ブリーフのジェネレーター

(ブリーフのジェネレターを考えると、スノーの課題に到達します)

 

1)第1の視点

 

「ブリーフの固定化法」の第1の視点は、あるブリーフを想定して、そのブリーフは4つの手法のどれで、固定化するかを考えることです。

 

この場合、ブリーフは1つで、1つのブリーフを4つの手法のどれかに割り当てます。

 

この作業を1サイクルと数えます。

1サイクルは、次のレコードのデータで構成されます。

 

ブリーフの作成者ー>ブリーフ本体ー>固定化の方法

 

このサイクルを例えば100回繰り返したとします。

 

100レコードのデータが得られます。

 

ここで、イメージしやすいように、ブリーフの作成者は10人だったと仮定します。

 

各作成者が同じ数のブリーフを作る訳ではありませんが、概ね10個前後のブリーフを作ることになります。

 

2)第2の視点

 

ここで、固定化の方法毎に、ブリーフの作成者を4つのグループに分けます。

 

このとき、各グループと作成者の間には、どのような関係があるでしょうか。

 

ある作成者の作ったブリーフが、ブリーフの固定化の4つの全ての方法に分散する可能性は低くなると思われます。

 

ある作成者の作ったブリーフが、ブリーフの固定化の4つの全ての方法に分散する場合、作成者は、ブリーフを作成して時に応じて、選択するブリーフの固定化法を切り替えることになります。

 

あるブリーフの固定化が、科学の方法を使っているか否かを判定することは、エビデンスによる検証過程の有無をみればわかるので容易です。

 

一方、あるブリーフの固定化が、科学の方法以外の3つの方法のどれを使っているのかを判定することは、難しいです。これは、3つの方法の境界が曖昧なために起こります。

 

そこで、科学の方法以外の3つの方法を非科学の方法としてグルーピングして検討を進めます。

 

あるブリーフの作成が、科学の方法と非科学の方法を併用することはあるでしょうか。

 

例を考えます。

 

あるブリーフの作成者が医師だったとします。

 

この場合、治療法の選択には、科学の方法を用いているはずです。

 

一方、医者の不養生の場合もあります。ある医師は、科学的には、健康に害のあるタバコを吸っているかもしれません。これは、固執の方法などの非科学の方法です。

 

あるブリーフの作成者が、医師や科学者のように、科学の方法をビジネスにしている場合でも、非科学の方法も使っており、科学の方法を100%使っているとは言えないことがわかります。

 

とはいえ、ブリーフの固定化に、科学の方法を使う場合と、非科学の方法を使う場合には、対象によって分けられています。

 

医師が、タバコを吸うことは、個人の自由ですが、治療法に、非科学の方法を使うことは許容されません。

 

この観察から、次の仮説が導かれます。

 

ある科学者のブリーフの作成者は、一般に、科学の方法と非科学の方法を併用している。

 

この場合、科学の方法と非科学の方法は、適用する対象ごとに分離されている。

 

これは、仮説ですので、検証と修正が必要です。

 

非科学者の場合には、どうなるのでしょう。

 

ここでも疑問は、「非科学者が、科学の方法を使うことができるか」になります。

 

科学の方法を使うには、格段の資格が必要ではありません。

 

しかし、適切な教育なしで、科学の方法が使えるようになるのは難しいと思われます。

 

これから、非科学者は2つのグループに分かれます。

 

科学の方法の教育を受けた非科学者

 

科学の方法教育を受けない非科学者

 

なお、科学の方法の教育とは、科学の定理や公式を暗記することではありません。

 

ガリレオは裁判で有罪になったあとで、「それでも地球は動いている」と言った、あるいは、言わなかったという話があります。科学の方法の視点に立てば、ガリレオが、問題にしたのは、科学の方法を使わないことであって、地球が動いているかいないかは、2の次であったと思われます。

 

エビデンス革命に伴って標準化された科学の方法は、常識に反する独学で学習することは非常に困難です。

 

3)科学者グループの修正

科学の方法の教育は、1990年頃までは、物理学と化学が中心でした。

 

今世紀に入って、科学の方法の教育の中心は、エビデンス革命に対応したデータサイエンスに変化しています。

 

エビデンス革命に対応したデータサイエンスは、経験科学を否定しています。

 

帰納法には、仮説の検証能力はないと断定します。

 

生成AIやビッグデータの理論的基礎は、データサイエンスにあります。

 

こう考えると、今世紀の科学の方法に求められているリテラシーは、データサイエンスのリテラシーです。

 

データサイエンスの教育は、今世紀に入るまで、本格的にはなされていません。

 

また、今世紀に入っても、十分なデータサイエンス教育がなされていない学科や学部が多くあります。

 

1990年頃までは、統計学の授業は講習会では、現在の基準でいえば、Pハッキングの手法を学習するようなカリキュラムが多くみられました。

 

つまり、今世紀の基準で言えば、「科学の方法の教育を受けていない科学者」が多数います。

 

4)ジェネレーターの分類

 

以上の分類に従って、ブリーフのジェネレーターを分類し、可能なブリーフの組合せを整理すると次になります。




ブリーフの固定化法           科学の方法    非科学の方法

 

科学の方法の教育を受けた科学者      〇        〇

 

科学の方法教育を受けない科学者      -        〇

 

科学の方法の教育を受けた非科学者     〇        〇

 

科学の方法教育を受けない非科学者     -        〇



1959年に、スノーは、人文的文化と科学的文化の間には越えられないギャップがあるといいました。

 

この視点と日本の教育における文系と理系の区分、パースの「ブリーフの固定化法」を組み合わせると、このように整理されます。

 

これは、話してもわかり得ない非常に深刻な問題をしめしています。

 

5)プログラミングと理解

 

自然科学で理解出来ていれば、、公式(オブジェクト)を数値に置き換える(インスタンス)ことができると思われます。

 

数学の試験では、公式を暗記することは不要で、計算して求めた数値が正解と一致していれば理解できたことになります。

 

しかし、より複雑な問題や新しい理論にあった練習問題集は存在しません。

 

それでは、自然科学者は、どうして自分が理解できていると判断しているのでしょうか。

 

これに対する答えは、プログラムのコーディングを使っていることになります。

 

地球温暖化モデルの解法が正しいことを電卓では検証できません。

 

電卓の代わりに、プログラムを使います。

 

こう考えると、「プログラミングの能力が必要か」という疑問に対する答えが見つかります。

 

「プログラミング」は目的ではありません。

 

どうして自分が理解できているかを判定する手段です。

 

電卓のように、他の手段もありますが、汎用性と効率性で、「プログラミング」よりよい方法はありません。

 

つまり、プログラミングなしには、理解することが非常に難しい自然科学の分野があります。

 

生成AIの基本コードは公開されています。

 

「自分が理解できていると判断」するためには、コードを読んで、修正してみることが、最も効率的です。

 

生成AIを共同で開発する人は、内容を理解できていることが前提条件です。

 

公開されたコードがない場合には、これは非常に困難になります。

 

公開コードがあり、それについて議論したり、コードの修正をみれば、ある人の理解度を評価できます。

 

つまり、データサイエンスの高度人材を雇うためには、コードについて、論じたり、書いたり、修正したりすれば、人材の評価ができます。

 

恐らく、これ以上に、人材を適正に評価できる手法はないと思われます。