取り除く場合には、まったく役に立たないことになります。
同様の構造は、教育問題、少子化問題等にも存在する可能性があります。
ミームが介在する場合には、問題点をしっていることと、問題を解決することの間には、関係はありません。