(特攻隊の人権を考えます)
1)英霊
ウィキペディアの英霊の説明は以下です。(筆者要約)
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英霊(えいれい、英靈)とは、死者、特に戦死者の霊を敬っていう語(この意味では日本語としてのみ用いられる)。また、英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、英才を指す。
日本では幕末に藤田東湖の漢詩「和文天祥正気歌」(「文天祥の正気の歌に和す」)の一節「英霊未嘗泯/長在天地間」(「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」)という漢詩の一節が志士の間で詠われ広まった。
さらに日露戦争以降、特に国に殉じた人々、靖国神社・護国神社に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた。政治的、思想的な論争の対象となることがある(詳細は靖国神社問題を参照)。
西部邁(評論家)氏、は2017年の著書で「(靖国)神社は「英霊」を祀る場所であり、そして「英(ひい)でた霊」とは「国家に公式的な貢献をなして死んだ者の霊」のことをさす。故東条英機をはじめとするA級戦犯と(占領軍から)烙印を押された我が国の旧指導者たちに英霊の形容を冠するのは、歴史の連続性を保つという点で、是非とも必要なことと思われる」、「A級戦犯と名付けられている(戦勝国によって殺害された)人々の霊(なるもの)が英霊でないはずがない」と説明している。
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さて、ここでは「英霊」問題に、水林章氏の「日本語が、法度制度を温存させていて、その結果、日本には、人権がない」という仮説を適用してみます。「英霊」のような日本語が、人権無視が起こる原因になっている可能性を考えます。
<< 引用文献
水林章著『日本語に生まれること、フランス語を生きること――来たるべき市民の社会とその言語をめぐって』(春秋社)
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例えば、ウィキペディアに、引用された西部邁氏の「歴史の連続性を保つという点で、是非とも必要」という発言は、水林章氏の文脈で翻訳すれば、西部邁氏は「法度制度を温存させる点で、(英霊と靖国神社は)是非とも必要」と発言していることになります。あるいは、「歴史の連続性を破壊する、新憲法や人権宣言思想の採用はなかったことにしたい」と発言していることになります。
これは、「日本語が、法度制度を温存させている」という文脈で読めばこうなるという解釈です。
この文脈でみれば、日本の代表的な知識人である西部邁氏は、人権宣言が理解できていなかったことになります。
WIKIBOOKSの「中学校社会 公民/人権思想と民主主義の歩み」の一部を要約します。
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人に何かを強制する力を権力といいます。
国家が国民に強制する力を国家権力といいます。
そもそも、古代や中世では、国家の主権者は、国民ではありませんでした。
国王や貴族(や教皇・法王)などの、一部の人たちだけが、その国の政治に参加していました。国王や貴族が、一般の人々を支配しており(専制支配 )、人々に重税を課していたりしました。
また、その国王や貴族は、生れながらの身分によって、誰がその地位に付くかも、ほとんど決められていました。
そしてフランス革命(1789年)によって、フランスでは、フランス国王が処刑され、専制政治が倒されます。
1789年に発表された「フランス人権宣言」は、決して単なる人権思想を主張するだけの狙いではなく、フランス革命後の政治方針という側面もあります。
フランス人権宣言(※ 日本語訳して抜粋)
第1条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。
第3条 あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。
「フランス人権宣言」は実質的に、革命後のフランスでの、当面の憲法のようなものでもありました。なお、フランス憲法は1791年に制定されました。
ヨーロッパの他の国では、国王を処刑しない国でも、選挙で選ばれた政治家からなる議会をつくらせていったりして、国王や貴族などから権力をうばっていきました。
