脇田晴子氏のミーム

ミームを理解すると問題の所在がわかります)

 

1)文化の国

 

脇田晴子氏は、日本には、天皇制を中心とした文化の社会システム(文化の国)と武力あるいは経済を中心とした実体経済の社会システムがあると考えました。

 

奈良と平安時代には、天皇制を中心とした文化の社会システムが唯一の社会システムでしたが、鎌倉時代以降には、武士の実体経済の社会システムが登場します。

 

ここで、文化の社会システム(天皇制と貴族階級)は、存続の危機になりますが、宗教などを使って生き残りを図ります。

 

その結果、戦国時代になると、鎌倉・室町時代よりも、文化の社会システムの実体経済への影響力が大きくなります。

 

脇田晴子氏は、文化の社会システムの実体経済への影響力は、アップダウンを繰り返しているという歴史観です。

 

水林章氏は、日本には、天皇制を中心とした法度制度(文化の国)が、日本語を介して生き残ってきたと考えます。

 

水林章氏は、法度制度が継続するという時間軸に対して、変動を考えない歴史観です。



2)ミーム

 

ところで、ドーキンス氏は、遺伝子と同じように、文化も、集団の世代を超えて、遺伝すると考え、遺伝する文化にミームという名前をつけました。

 

世代間の文化の継承は広く認識されていましたが、ドーキンス氏は、文化が遺伝すると考えた点が、卓越した視点でした。

 

読者は、文化の継承と文化の遺伝はどこが違うかわかりますか。

 

遺伝子は、進化します。

 

ミームも同様に進化します。

 

文化の社会システムがミームであれば、ひたすら性能がアップするという歴史観になります。

 

ウイルス(ミームの比喩)が進化して、古いワクチンがきかなくなるようなイメージです。

 

文化は、人間の心に感染するウイルスと考えることができます。

 

ドーキンス氏は、生物は、遺伝子の乗り物であると考えました。

 

遺伝子は、遺伝子が拡大する自己目的の達成のために、特定の生物を殺してしまいます。

 

ミームが遺伝する場合、人間の心は、ミームの乗り物に過ぎません。

 

人間は、自分で判断した(自己決定権がある)と思っているかもしれませんが、実態は、ミームの操り人形にすぎません。

 

ブレインウォッシングは、特定の個人の脳のプログラムコードを書き換える心理操作ですが、ミームを使えば、集団のブレインウォッシングができます。

 

文化の社会システムは、武士の実体経済の社会システムの登場によって、存続の危機に直面します。

 

進化論で考えれば、存続の危機に直面すると遺伝子と同じようにミームは多様化します。

 

そして、多様化したミームの中で、性能のよいミームが生き残ります。

 

記録が残っていないので、推測するしか方法がありませんが、武士の実体経済の社会システムの登場によって、存続の危機に直面した文化の社会システムのミームの99%は絶滅して、実体経済の社会システムを支配できる少数のミームが生き残ったと考えられます。

 

ミームが進化するという前提を受け入れれば、戦国時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代と時間が経つにつれて、ミームが心理操作をする力が強まっている可能性があります。

 

太平洋戦争中に、ミームは、特攻を起こしました。

 

特攻隊員は、奴隷のように、銃を向けられた訳ではありませんが、特攻に参加しました。

 

戦後、ミームは、モーレツ社員と過労死を生み出しました。

 

最近、イジメと自殺が問題になっていますが、ミームが原因であると解釈することは可能です。

 

イジメでは、暴力が起こることもありますが、一方では、暴力がない言葉によるイジメの場合もあります。

 

言葉によるイジメは、ミームを考えないと理解できません。



3)菊と刀

 

アメリカは、太平洋戦争で勝利して、日本を占領しました。

 

日本の占領政策については、アメリカ政府内で議論があり、最終的には、天皇制を残して、統治する方針が採用されました。

 

菊と刀」(英語版ウィキペディア)の説明は以下です。

菊と刀: 日本文化のパターン」は、アメリカの人類学者ルース・ベネディクト氏による 1946 年の日本研究であり、米国戦争情報局のために第二次世界大戦中の日本文化の分析をまとめたものです。彼女の分析は、伝統文化における一連の矛盾を参照して、戦時中の日本人の行動を理解し、予測するために依頼されました。この本は、日本占領下の日本文化についてのアメリカ人の考え方の形成に影響を与え、罪の文化と恥の文化の区別を広めました。

 

この本はベネディクト氏の戦時中の研究から生まれたもので、他の米国戦争情報局の日本とドイツに関する戦時中の研究と同様に、文学や新聞の切り抜きを通じて文化を研究する「遠く離れた文化」の一例です。映画、録音だけでなく、ドイツ系アメリカ人または日系アメリカ人への広範なインタビューも含まれています。

 

(中略)

 

アメリカ人は日本文化の問題を理解できないことに気づきました。例えば、アメリカ人は、アメリカ人捕虜が自分が生きていることを家族に知らせたいと思うこと、軍隊の移動などについての情報を求められたときに黙っていることをごく自然なことだと考えていた。しかし、日本人捕虜は明らかに情報を提供したようである。自由に行動し、家族に連絡しようとしませんでした。

