(デザイン思考と前例主義の違いを説明します。)
1)デザイン思考
デザイン思考は、少数の原理をつかって、設計図をつくります。
過去の事例は少ししか、参考にしません。
デザイン思考の典型は、中華料理のメニューに見ることができます。
中華料理のメニューは、「材料X調理法」で出来ています。
材料は、肉(牛、豚、鶏)、魚、調理方法は、油で炒める、油で揚げる、蒸すといった選択です。
材料を1つ選び、調理方法を1つ選べば料理がきまります。
データサイエンス的にみれば、データ(材料)とアルゴリズム(調理法)で、アウトプット(料理)が決まります。
このように、中華料理は、デザイン思考でできています。
これは、原因(データ、アルゴリズム、または、材料、調理法)から、結果(アウトプット、出来上がった料理)を推論する順方向の推論です。
しかし、美味しい料理を食べるには、逆方向の推論であるアブダクションが必要になります。
結論(美味しい料理)から、アブダクションによって、材料と調理法を工夫すればよいことになります。
レシピ本は参考にはなりますが、材料と調理法がまったく同じではないので、コピーする価値はありません。
アブダクションは、当たり前の推論ですが、日本は、この推論ができない社会になっています。
2)前例主義
政府の対策には、評価関数(目的)はありません。
住宅の取り壊し費用は、自治体と政府の負担で行なう計画です。
しかし、生活再建については、少額の補助が出るだけで、解決の目処はたっていません。
より正確に言えば、生活再建を評価関数にした対策ではありません。
マスコミは、阪神淡路、東日本大震災、ハリケーンカトリーナの前提を引いています。
阪神淡路と東日本大震災では、生活再建は、評価関数(目的)ではありませんでした。
簡単にいえば、阪神淡路と東日本大震災は失敗事例ですので、前例を引いても意味がありません。
東日本大震災では、1500万円で仮設住宅を建設して、その後、壊しています。
恐らく、1戸あたりの費用は、2000万円を超えていると思われます。
日本国憲法は、大日本帝国憲法のバージョンアップになっていますが、大日本帝国憲法のルールに従って、天皇がバージョンアップしたわけではありません。
GHQの指導の元に、自然法にもとづいてバージョンアップしています。
今後、仮に、日本国憲法を改正する場合、改正の根拠は、自然法にあり、国民の良識に根拠があります。
法律を文言に合わせて判断する方法は、実定法主義と呼ばれ、前世紀の前半では、主流でしたが、実定法主義では、ナチスの台頭を阻止できなかったという反省があり、現在では、自然法が基本になっています。
少なくとも、国連や、ネットワークの利用問題のような国境を超える課題に対しては、自然法を前提にしなければ、問題解決ができません。
これは、法律の専門家の発言よりは、国民の良識が優るということを意味します。
憲法が、国民の良識に合っていなければ、憲法を改正すべきという結論になります。
日本国憲法は、人権を認めていますので、被災者の最低限の生活再建は、国家の義務です。
企業などの法人には、人権はありませんので、被災した企業の救済は、国家の義務ではありません。
自民党は、パーティ権問題があっても、パーティは今後も続けるつもりです。
自民党の政治の目的は、企業へのキャッシュバックにあると判断できます。
政府は25日、能登半島地震に関する政府の非常災害対策本部で、「被災者の生活と生業支援のためのパッケージ」を決定しました。
これは、企業へのキャッシュバックです。
個人の救済を放棄して、企業へのキャッシュバックをすることは、人権の無視です。
この政策を続ければ、被災者に自殺者が出ます。
能登の住民は、高齢者が多いです。収入のない高齢者の自力での生活再建は不可能です。
あと、10年か、20年しか命がないので、定期借地に、2000万円の住宅を建てれば、それで生活再建に足ります。
政府は、復興をキーワードに、関連業界に、補助金を還流して、選挙対策するつもりです。
ここには、人権がありません。
太平洋戦争の特攻と変わりません。
政府が政策の目的(評価関数)を設定しない理由は、目的を設定すると、政策効果のない企業へのキャッシュバックができなくなるためと思われます。