このように、民主主義は、戦いによって、勝ち取っていったものです。
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「人権思想と民主主義の歩み」には、「国家権力はなぜ必要か」という説明があります。
一方、「人権思想と民主主義」は何故正しいかという説明はなく、「民主主義は、戦いによって、勝ち取る」ものであると説明されています。
これは、民主主義は利害関係の問題であることを意味します。
何故、民主主義が良いかという説明は、ベンサムの「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number) が、根拠になると思われます。
福沢諭吉は、福翁百話(1897)の中で、「人間万事の運動を視察するに統計の実数を利用して、以て最大多数の最大幸福を謀るが如き」といっています。
データサイエンスで民主主義を定義すれば、「最大多数の最大幸福」を評価関数とする政治制度になります。
さて、不気味なことに、「人権思想と民主主義の歩み」には、日本の民主主義は出てきません。
「人権思想と民主主義の歩み」は、「民主主義は、戦いによって、勝ち取る」ものであるといっていますが、日本は、「民主主義を、戦いによって、勝ち取った」訳ではありません。
敗戦によって、棚ぼた式で導入されています。ここには、日本には、フランス革命のように「民主主義を、戦いによって、勝ち取」った不連続はありません。
その結果、西部邁氏の「歴史の連続性を保つ」という発言が出てきたと思われます。
2)特攻隊と英霊
特攻隊員は、お国のために、死にました。
1945年以前では、このお国は、主権者である天皇です。(お国=天皇)
「お国」に、「天皇」を、代入すれば、
「特攻隊の隊員は、天皇のために、死にました」となります。
1945年に、新憲法ができて、お国の主権者は、国民になりました。(お国=国民)
「お国」に、「国民」を、代入すれば、
「特攻隊の隊員は、国民のために、死にました」となります。
しかし、この代入を新憲法以前に適用することは間違いです。
「特攻隊の隊員は、お国のために、死にました」というグレーな表現には、「特攻隊の隊員は、天皇のために、死にました」ということは、理解しているが、それでは、死者があまりに可哀想なので、「特攻隊の隊員は、国民のために、死にました」とみなして欲しいという願望が見え隠れします。
2-1)Yahoo知恵袋
Yahoo知恵袋にこの問題に対する答えがありました。
Q:
神風特攻隊は英霊ですよね? 私は彼らのお陰で今の日本があります!彼らは日本のためや大切な人のために行って、逝きました! 特攻するとき彼らは「母さん」と叫んで特攻します! 理解してない人は彼らは天皇陛下万歳と言って特攻したと紛れもない証拠もない発言してます! 今日本人ならば彼らを理解しようと求めるべきですよね?
A:
はっきり言って、特攻隊で亡くなった方は、犬死にだったと思います。いや、正確に言うと、「犬死にさせられた」のだと考えます。もちろん、これは特攻隊員の多くが抱いていた「純粋に国や家族を思う気持ち」とは、別の問題です。
彼らが散っていった大戦後期から末期は、冷静に見れば、もはや戦局の逆転は無理だということが明らかでした。特攻を指示した軍の中枢も、戦闘機に250キロ爆弾を積んで敵艦に体当たりしたところで、ただちに撃沈できないことはわかっていたはずです。ごく幸運な場合として、撃沈できた例もありますが、多くの場合は損傷を与えただけに終わっています。それ以前に、敵艦を見つける前に、敵機に撃墜されたものも非常に多くありました。さらに、戦争末期には、複葉の練習機まで特攻に駆りだしていますが、これなどは、最初から成功の見通しなどなく、兵を無意味に殺すというとんでもない作戦でした。
それでも、レイテ沖海戦当時の、最初の特攻は、まだしも作戦の成果がありました。しかしその後の特攻は、戦局にさしたる見通しもなく、ただ、特攻のためにつづけられたようなものです。もし、特攻で散って行った数万の若者が生きていれば、戦後の日本にどれほどの貢献ができたことか。それを思うと、特攻を続けさせた軍の中枢部には、怒り以外、感じるものはありません。
特攻で生き残った人の証言、残された手紙などを読むとわかりますが、彼らだって決して死にたくてたまらなかったわけではありません。
彼らを英霊と崇めるのは、個人の自由の範疇です。よって、私は特攻隊が英霊であると信じている人を、特に非難する気はありません。
