リベラルアーツが有害である証明(6)

12)経験と学習の違い

 

リベラルアーツが支持する法度主義は、経験主義です。

 

経験主義は、科学的な間違いです。

 

第1の理由は、過去は繰り返さない、トレンド予測は、因果モデルではない点にあります。

 

過去の知識は、将来の問題解決の役にたちません。

 

30年位までのアクセス可能な知識の量が少ない場合には、それでも、知識がないよりは、知識があった方がマシだろうという判断もあり得ましたが、ビックデータにアクセスできる現在では、「過去の知識は、将来の問題解決の役にたたない」と断言できます。

 

それでは、「何が将来の問題解決の役にたつか」と言えば、科学的な推論になります。

 

第2の理由は、学習が経験に優る点にあります。

 

ここでは、後者を考察してみます。

 

学習は、潜在変数なので、コンテキストにより内容が異なる多義語です。

 

初期の大学は、ボローニャにできました。

 

ボローニャの大学では、最初に講義が発明され、その後、教科書(あるいは学生の講義録)が発明されました。

 

講義の中心は、神学です。

 

教会で、先輩の聖職者について学ぶよりも、大学で、講義をうけた方が効率的でした。

 

一方、日本の年功型組織では、OJTが普通です。採用に当たっては、大学の成績などの大学の講義の価値を認めている組織は例外です。

 

しかし、ボローニャの大学は、OJTより、講義が効率的なので、始まったと思われます。

 

日本では、OJTの内容に対応した講義をしてない大学が多いのかもしれませんが、そうであれば、企業は、講義内容の改善を求めるべきです。

 

ボローニャの大学の留意点を考えます。

 

教科の中心は、神学であり、形而上学でした。

 

つまり、ボローニャの大学の講義内容は、実際の企業で必要とされるOJTの内容には対応していませんでした。

 

1959年にスノーは「2つの文化と科学革命」で、この問題を提起しました。

 

高等教育は、(OJTに代わりうる)実際の企業で必要とされる内容を扱うエンジニアリング教育でなければ、国の経済は傾くという主張です。

 

2つの文化とは、科学的文化(エンジニアリング)と人文的文化(リベラルアーツ)です。

 

エンジニアリングでは、学習とは、デザイン思考の設計能力を身につけることです。

 

デザイン思考で設計ができるようにならなければ、学習ができたことにはなりません。

 

エンジニア教育では、設計図をつくること、その設計図にしたがって、実際にモノを試作することが学習の過程になります。

 

現在の日本の大学のカリキュラムは、人文的文化(リベラルアーツ)の暗記中心に教育を行なうようにガイドラインが出来ています。

 

その結果、まともなエンジニア教育が何かが、わからなくなっています。

 

実物大のモノを作るには、時間とコストがかかります。

 

しかし、縮小模型であれば、安価にできます。

 

仮想空間のデータであれば、更に、安価にできます。

 

3Dプリンターや、CAD・CAMソフトを使えば、設計図にしたがって、実際にモノを試作することは、簡単にできます。

 

しかし、そのような教育ツールが整備されている大学は少ないと思います。

 

要するに、現在大学でおこなわれているエンジニア教育は本来のエンジニア教育とはかけ離れています。その結果、現在大学でおこなわれているエンジニア教育をもとに議論を進めると議論が混乱します。

 

日本の教育は、異常な状態になっています。

 

国家試験の資格を取るためには、実務経験が、何年以上必要という基準が使われることがあります。

 

しかし、何年以上の実務経験が必要であるということは、大学の教育の失敗に他なりません。

 

なぜならは、歴史的にみれば、大学の教育とは、実務経験を圧縮したカリキュラムで形成されているからです。

 

日本の大学の教員は、外国語の教科書を日本語に翻訳して教えてきました。

 

日本の大学の教員で、実際に、設計のできる人は少数派です。

 

大学の教員は、実務ができないということで、最近では、実務経験者を大学教員に採用しています。

 

経験があれば、設計ができるだろうという発想です。

 

しかし、本来の大学の教育は、実務経験を、圧縮したものです。

 

大学で、実務経験をさせれば、大学の存在意義はなくなります。

 

アメリカのビジネススクールでは、エンジニアリングとしての経営を教えています。

 

ビジネススクールでは、経営の設計演習を繰り返して、経営の設計能力を磨きあげます。

 

その結果、ビジネススクールを優秀な成績で卒業した人は、経営者候補として、高給で処遇されます。

 

ここには、学習は、経験に優るという基本ルールがあります。

 

実務で、建築の設計をする場合には、設計は、多くて、年に数件程度です。

 

大学で、設計演習をするのであれば、毎月数件の設計を行なうことも可能です。

 

学生は、設計が出来る能力を身につけられなければ、卒業できません。

 

学生に明確なモチベーションがあれば、講義は、質疑が中心か、教科書に書かれていない最新の内容だけを講義すれば済みます。教科書と音読するような講義は不要になります。

 

ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言いました。

 

講義は、この格言の歴史に相当します。

 

歴史とは、過去の経験を再構築して、圧縮したものです、

 

過去の経験の再構築にもっとも成功した学問は物理学です。

 

物理学は、因果モデルを使っています。

 

トレンド予測は、過去の経験が繰り返し使えるというモデルです。

 

ビスマルクの格言(愚者は経験に学び)は、トレンド予測は、外れると言い換えることもできます。

 

ビスマルクの格言は、年功型組織で、OJTをすること(経験に学ぶ)は、愚者の選択であり、賢者は、学習をすると言い換えることができます。

 

ただし、この学習は、現在の日本の大学で行なわれている学習ではありません。

 

この学習は、設計能力を身につけることです。

 

設計能力を身につけることは、間違った設計をしないことになります。

 

住宅設計であれば、十分な強度があり、採光と温度調整ができ、省エネが成功の条件です。

 

人文的文化(リベラルアーツ)の多くの分野では、設計の正しさや、良い設計の検証の概念がありません。(注1)

 

エンジニアの視点でみれば、税制、年金といった制度設計には、設計の正しさや、良い設計の検証の概念があってしかるべきです。

 

一方、リベラルアーツでは、制度設計に、設計の正しさや、良い設計の検証を求めていないように見えます。

 

経験が、学習に優先すると考えられています。

 

注1:

 

作曲、小説の執筆など、設計の正しさや、良い設計の検証の概念がある分野も少数ですが存在します。