護送船団方式のコスト(10)基礎スキルの変容

10)基礎スキルの変容

 

10-1)30年前のスキル

 

人文科学の基礎スキルは言語処理能力です。

 

英米の場合には、英語と古典言語でした。これは、スノーが、「2つの科学」で述べています。ギリシア語の古典をよく知っていることが、人文的文化の基本スキルでした。

 

日本ではあれば、四書五経のようなものです。日本語と漢文(中国語)です。

 

明治時代になって、外国語(英語、ドイツ語、フランス語)が加わりました。

 

エンジニアリングの文献は、コンピュータ言語で書かれています。

 

英語に相当する共通言語は、C言語C++)です。

 

C言語は、冗長で、コードが長くなるので、最近では、利用者が減っています。

 

しかし、古い文献では、C言語で書かれたものも多くあります。

 

C言語が読めれば、大抵の他の言語は読めます。

 

なので、AIをpythonで書いている人でも、C言語が読めることが前提になっています。

 

ヒントン氏は、pythonを学んで、自分でコードを書くことよりも、よくなれたMATLABで、アルゴリズムを作ることを優先していました。

 

習得するスキルの幅が広がった場合には、カリキュラムを入れ替える必要があります。

 

コンピュータが出て来るまでは、ソロバンは有益なスキルでした。しかし、コンピュータが使えれば、不要になります。

 

1979年に、Apple IIで使えるようになったVisiCalcは、たった1枚の集計表しか扱えませんでしたが、キラーアプリになりました。これは、Excelの原型です。現在のスマホには、Excel互換の表集計ソフトがついていますので、ソロバンは使いません。

 

自動翻訳は、既に実用化されています。もちろん、英語の学習が、100%無駄になる訳ではありませんが、使用頻度の低い単語を覚えるよりも、優先すべき学習内容があります。

 

昔は、エンジニアは、計算に計算尺を使っていました。

 

50年前には、コンピュータの利用は限定で、微分方程式の殆どは、解けませんでした。

 

現在は、微分方程式の数値解を求めることができます。

 

30年前には、統計学では、数式を立てても、解を求めることができず、やむを得ないので、何でも、正規分布を仮定して、数表を使っていました。これが、Pハッキングの原因になっています。

 

30年前には、数学や、統計学の基本概念は立派でしたが、実用とは程遠いものでした。

 

問題を数学モデル化することは、できましたが、数式を解くことが出来ませんでした。

 

しかし、現在は、理論科学の数式は解くことができます。

 

問題なしとは言えませんが、温暖化の議論が出てきた原因は、気候モデルが解けるようになったことに原因があります。

 

さて、過去30年間に、習得するスキルが大きく変わったことを確認して、話を先に進めます。

 

10-2)スキルの変容

 

マイクロソフトのグレイ氏を参考に、科学のパラダイムから、基礎スキルを分類します。

 

これは、スノーの「2つの文化と科学革命」に例えれば、「3つの文化とデータサイエンス革命」と言える視点です。

 

3つの文化は、人文的文化(古典と経験科学)、科学的文化(理論科学、ハードウェア・エンジニア)、データサイエンス文化(データサイエンス、ソフトウェア・エンジニア、エビデンスベース、ビッグデータ、不完全情報)です。

 

データサイエンスは、もちろん科学ですが、ここでは、スノーの用語を変更しないで使うことにして、科学的文化とデータサイエンス文化に分けることにします。

 

こうすることで、人文的文化と科学的文化の用語を、スノーと共通で使うことができます。

 

10-3)第1段段階の変容

 

スノーの主張は、基本的なスキルの内容が、人文的文化から、、科学的文化(ハードウェア・エンジニア)にシフトしたので、エンジニア教育を充実する必要があるというものでした。

 

このとき、ハードウェア・エンジニアは、今まで、世の中にない新しいモノを創り出しました。

 

しかし、そのことは、人文的文化に影響を与えるものではありませんでした。

 

人文的文化ほ職業としている人が、科学的文化によって、失業することはありませんでした。

 

産業革命の進展に伴い、科学的文化が進んで、失業が起こり、ラッダイト運動が起こります。

 

失業した人は、労働者と職人でした。人文的文化を職業とする人が、失業することはありませんでした。

 

職人は、失業しましたが、それより遥かに多くのエンジニアの雇用を生みだしました。

 

労働者は農場から、工場に、働き口を変えました。農業の労働では、マニュアルは未整備で、実地で技術を習得しました。工場の労働では、指示書やマニュアルで技術を理解する場合と実地で技術を習得する場合があります。

 

指示書やマニュアルの記載は、不完全で、解釈の幅があり、試行錯誤をしながら、スキルを習得します。試行錯誤があるので、習得当初の生産性が極端に低下しますが、情況変化に対応する柔軟性があります。実地で技術を習得する場合には、試行錯誤がないので、習得当初の生産性の低下はありませんが、情況変化に対応する柔軟性が欠けます。試行錯誤によって学んだ人は、どうしてこうすべきかという理屈がわかりますが、実地で技術を習得する場合には、何も考えない前例主義が蔓延します。