 

ここでは、「恥の文化」という解釈の是非は問題にしません。

 

ベネディクト氏の執筆の動機が、「アメリカ人は日本文化の問題(日本人のミーム、筆者注)を理解できないこと」にあった点が重要です。

 

ベネディクト氏は、人類学の中で結論をだしていますが、人類学にこだわる必要はありません。

 

アメリカ人は、日本人捕虜の行動を理解できませんでした。

 

ベネディクト氏は、これは、日本文化の問題であると考えました。

 

文化が行動様式に影響を与えているので、その文化を解明するという研究計画です。

 

これは、脇田晴子氏の日本の天皇制(中世の文化論)と同じ研究計画です。

 

ベネディクト氏の著書のタイトルは、「菊と刀」です。

 

この刀は、2種類の解釈が可能です。

 

第1は、脇田晴子氏のように、天皇制を中心とした文化の社会システムが、「菊」で、武士の実体経済の社会システムが「刀」を意味するという解釈です。

 

第2は、日本の文化の社会システムは、天皇制を中心とした文化の社会システム(菊)と、武士を中心とした文化の社会システム(刀)から構成されるという解釈です。

 

第2の解釈は、1899 年に出版された新渡戸稲造氏の「武士道:日本の魂」の影響を受けています。

 

「武士道」(英語版ウィキペディア)の説明は以下です。

国内外における最近の研究は、武士階級と近代日本で発展した武士道理論との違いに焦点を当てています。武士道は時代とともに大きく進化しました。戦前の武士道は、天皇の役割を強調し、多くの徳川時代の解釈よりも忠誠と自己犠牲という天皇の美徳をより重視していました。

 

新渡戸稲造氏の「武士道:日本の魂」は、「天皇の役割を強調し、多くの徳川時代の解釈よりも忠誠と自己犠牲という天皇の美徳をより重視」しています。

 

この点では、武士道は、脇田晴子氏の日本の天皇制(中世の文化論)の一部にすぎないと言えます。

 

以上をまとめると、日本人の行動は、天皇制を中心とした文化の社会システムの支配下にあるため、アメリカ人は、日本人捕虜の行動を理解できなかったと整理できます。

 

人類学と中世の歴史学では、以上の整理で問題はありませんが、経済学や政治学では、ここで中断するわけには行きません。

 

「罪の文化」は、因果モデルですので、科学的な推論です。

 

「罪の文化」は、人類学の用語ですが、経済学と政治学の用語に置き換えれば、アメリカの経営者と政治家は、科学的な意思決定をしていると書き換えられます。

 

「恥の文化」は、人類学の用語です。脇田晴子氏の中世の歴史学では、天皇制の文化システムになります。水林章氏の用語では、法度制度になります。経済学と政治学の用語に置き換えれば、日本の経営者と政治家は、科学的な意思決定ではなく、中世の文化に基づく意思決定をしていると書き換えられます。

 

日本の経営者と政治家が、科学的な意思決定ではなく、中世の文化に基づく意思決定をしていれば、日本企業の業績は、アメリカ企業の業績に劣ります。日本の経済成長は、アメリカの経済成長に劣り、貧困問題が増大します。

 

もちろん、科学技術立国は、永久に不可能です。

 

4)象徴天皇

 

第2次世界大戦後、戦勝国アメリカとイギリスは、多くの国の復興に関わりました。

 

イランのように、石油利権に絡んで、王政を採用した場合や、逆に民主主義を採用した国もあります。その対応は様々です。

 

しかし、日本以外の国では、旧体制が崩壊したあと、内戦状態になり、複数の武力勢力が対立しています。政治は、武力闘争でした。

 

一般に、政権の力が弱まると、統治できない地域が出てきて、内戦状態になります。

 

日本の歴史では、戦国時代と徳川時代末期が、内戦状態でした。

 

日本の内戦状態の解消過程では、ミームが活躍して、天皇制の文化システムが強化されます。

 

脇田晴子氏は、鎌倉時代よりも、戦後時代の方が天皇制の文化システムの力が強かったと分析しています。

 

ミームが進化すれば、天皇制の文化システムの力は次第に強化されます。

 

アメリカ政府内の日本の占領政策の議論では、内戦の可能性が焦点になったと思われます。

 

日本は、例外的に、内戦の起こりにくい国であり、アメリカ政府内は、その原因を、武力闘争を避ける天皇制の文化システムにあると判断したと思います。

 

そこで、占領政策では、天皇制を維持して、GHQが、天皇の更に、上に位置するこという法度制度を構築しました。

 

天皇制とアメリカ追従は、同じ法度制度に組み込まれています。

 

天皇制は、宗教が、科学より上にあるというシステムです。

 

エビデンスよりも、信念を優先するシステムです。

 

象徴天皇は、法度制度を温存するための占領政策でした。

 

5)本音と建前

 