しかし、私自身は、彼らをただ英霊と崇めるだけでは、彼らの魂は浮かばれないと思います。誤解を恐れずに言うなら、彼らの死が犬死にだったこと、そのような作戦がなぜ採用されてしまい、つづけられてしまったのか、そういう作戦を指示した軍部とは何だったのか、さらには戦争とはどのようなものなのか。そういったことを、冷静に見極め、これからの社会や未来の世界に活かしてこそ、特攻で散って行った若者たちの魂も慰められる。そのように信じます。
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<< 引用文献
Yahoo 知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1386152768
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回答者は、「誤解を恐れずに言うなら、彼らの死が犬死にだったこと、そのような作戦がなぜ採用されてしまい、つづけられてしまったのか、そういう作戦を指示した軍部とは何だったのか、さらには戦争とはどのようなものなのか。そういったことを、冷静に見極め、これからの社会や未来の世界に活かしてこそ、特攻で散って行った若者たちの魂も慰められる。そのように信じます」と書いています。
しかし、ここには、人権問題(特攻隊員の人権無視)は出てきません。
水林章氏の「日本語が、法度制度を温存させていて、その結果、日本には、人権がない」という仮説は、ここでもあてはまるように思われます。
2-2)フランス革命の思考実験
フランス革命では、国王政府は1789年の7月11日にはスイス人連隊、ドイツ人騎兵連隊、フランス衛兵隊からなる2万の兵をパリに集結させています。
一方では、臨時に招集された市政委員会のもと、自衛と秩序保持を目的としてブルジョワによって民兵隊が結成されます。
国王政府側の軍隊の死亡者を、お国のために死んだ英霊と言えるかと考えると難しい気がします。
スイス人連隊とドイツ人騎兵連隊は、傭兵と思われます。今世紀で言えば、ワグネル、前世紀でいえば、フランスの外人部隊のようなものです。彼らには、お国のためという意識はなく、あくまで、ハイリスク、ハイリターンのビジネスと考えています。
フランス衛兵隊の意識は、よくわかりません。しかし、傭兵と一緒に活動していれば、傭兵以上に働くモチベーションがあったとは思われません。傭兵が逃げだせば、フランス衛兵隊も逃げ出したと思われます。
フランス衛兵隊に特攻を命令しても、実現不可能であったと思われます。
フランス革命では、兵士が、特攻で犬死する以前に、戦闘が終っていて、兵士が犬死したか否かの問題は起きないと思われます。
こうして見ると、日本の法度制度の特攻隊は、フランス革命以前の封建制度より、強固な上下関係(封建制度)を構成していたことがわかります。
2-3)「特攻」の慰霊顕彰事業
戦後、「特攻」の慰霊顕彰事業が多く行なわれます。
知覧特攻平和会館のような平和祈念館に設置される慰霊碑もありますが、慰霊碑の多くは、神社に設置され、法度制度の中に組み込まれています。
靖国神社は、その典型です。
神社に、特攻の英霊の慰霊碑を作る事業は、法度制度の継続です。
つまり、ここには、人権無視が戦争や特攻を引き起こしたという視点はありません。
戦争の回避のためには、人権が必要です。
Yahoo知恵袋の回答者が言うように「特攻隊員を英霊と崇めるのは、個人の自由の範疇」です。
神社に、特攻の英霊の慰霊碑を作る事業は、個人の自由の範疇です。しかし、これは、法度制度の継続であり、人権無視に配慮していません。
個人の思想や信仰は自由です。
だからといって、国民の大多数が、法度制度を支持すれば、人権は失われ、民主主義は崩壊します。
ジェンダーギャップは、法度制度の中で、固定化されます。
個人の思想や信仰は自由ですが、人権思想を主張する人が、いなくなれば、民主主義は崩壊します。
政治家が靖国神社に参拝します。参拝の理由は、政治家の思想信条にあるのか、有権者の関心をかって、投票を期待した行動なのかは不明です。
英霊をまつる靖国神社は、人権思想の民主主義とは相容れません。
ところが、ウィキペディアの靖国神社問題には、人権問題の記載はありません。
靖国神社参拝は、法度制度の維持であり、人権問題を抱えているという意識を持っている人がいないことになります。
海外で靖国神社問題を取り上げる場合には、単純に、日本の人権問題はだいじょぶかという疑問に由来する場合も考えられます。
角田燎氏は、特攻隊慰霊顕彰会では、 2000 年代から戦後世代の自衛官 OBを勧誘しているといいます。
<< 引用文献
戦後派世代による「特攻」の慰霊顕彰事業 立命館大学人文科学研究所紀要(127号)角田 燎
