(放置された課題に触れます)
1)トンネルの財源配分問題
「日本列島改造論」をぶちあげた田中角栄氏は、郷里・新潟の過疎の村にトンネルを作り、経済成長よりも配分を優先しました。
トンネルには、3つの財源配分問題があります。
第1は、既に述べたように配分を優先することで、経済成長が阻害されることです。
第2は、ゼロサム条件が無視されることです。
税収は有限ですから、配分に使える財源は限られています。
ゼロサムゲームでは、ある村のトンネルをつくる支出をすれば、他の場所に対する支出が抑制されます。
これは、財源やマンパワーなどのリソースに制限がある場合に、発生する問題です。
この問題に対する一般化解は、評価関数を作成して、評価関数のスコアの高いものを優先する方法です。
公共事業の財源制約に対しては、費用対効果分析が用いられます。
費用対効果分析のスコアを使った場合、過疎の村にトンネルを作ることはできません。
ここで、第3の問題点が生じます。
評価関数のスコアの高いものを優先する方法は、経済的合理性を優先する方法です。
公共事業には、市場はありませんが、仮に、複数の公共事業が市場で取引されていたと仮定した場合、支出に対する便益(効果)の大きなお買い得な公共事業が優先して、採択されるはずです。
評価関数のスコアの精度は余り高くないので、100人の村のトンネルと120人の村のトンネルのどちらを優先するかについては、政治が判断することになります。
これは、スーパーで、100円のトマトと120円のトマトがあった場合に、価格だけでなく、鮮度といった数値評価が難しい項目を考慮して、120円のトマトを購入する選択に似ています。
しかし、1000円のトマトと100円のトマトの比較では、1000円のトマトを購入することは考えられません。
つまり、60人の村にトンネルを作るか、600人の村にトンネルを作るかの選択を、費用対効果分析で行なえば、600人の村にトンネルが優先されます。
過疎の60人の村に、優先してトンネルが作られた場合、その公共事業を優先する判断基準は費用対効果分析ではありません。その判断基準は、何でしょうか。
考えられる判断基準は、パーティ券の購入費、政治献金、裏金などです。
つまり、費用対効果分析を使わずに、公共事業の優先順位が判断できれば、公共事業の採択は、利権のキャッシュバックの金額と選挙への協力で決まってしまいます。
政治家の反対があって、日本では先進国であたりまえの、費用対効果分析による公共事業の優先順位づけが行なわれていません。
費用対効果分析による公共事業の優先順位づけがなされた場合、競合する公共事業の費用対効果分析のスコアは並べて公開されます。
国民は、過疎の村のトンネルという1000円のトマトを買わされています。過疎の村のトンネルの利用者は、過疎の村の住民ですが、トンネルの建設費は、過疎の村の税収を超えています。その費用は、都市部の国民の税収で賄われています。
第3の問題点は、経済合理性を無視した、利権による予算配分が横行していることです。
さて、第2の問題に、戻ります。
リソースの限界に基づけば、ゼロサムが、議論のスタートになります。
しかし、ゼロサムは無視されています。これが、第2の問題です。
予算で言えば、ゼロサムは、国債を発行しないで税収の範囲で、予算を組むことになります。
アメリカも、ドイツも、予算は、ゼロサムで、国債の発行は、その都度、法案審議の対象になります。
しかし、日本では、田中内閣以降、国債が積みあがっています。
ここには、ゼロサムの原則はありません。
均衡財政よりも、ゼロサムの原則が、より一般的な概念です。
学校の教師の仕事も、ゼロサムではありません。労働時間が限られていますので、新たな仕事が増えた場合には、今までの仕事を取り除く必要があります。もちろん、日本では、教師の仕事はゼロサムではなく、増え続けています。
教員の仕事が忙しいので、人員を増強するという発想は、ゼロサムを無視してます。
ジョブ型雇用で、ジョブディスクリプションがあれば、仕事はゼロサムになります。
ゼロサムを無視したジョブディスクリプションのない年功型雇用に、問題の原因があります。
2)過疎の課題
過疎とは、足による投票で、住みたい人の少ないエリアです。
新聞は、鉄道の駅がある場合、子育て支援をしている場合には、人口が増加すると書いています。
しかし、日本全体の人口が減少していますので、ある自治体の人口増加は、他の自治体の人口減少になります。総人口は、ゼロサムです。
鉄道の駅を作ったり、子育て支援をしても、全ての自治体で、人口が増加するフェーズは既に終っています。
そうすると、自治体の選抜と集中を行なう必要があります。
もっとも合理的な判断基準は、足による投票の結果を反映させることです。
筆者は、それ以外に合理的で、客観的な判断基準を思いつきません。
この基準の問題点は、不合理な土地利用規制が、足による投票に反映されている点にあります。
以下では、この問題点は補正済みであると仮定します。
一番合理的な方法は、各段の過疎地域の住民に対して、移転促進のための助成金を払って、移転してもらうことです。財源がゼロサムであると仮定すれば、これより効率的な解決手段はないと思います。
この解決方法を採択すると、過疎問題は存在しないことになります。
田中角栄氏の政治の基本を否定することになります。
これは、レーガン前大統領の提案でもあります。
2011年の東日本大震災の時にも、ゼロサム問題がありましたが、政府は、放置してきました。
筆者は、足による投票の結果を反映以上の解決策を思いつきませんでした。
ここには、筆者の見落としがあるかも知れません。
よりよい提案があれば、検討すべきです。
しかし、検討には2つの条件が必要です。
第1に、財源と人口のゼロサムを前提にする必要があります。
第2は、選択と集中の基準は、客観的で、利権の入る余地のないものにする必要があります。
しかし、先送りは、利権政治を延命させ、経済成長を破壊します。
3)外国人移民問題
ここでは、外国人移民問題には、触れませんでした。
その理由は、人権問題の解決が優先すると考えるからです。
外国人労働者に対する人権無視が起こっています。
その根源には、日本人を含めた人権無視があります。
外国人を受け入れる場合には、外国人は労働力ではなく、人権のある人間として位置づける必要があります。
現状は、外国人は、労働力であって、永住しない人権の無い人の扱いになっています。
外国人の人権問題は、EUとイギリスでは、大きな問題になることが判明しています。
日本では、歴史的には、外国人は同化していますが、今後も同化が可能とは限りません。
トッド氏の指摘では、宗教が異なり、いとこ婚の多い外国人の同化は難しいことがわかっています。
筆者は、法度制度は維持できないと考えますが、外国人の同化問題は、法度制度の組み換え問題にも関係してきます。
これは、ミームの問題なので、慎重に扱う必要があります。