「本音と建前」(英語版ウィキペディア)の説明は以下です。

日本では、「本音」は人の本当の気持ちや願望を指し、建前は、対照的に人が公の場で示す行動や意見を指します。この区別は戦後になってから行われ始めました。 

 

人の本音は、社会から期待されているものや、立場や状況に応じて求められているものと異なる場合があり、親しい友人以外には隠されることがよくあります。建前とは、社会から期待されたり、立場や状況に応じて求められるものであり、それが本音と一致する場合もあれば、一致しない場合もあります。多くの場合、建前は、本当の心の内を暴露することを避けるために、あからさまに嘘をつくことにつながります。

 

日本文化では、公的な失敗や他者からの不承認は特に恥の原因とみなされます。ほとんどの社会的状況において、直接の対立や意見の相違を避けるのが一般的です。 伝統的に、社会規範は不和を最小限に抑えるように努めるべきであると規定しています。そうしないと、侮辱的または攻撃的とみなされる可能性があります。 このため、日本人は、特に大きなグループ内での紛争を避けるためにあらゆる手段を講じる傾向があります。この社会規範を支持することにより、 人は他人によるそのような違反から社会的に保護されます。

 

「本音と建前」は、恥の文化(脇田晴子氏の天皇制の文化システム、水林章氏の法度制度)を構成していて、日本の組織に深く、感染しています。

 

英語版ウィキペディアの説明の「(本音と建前)の区別は戦後になってから行われ始めました」 には、疑問があります。

 

「本音と建前」は、人類学の用語です。

 

建前は、形式(ドキュメンタリズム)で、文学(形而上学)の対象です。

 

本音は、内容(リアルワールド、エビデンス)で、科学の対象です。

 

こう考えると、「戦後になってから」とは言えないと思います。

 

建前を持ち出されたら、リアルワールドの全ての議論は無駄になります。

 

「日本文化では、公的な失敗や他者からの不承認は特に恥の原因とみなされます」という記述は、建前を前提にしています。

 

「ほとんどの社会的状況において、直接の対立や意見の相違を避けるのが一般的です。 伝統的に、社会規範は不和を最小限に抑えるように努めるべきであると規定しています」という記述も建前を前提にしています。

 

「直接の対立や意見の相違を避け」ても、リアルワードには変化はありません。

 

これでは、問題解決が先送りされるだけです。

 

科学では、意見(仮説)の相違は、エビデンスによって検証されます。

 

意見(仮説)の相違に、白黒をつけないのは、科学的な態度ではありません。

 

「本音と建前」(日本語版ウィキペディア)には、次のように書かれています。

 

「国会の内閣総理大臣が行う施政方針演説においては、しばしば建前論が述べられる」

 

これは、政治家の発言は、建前論であって、議論の対象にならないことを意味します。

 

岸田首相の発言は、一時期、検討使とよばれていたことがあります。

 

これは、岸田首相の発言が、建前であったことを意味しています。

 

「日本文化では、公的な失敗や他者からの不承認は特に恥の原因とみなされます」ので、岸田首相は、公的な失敗とみなされる本音ではなく、建て前の「検討する」を乱発しました。

 

野党の質問も、「公的な失敗や他者からの不承認」を認めさせて、恥をかかせることを目的にしています。

 

科学では、間違いは問題にはなりません。仮説の99%は間違いです。

 

問題になるのは、エビデンスに反した仮説の間違いを認めないこと、間違いを訂正しないことです。

 

最近流行の「論駁すること」も、間違いを認めさせて、恥をかかせることに目的があるように見えます。

 

小宮信夫氏は、次のように言っています。

 

「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の時代、ディベートを導入した学校や企業も多かったが、そこでは、議論ではなく、人格攻撃が生まれた。そのため、ディベートの普及を断念せざるを得なかった。同調圧力の強い日本では、ディベートを導入すると、自分の「ものさし」を押し付けようとするため、人格攻撃が始まってしまう。科学よりも精神論、論理よりも感情がディベートを支配するのだ。

<< 引用文献

 

日本がずっと放置してきた「宿題」...「文化」が変われば「防犯対策」も変わる 2024/01/12 Newsweek 小宮信夫

https://www.newsweekjapan.jp/komiya/2024/01/post-20.php

>>



ディベートで、人格攻撃が始まることは、ディベートが、建て前の恥の文化(中世のミーム形而上学)で進められることを意味しています。



霞が関文学という単語は、官僚と政治家の発言は、建前(形式だけ、ドキュメンタリズム)で、文学(形而上学)の対象であることを意味しています。

 

建前は、形式であって、神社のお祓いと同じで、何が起こっても予め準備した原稿を読むだけです。

 

建前論が述べられている場は、宗教行事であると言えます。

 

政治から、宗教行事を追放する必要があります。

 

脇田晴子氏の指摘したミームは、非常に強力です。

 

フランスでは、ミームの追放には、フランス革命が必要でした。

 

年功型雇用から、ジョブ型雇用への切り替えには、ミームの追放が必要です。

 

これは、越えなければならない非常に高いハードルです。