デザイン思考とジョブ型雇用の評価

(ジョブ型雇用の評価はデザイン思考です)

 

1)帰納法の欠陥

 

ジョブ型雇用の能力評価は、成果ではなく、デザイン思考能力です。

 

このことが理解されておらず、ジョブ型雇用は成果主義であると勘違いされているので、具体例を使って説明してみます。

 

デザイン思考の対極にある視点が、帰納法と経験主義です。

 

生物は、進化の過程で、経験主義の認知バイアスを遺伝子にプログラムされています、

 

経験主義は、科学とは相容れないのですが、これを乗り越えるのは、至難の技になります。

 

遺伝子にプログラムされていると思われるもう一つの認知バイアスは、確実な知識があるという信念です。

 

この第2の認知バイアスは、宗教になったり、帰納法の正しさになったりします。

 

能登地震では、孤立集落の救助が遅れました。

 

また、これからの復旧計画でも、孤立集落の復旧計画が問題になっています。

 

しかし、これには、違和感があります。

 

過疎問題の専門家は、おおぜいいます。

 

専門家の多くは、過疎集落の実態を調べて、良く知っています。

 

これは、帰納法であり、経験主義です。

 

地震の被害は、過疎化を促進しましたが、地震の被害がなくとも、過疎集落の将来計画は、必要でした。



地域格差是正のために、都市から地方に、税を使った公共事業を通じて所得移転することをぶちあげたのは、田中角栄氏の「日本列島改造論」でした。

 

田中角栄氏は、過疎集落にトンネルをつくって、公共投資で、過疎対策ができることを示しました。

 

筆者は、都市から地方に、税を使った公共事業を通じて所得移転することは、経済合理性がらありえない科学的に間違った政策であると主張します。

 

過疎問題は、間違った政策を正当化するためのツールに過ぎないと考えます。

 

実際に、能登地震では、トンネルによる過疎化対策の恩恵のない孤立集落が沢山ありました。

 

すべての過疎集落にトンネルをつくるような過疎対策は、実現不可能であり、集落は選別され、それが、パーティ券の利権に繋がっています。



2)デザイン思考の評価

 

能登半島地震の復旧・復興計画が問題になっています。

 

東日本大震災の復旧・復興に関わったある行政マンは、次のような主旨の発言をしています。(筆者要約)

 

ここでは、発言者を批判するつもりはありませんので、出典はあえて書きません。

 

2011年の東日本大震災のときに、復旧・復興は、「元に戻す」という発想でやりました。「どの場所に移るか」について、行政官と専門家を交えて、住民同士で議論しました。地元の意見にしたがって、元の場所に、災害公営住宅などをつくりました。人口が減った結果、病院や商店などは再開せず、仕事もなく、生活が成り立たなくなった結果、住宅ができても人は戻りませんでした。

 

市街地に住宅を移してもらい、漁師さんにはそこから漁港に通ってもらうようにすべきでした。そのほうが、住民の生活環境も良かったです。

 

高齢者数人しかいないとか、跡を継ぐ子どももいない「小さい集落」の復旧は、難しいです。

 

能登半島地震の復旧・復興計画では、「復旧の優先順位」を考えて、市街地や中心集落に移住してもらう「選択と集中」は避けられないでしょう。

 

発言している人は、東日本大震災の復旧・復興の経験が、能登半島地震の復旧・復興計画にも役に立つと考えています。

 

この推論は帰納法です。

 

しかし、土地利用計画とTRIMODEプロジェクトを知っている読者には、デザイン思考ができると思います。

 

公共投資の優先順位」を考えて、市街地や中心集落に移住してもらう「選択と集中」が避けられないという問題は、1972年の日本列島改造が引きおこした問題です。土地利用計画に従った開発と保全が出来ていれば、1972年に「選択と集中」の第1案の土地利用計画が出来て、その後、改訂されてきたはずです。

 

そして、これを阻害したのは、過疎問題を作りだして、政治主導で、過疎地に過大な社会基盤の整備を続けた政治にあります。

 

TRIMODEプロジェクトのように、連立微分方程式をといていれば、人口移動と道路整備の相互作用が考慮されていますので、住宅ができても人は戻らないことは自明です。

 

つまり、東日本大震災ではデザイン思考ではありえない復旧・復興がなされました。

 

東日本大震災の復旧・復興で、住宅ができても人が戻らなかった原因は、専門家と行政マンが、経験主義と帰納法からぬけだせず、デザイン思考ができなかったことにあります。

 

言い換えれば、連立微分方程式が理解できず、TRIMODEプロジェクトのような問題解決ができなったことに原因があります。

 

「If all you have is a hammer, Everything looks like a nail」 という英語のことわざがあります。日本語の直訳は、「ハンマーしか持っていなければすべてが釘のように見える」 となります。

 

帰納法のハンマーだけしか持っていない人は、どの問題でも帰納法で解決しようとします。

 

科学のリテラシーが無ければ、デザイン思考はできず、問題解決はできなくなります。

 

これが、1959年にスノーが、「2つの文化と科学革命」で、人文科学の教育を減らして、エンジニア教育を充実させた理由です。

 

日本の大学の文系では、入学試験に数学を必修にしていません。これは、帰納法のハンマーだけもっていればなんとかなるという間違ったアイデアです。

 

3)ジョブ型雇用の評価

 

筆者は、ジョブ型雇用の評価は、実績主義ではなく、デザイン能力の評価にあると書きました。

 

この文章が、読者に、正確に理解されたか、わからないのですが、東日本大震災の復旧・復興の事例をみれば、理解できたと思います。



4)復旧についての補足

 

2011年の東日本大震災のときに、復旧・復興は、「元に戻す」という発想で行なわれています。

 

日本では、復旧は元に戻すことを意味します。

 

これは、自然崇拝の宗教観に基づいています。

 

キリスト教では、世界は、神様がデザインしています。

 

復旧とは神様の本来のデザインに戻すことを意味します。

 

つまり、キリスト教の世界観では、復旧・復興は、機能を「元に戻す」という発想で行なわれます。

 

「人口が減った結果、病院や商店などは再開せず、仕事もなく、生活が成り立たなくなった結果、住宅ができても人は戻らない」状態は、機能が元に戻っていませんので、復旧とは言いません。

 

これは、災害復旧だけでなく、自然保護でも大きな違いを生み出します。

 

キリスト教の世界観では、神様の本来のデザインに、人間が介入して不正が起こっていないかをチェックします。

 

機能発現のモニタリングが欠かせないことになります。