 

欧米では、指示書によるジョブ型雇用が中心ですが、日本では、年功型雇用が徹底して、実地で技術を習得するOJTを進めました。その結果、マニュアルや指示書が読めない人が量産されます。(注1:マニュアル人間)

 

10-4)第2段階の変容

 

1990年頃から、「3つの文化とデータサイエンス革命」が始まり、2020年には、データサイエンス革命の進展は、世界的な趨勢になりました。

 

データサイエンス革命の進展は、DXの進展度合いをみることで、判断できます。

 

データサイエンス革命の進展は、レジームシフトです。レジームシフトは、社会システムの変化を意味します。

 

スノーが「2つの文化と科学革命」で、主張したように、教育システムの変化なしに、社会システムの変化に対応することはできません。

 

1959年に、スノーが「2つの文化と科学革命」で、スノーは、エンジニアリングのスキルをカリキュラムに追加することを提案しました。

 

同様に、データサイエンス革命に対しても、データサイエンスのスキルをカリキュラムに追加すればよいのでしょうか。

 

実際に、欧米では、20年前から、データサイエンスとITスキルは、高等学校までの必修スキルになっています。日本では、最近、ITスキルのカリキュラムを取り入れましたが、教員が不足しています。

 

第1の重要な論点は、この疑問になると思います。

 

「データサイエンス革命に対しても、データサイエンスのスキルをカリキュラムに追加すればよい」と考えることには、人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提があります。

 

カナダでは、弁護士業務の一部がコンピュータに置き換えられています。

 

つまり、人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提は崩れています。

 

とはいえ、日本では、弁護士業務は、コンピュータに置き換えられていません。

 

これは、「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提を保持」していることになります。

 

「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提を保持」している限り、データサイエンス革命の進展はなく、レジームシフトは起こりません。

 

「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提を保持」している限り、DXは進みません。労働生産性はあがらず、給与は増えません。

 

日本の現状は、DXは進まず、労働生産性はあがらず、給与は上がっていません。

 

これを結果と考えて、原因をアブダプションで推論します。

 

「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提の保持」は、この結果を生み出す原因として、十分と思われます。

 

さて、本節では、人文的文化のスキルの多くは、データサイエンスのスキルで、より効率的に代替可能であることを論ずる予定でした。

 

これは、「カナダでは、弁護士業務の一部がコンピュータに置き換えられている」ので、日本でも、レジームシフトを想定した基礎スキルの見直しをすべきであるという内容です。

 

実際に、生成AIが今後の働き方を変えるという議論が盛んに行われています。

 

労働が生成AIに置き換えられれば、失業する人が出ます。しかし、社会全体では、生産性が向上するので、生産性改善に伴う利益の一部を課税で取り戻して、失業した人に、リスキリングの補助などで、再配分することができます。

 

一方、「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提が保持」された場合には、コンピュータでできる仕事を、既得利権として継続する人が続出します。レージームシフトはおこらす、生産性があがらず、企業は、国際競争力を失い、社会全体が、どんどん貧しくなっていきます。

 

DXの進展をみていると、日本以外の先進国には前者があてはまり、日本には、後者が当てはまるように見えます。

 

「人文的文化が、データサイエンスの影響を受けないという前提の保持」するためには、「ブリーフの固定化法」に、科学の方法ではなく、形而上学を用いる必要があります。

 

つまり、科学的なリテラシーの高い先進国ではあり得ない現象ですが、人文的文化が優先する日本であれば起こりうる現象です。




注1:マニュアル人間

マニュアル(ウィキペディア日本語)には以下の表記があります。

 

マニュアルや手引書に従うばかりで考えが伴っていない場合には、それらに掲載されていない事態には対応不能であったり、不適切な対処をしてしまうこともある。これを揶揄して「マニュアル人間」(「手動人間」という意味ではない)と表現することがある。 

 

マニュアル(ウィキペディア英語)では、ユーザーガイド(User guide)と取扱説明書( Owner's manual)に分かれます。

 

取扱説明書には次のように書かれています。

20 世紀の最後の 10 ~ 20 年までは、オーナーズ マニュアルには回路図などの詳細な修理情報が含まれるのが一般的でした。しかし、製品がより複雑になるにつれて、この情報は徐々に専門のサービス マニュアルに追いやられるか、デバイスが経済的に修理できないほど安価になったため、完全に廃止されました。

つまり、「マニュアル人間」は、日本語にしかない表現です。これは、マニュアルが読めない人に、マニュアルを見ながら、実地で技術を習得させたために起こった現象と思われます。ジョブ指示書のある欧米では、考えられない現象です。