(憲法と人権問題を考えます)
1)明治憲法の亡霊
人権思想に基づく新憲法では、個人の権利は、集団の権利を優先します。
明治憲法では、集団(典型は、国体)の権利は、個人の権利を優先します。
戦後、新憲法ができましたが、全ての個別法を新憲法に合わせてバージョンアップしていません。
戦後、新憲法が出来ましたが、全ての裁判官を首にして再雇用した訳ではありません。
1946年(昭和21年)1月4日附連合国最高司令官覚書「公務従事に適さない者の公職からの除去に関する件」により、以下の「公職に適せざる者」を追放しています。7分類(A項からG項まで)あります。
戦争犯罪人 A項
陸海軍の職業軍人 B項
超国家主義団体等の有力分子 C項
海外の金融機関や開発組織の役員 E項
満州・台湾・朝鮮等の占領地の行政長官 F項
つまり、明治憲法の人権無視の思想から抜け出せない裁判官も温存されたことがわかります。
その結果、建前は、人権のある個人優先で、本音は、集団優先のダブルスタンダードが形成されます。
この本音は、水林章氏の言う「日本には、天皇制を中心とした法度制度(文化)が、日本語を介して生き残ってきた」という部分に対応します。
2)1票の格差
選挙の1票の格差は、最高裁で争われますが、この判決は科学の方法とは相容れません。
最高裁は、1票の格差を算出するアルゴリズムを公開していません。
これは、ブリーフの固定化が、科学の方法ではなく、権威の方法で行われていることを示しています。
判決で、アルゴリズムを示せば、次の選挙からは、合法な定員になります。
なぜなら、議員定数を改訂しないと選挙が無効になりますので、選挙の前に、必ず定数是正が行なわれます。
新憲法の人権思想に基づけば、許容される1票の格差は、2未満です。
2以上になることはありません。
最高裁は、行政の連続性と地域格差の是正を考慮していると思われます。
地域格差の是正は、集団を個人に優先する明治憲法の論理で、人権を無視しています。
人権思想では、職業選択の自由と移動の自由がありますので、地域格差の是正は、考慮してはいけません。
地域格差の是正は、過疎問題の正義であり、政治主導(利権政治)に、最高裁がお墨付きを与えていることになります。
行政の連続性は、人権無視の明治憲法の亡霊です。
フランス革命では、行政の連続性はありませんでした。
人権は、行政の連続性に優先します。
過去に遡って、選挙をやり直すことは不可能です。
その場合には、アルゴリズムを示した次の選挙からは、この判定基準を満たさなければ、選挙は無効になると明示すれば良い訳です。
最高裁の判決は、明治憲法の亡霊の残っている現在の法体系では合法ですが、新憲法の人権思想に違反している可能性が高いと推定できます。
3)裁判権と科学の方法
裁判官は、判決を先例主義で行ない、判決の引き起こす社会的影響を考慮していないように見えます。
科学の方法を使って、判決の引き起こす社会的影響を考慮するためには、経済学、医学、生物学などの諸科学の知識が必要です。
裁判官は、裁判の内容によっては、諸科学の勉強をしていますが、基礎教育を受けていなければ、理解が困難な部分もあります。この困難は、常識的な判断がまったく通用しない統計学などでは大きなハードルになります。
医学博士の裁判官、データサイエンティストの裁判官はいません。
裁判官は、こうした科学の専門家に助言を求めるだけです。
ここには、人文科学の方法によるブリーフの固定化(判決)は、科学の方法によるブリーフの固定化(判決)に優先するという前提があります。
アメリカの主流の思想であるプラグマティズムでは、科学の方法は、人文科学の方法である固執の方法(前例種)、権威の方法、形而上学より優先します。
つまり、アメリカでは、人文科学の方法が、科学の方法を優先することはありません。
裁判官には、権威がありますが、判決は科学の方法に照らし合わせて合理的とは思われない場合があります。
社会は変化しますので、前例に基づく判決が、以前とはまったく異なった社会的な影響を与えることがあります。
例えば、解雇規制は、労働市場を阻害して、中抜き経済を通じ、労働者の権利を侵害している可能性があります。
4)1票の格差の因果モデル
1票の格差について、最高裁は、個別法を優先して、個人の人権が、地域格差の是正などの集団の利権によって制限されるという判決を出してきました。
ここでは、判決の是非を問題にしている訳ではなく、歴史的な事実を述べています。
1票の格差が選挙の結果に及ぼす影響の感度は高いです。
2000年代に、人口の少ない農村地域を基盤とする議員や族議員が相次いで落選する時代がありました。
その頃のトレンドでいえば、人口の少ない農村地域を基盤とする議員や族議員が当選する時代はそろそろ終わりになると考えられていました。
しかし、2020年代になっても、人口の少ない農村地域を基盤とする議員や族議員は、当選しています。
これは、平均年齢が上がって、高齢者人口が増えたこと、一方では、出生率の低下によって、人口の少ない農村地域を基盤とする議員や族議員に対応する候補者が当選できなくなったことを意味しています。
さて、ここでアブダクションを使います。
1票の格差が原因にあって、生じた結果を考えます。
2000年代に、1票の格差が2倍未満に調整されていたと仮定すると、どのような変化が生じていたでしょうか。
人口の少ない農村地域を基盤とする議員や族議員に対応する候補者は落選していたはずです。
過疎問題と拡張された過疎問題を使った政治主導(利権政治)はなくなったと思われます。
中抜き経済はなく、若年層の低賃金問題は、おこらず、出生率は、余り低下せず、経済成長が実現していたはずです。
モデルを作って詳しい検討をしてくれる専門家に期待しますが、2024年の日本とは、まったく異なった社会になっていると思われます。
最高裁判所の裁判官は、こうした社会変化が起こることを確信して、1票の格差が2倍をこえても合憲であるという判決をだしたのでしょうか。
科学的な因果モデルによれば、裁判官は、その判決が与えた社会的変化について、責任があります。