https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/record/14400/files/rb_127_tsunoda.pdf
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3)法度制度と労働市場
筆者の関心は、科学技術とそれを応用して生活を豊かにする経済にあります。筆者は、思想問題に踏み込んだ検討は、出来るだけさけています。
しかし、微分方程式で表現できる経済学は、市場原理を前提としています。
労働市場が成立しないと経済学の理論は無効になります。
フランス人権宣言の次の条項は、労働市場を担保しています。
第1条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。
第3条 あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。
兵士の労働市場があれば、特攻は起こりません。
特攻には、経済的な合理性はありません。
特攻を選べば、敗戦することは自明です。
それにもかかわらず特攻が選択された理由は、人権無視の法度制度にあります。
水林章氏は、法度制度が追放できない限り、市民社会にはならないといいます。
法度制度には、人権無視で、労働市場がありません。
法度制度は、経済的合理性(市場原理)とは相容れません。
法度制度は、上位の人が、下位の人に、命令を出します。
その場合には、命令の合理性や説明責任が問われることは、ありません。特攻命令のパターンを再現します。
親ガチャ、上級国民、過労死といった言葉は、法度制度の言い換えです。
ある組織が、人権のある市民社会ではなく、法度制度で動いている場合、組織のトップは、経済合理性などの説明もなく、命令を出す権利があると考えます。簡単に言えば、ポストについた人治主義です。
法度制度で動いている場合、組織のトップは、人治主義が当然と思っていて、民主主義と人権は理解していません。
法度制度で動いている場合、組織のトップとは、議論ができません。
Yhaoo知恵袋の回答者は、「特攻がなぜ採用されてしまい、つづけられてしまったのか、そういう作戦を指示した軍部とは何だったのか、さらには戦争とはどのようなものなのか」と書いています。
特攻が採用された理由は、組織が人権無視の法度制度で動いていたからです。
特攻作戦を指示した軍部は、法度制度の組織でした。
戦争は、法度制度の組織が計画した事業でした。
現在では、戦争が行なわれていないので、特攻はありませんが、上位の人が、下位の人に、無条件に命令を出す法度制度は顕在です。その結果、他の先進国に比べ、自殺や過労死が多くなっています。これを、姿を変えた特攻とみることもできます。
市民社会の職業組織は、ジョブ型雇用になります。
ある組織が、法度制度で動いているか否かは、組織が、実力ではなく、ポストの上下関係で構成されているかを見ればわかります。
政党や大企業の多くは、法度制度で動いています。
そこには、人権、経済合理性、合理的な説明はありません。
例えば、大阪万博の中止か、継続かは、費用対効果の値を使えば、合理的な説明が出来るはずです。
能登地震被害の復旧と大阪万博の建設の競合の可能性は、必要とされる建築工事量の推定値を比較すればわかります。通常の建築工事量A、大阪万博の建築工事量B、能登地震被害の復旧の建築工事量Cの比較です。
トップがこうした合理的な根拠に基づく説明をしない場合、その組織は、法度制度で動いています。
水林章氏は「日本語が、法度制度を温存させていて、その結果、日本には、人権がない」といいます。
水林章氏が「日本語の問題」というように、法度制度は、日本にあまねく温存されています。
2世議員、3世議員の比率が上がっているように、政治家の法度制度は強化されています。
日本経済と日本の科学技術は、太平洋戦争の敗戦過程を再現しているように見えます。
世界中が、DXを進めているにもかかわらず、日本だけは、経済合理性を無視して、DXから取り残されています。
水林章氏の法度制度の視点でみれば、日本経済と日本の科学技術が、太平洋戦争の敗戦過程を再現しているのは、必然的なプロセスです。
特攻隊員を英霊として、慰霊することは、一見すると特攻隊員が犬死ではなかったと扱うことで、死者に敬意を払っているようにみえます。
しかし、その代償として、自殺や過労死といった隠れ特攻を再現させ、さらには、先進国からの脱落という第2の敗戦に向かって邁進しています。結果としては、間違いが繰り返されている訳で、英霊として、慰霊では、特攻隊員の死が生かされていないようにみえます。