特攻問題の研究(3)パーティ券と人権

(パーティ券問題の本質は人権問題です)

 

1)財産権の課題

 

野口 悠紀雄氏は、パーティ券問題について、次のように書いています。(筆者の一部抽出)

 

自民党裏金問題は、納税義務において、政治家が一般国民と別扱いされていることを明らかにした。国民の怒りは、その点に向けられている。

 

国民は、政治資金規正法で課された公開義務に違反したことを怒っているだけではない。納税というきわめて重大な問題に関して、自分たちと政治家が、まったく異なる扱いを受けていることに対して怒っているのだ。

 

東京新聞の記事では、「提出された確定申告を見て、必要があれば調査する」ということになっているのだが、裏金問題は今年だけの問題ではなく、これまで長年にわたって続いてきたものだ。過去の申告について、国税庁はどのような判断をしたのだろうか?

 

政治家は、税制を決めるが、自ら税を負担することは少ない。税を負担するのは国民であって、政治家はその例外、という世界になっているとしか思えない。

 

(税の)負担の公平こそが重要だ。

<< 引用文献

自民党パーティーキックバック裏金事件がもたらした日本の危機、「政治家だけは特別」が通れば国民の税負担意識は崩壊 2024/02/25 現代ビジネス 野口 悠紀雄

https://gendai.media/articles/-/124725?imp=0

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第1の論点は、納税義務において、政治家が一般国民と別扱いされていて、(税の)負担の公平がないという指摘です、

 

第2の論点は、国税庁はどこまで公平に調査してくれるかという疑問です。

 

年功型雇用で、国税庁の人事は、間接的に、政治家が握っていますので、第2の論点は、かなり難しいという答えになります。

第1の論点については。デーブ・スペクター氏は、2月24日午後7時に「国民は納税、政治家はNO税」とポストしています。

 

野口 悠紀雄氏、あくまで、「公平」という表現に止まっていて、人権問題であるとはいっていません。

 

しかし、「政治家は、税制を決めるが、自ら税を負担することは少ない。税を負担するのは国民であって、政治家はその例外、という世界になっているとしか思えない」問題に対しては、現行の税制を政治家が、利益誘導に制定できない根拠が必要になります。

 

筆者は、その根拠は、自然法の人権にあり、新憲法を守ることにあると考えます。

 

2)人権問題

 

同じ25日の現代ビジネスで、鈴木宣弘氏と森永卓郎氏が、「私は財務省の奴隷だった」と人権問題らしいタイトルで、対談しています。一部を引用します。

 

もと、農林水産省官僚で、現在は、東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘氏

 

農水省の残業代って実績の10分の1しか出なかった。一方で財務省の残業代は100%出ていた。

 

もと、日本専売公社社員で、現在は、獨協大学経済学部教授の永卓郎氏:

 

農水省は独立した予算を持っているからまだましですよ。私は日本専売公社と、経済企画庁にいたんですよ。財務省からは「植民地」と呼ばれていました。

 

私は専売公社に入社後、主計課というところに配属されて、財務省(大蔵省)の主計局大蔵二係という部署に詰めていました。文字通り、部屋の前の廊下にずっと座って待っているんです。中から「おい、森永!」と呼びつけられて、2秒以内に駆けつけないと担当者の逆鱗に触れるからです。

<< 引用文献

「私は財務省の奴隷だった」…他省庁の予算は削るくせに、自分たちにはカネを回す…森永卓郎が証言する財務官僚たちの「呆れた実態」2024/02/25 現代ビジネス 鈴木 宣弘 森永 卓郎

https://gendai.media/articles/-/124297

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タイトルは、「私は財務省の奴隷だった」なのですが、何故か、お二人とも、人権侵害を受けていた(憲法違反だった)という認識が感じられません。

 

お二人の発言からすれば、霞が関では、新憲法は通用せず、明治憲法が通用していることがわかります。

 

これは、水林章氏の天皇制を中心とした法度制度に対応します。

3)上級国民

 

上級国民とは、一般国民とは異なる上級の国民を表す、インターネット上などで用いられている俗語です。2015年と2019年にユーキャン新語・流行語大賞の候補になりました。

 

2019年8月に発売された橘あきら氏の「上級国民・下級国民」(小学館刊)は、発行部数は13万部のベストセラーになりました。

 

上級国民の最初の用例は、1916年大正デモクラシーの際に憲法学者の佐々木が「立憲非立憲」の中で「門地や職業に依て限られた範囲の国民」を「上級国民」と名付けた場合です]。

 

つまり、上級国民のルーツは明治憲法の時代の政治にあります。

 

橘あきら氏の「上級国民・下級国民」を読んだ人のコメントには、次のようなものがありました。

確かに、日本では人種差別のような分かりやすい差別はありませんが、「肩書き=身分」という目には見えない差別は職場内でもあります。

 

他にも年収や学歴偏差値、容姿、男女問題など、広く捉えれば、子供時代から差別意識を無意識に持っているのかもしれませんし、そういう社会構造だと思います。

 

ただ本当の所、どうなんでしょうね…。

 

橘あきら氏の「上級国民・下級国民」は、日本だけでなく、世界で分断が進んでいるという視点でまとめられています。

 

人権宣言を読めば、「肩書き=身分」は、明確に人権侵害です。

 

多くの人が日本には、人権侵害がないと考える根拠は新憲法にあります。

 

しかし、政治家は、年功型雇用の人事権をつかって、法度制度(明治憲法)を温存させています。これが、「国民は納税、政治家はNO税」が可能になる原因です。

 

橘あきら氏は、分断は、トランプ政権下のアメリカでも拡大したと言います。

 

しかし、日本に法度制度(明治憲法)が生き残っていることを考えれば、これは、アメリカの公民権運動以前の世界に相当します。下級国民は、アメリカの有色人種にあたります。

 

こう考えると、上級国民という言葉は、法度制度(明治憲法)の本質を言い当てています。

 

遺族会は、靖国神社に礼拝にいっていると思われます。

 

しかし、人権無視の特攻作戦を引き起こした原因が明治憲法であることを考えれば、靖国神社の礼拝には、人権無視を見逃すリスクを感じます。