科学と法律

(実定法の限界を考えます)

 

1)ガリレオ裁判

 

ガリレオは、地動説を理由に有罪判決を受けました。

 

この裁判から、当時地動説を唱えるものはすべて異端とされたと考えられてきました。

 

現在では、ガリレオが神父たちよりもキリスト教の本質をよく理解し、科学的な言葉でそれを説いていたために快く思われず、でっちあげの偽裁判で有罪判決を受けたと解釈されてます。

 

「地動説はすべて異端」であったかどうかはさておき、ガリレオ裁判は、教義が、科学と矛盾した場合に、調整をとる問題が発生することを示しています。

 

ガリレオ裁判は、一般には、「教義が科学に優先する」というルールと解釈されます。

 

この教義を法律に置き換えれば、法律と科学が矛盾した場合に、調整はどのように図られるかという問題が浮かび上がります。

 

コロナウイルスが蔓延したときに、「政治判断は科学的判断に優先する」(政治主導)というルールが主張されました。

 

これは、ガリレオ裁判と同じ構造です。

 

公共事業の採択では、、「政治判断は科学的判断(費用対効果分析)に優先する」(政治主導)と主張して、利権政治が動いています。

 

これも、ガリレオ裁判と同じ構造です。

 

「政治判断は科学的判断に優先する」(政治主導)を認めれば、パーティ券問題は、永久に続きます。



チャールズ・パーシー・スノーは、1959年に、「二つの文化と科学革命(The Two Cultures and Scientific Revolution)」を出版して、人文科学では国の経済が壊れるので、科学教育(エンジニア教育)の充実が必要であると主張しました。

 

「二つの文化と科学革命」は次のように説明されることが多くあります。

 

人文科学の文化と自然科学者の文化の間には深刻な相互不信と無理解が見られ、それが世界が抱える問題の軽減のために科学技術を応用しようという展望に害を及ぼす結果をもたらすのだ。

 

この解釈は、完全な間違いです。

この解釈には、「人文科学は、自然科学に優先する」(人文科学主導)を演出する意図があります。

 

これも、ガリレオ裁判と同じ構造です。

 

それでは、どうすれば、ガリレオ裁判と同じ構造を回避できるでしょうか。

 

2)パースの提案

 

チャールズ・サンダース・パース( Charles Sanders Peirce)は、1877年に、「ブリ―フの固定化(The Fixation of Belief)」を書きました。

 

パースは、ブリーフの固定化には、次の4つの方法があるといいます。

 

固執の方法

権威の方法

先天的方法(形而上学

科学の方法

 

そして、この中で、科学の方法を使うことを推奨しています。

 

ここで対象とするブリ―フは、自然科学の対象とするモノではありません。

 

つまり、パースは、人文科学にも、科学の方法を拡張して利用すべきだと言いました。

 

「ブリ―フの固定化法」は、形而上学や哲学ではありませんので、提案です。

 

しかし、4つの方法を使って比較してみれば、パフォーマンスの違いがわかるだろうと言うわけです。

 

簡単にいえば、人文科学独自の方法は、「固執の方法、権威の方法、先天的方法(形而上学)」のどれかになってしまい使い物にならないだろうとパースは言っています。

 

どのような政策を選択するか、どの公共事業を採択するか、どの企業に補助金をつけるかは、ブリーフの固定化問題です。

 

政治家や官僚が、ブリーフの固定化に科学の方法を使っていれば、どうしてブリーフを固定化したかは、科学的に説明できるはずです。

 

パースの時代には、コンピュータもAIもありませんでした。

 

「ブリーフの固定化」は、もしも、Aが科学の方法によって、ブリーフを固定化し、政治家が権威の方法によってブリーフを固定化するのであれば、政治家をクビにして、AIを使った方がよいと主張しているとも読めます。

 

3)分岐点

 

「政治判断は科学的判断に優先する」(政治主導)のは、明らかに間違いです。政治判断が科学的判断に矛盾する原因は、政治家が科学の方法をつかっていないからです。

 

そこには、ブリーフの固定化の間違いがあります。

 

政治は法律に基づいて行なわれます。これから、「政治判断は科学的判断に優先する」を「法律判断は科学的判断に優先する」と書き換えることもできます。

 

法律判断が科学的判断に矛盾する場合には、法律家は科学の方法をつかっていない場合になります。「ブリーフの固定化」は、それはまずいと主張しています。

 

つまり、ガリレオ裁判を繰り返さないためには、法律は科学に合わせて改正されなければならないことになります。

 

法律の文面が法律の実体であり、法律の文面に違反しなければ、合法であるという主張は実定法と呼ばれます。

 

実定法には、法律を改正するモチベーションがありません。

 

これは、「固執の方法」に陥っていることを意味します。

 

実定法は、ナチスの台頭をまったく阻止することができませんでした。

 

同様に、実定法は、パーティ券による利権政治を阻止することができません。

 

法律の改正は、国民が、法律の文面に書かれていない内容を文書化する必要があると感じるときに起こります。

 

それを実現するメカニズムは、人権思想と自然法になります。

 

法律は、人権に基づいて、変えられるべきものであるという点を理解しないと、議論は進みません。

 

法律をつくるのは人間であり、その根拠は人権にあります。

 

行政官や法律家の中には、継続性が必要であるという科学的に間違った主張をする人がいます。

 

科学は継続性を否定します。今まで、服用していた薬に重大な副作用が見つかれば、即時に使用を中止します。

 

同様に考えれば、法律の使用に副作用があれば、即時に使用を中止すべきです。

 

政治家が、ブリーフの固定化に科学の方法を用いていれば、問題のある公職選挙法を改正すればよいことになります。

 

国会が会期中であれば、それには、1週間もかからないはずです。