文化のギャップを認める視点

(文化のギャップを認める視点に立てば、世界が違って見えます)

 

1)スナク首相の発言

 

2023年1月4日の年頭演説でイギリスのスナク首相は、「18歳までの全生徒が何らかの形で数学を学ぶ教育プログラムを導入すると発表しました。現在、16歳から19歳のうち半数しか数学を学んでいないとして「データがあらゆるところにあり、統計があらゆる仕事を支える世界で数学は重要だ」訴えました。

 

Yahooのコメントを見ると、次のような反応がありました。(筆者の要約)



(1)日本の現状:高校一年または、高校二年で終わる高校生が大半で、英国と大差はない。

 

(2)数学を必修にすることには、賛成である。

 

(3)社会でのビジネスの現場では、数学が直接的に役立つということは少ないと思う。

経済学で微積分は必須だが、ビジネスで微積分自体が必須ではない。

 

(3)は、スノーの「二つの文化」の解釈の問題そのものです。「ビジネスで微積分自体が必須ではない」という発言は、発言者は現象を微積分のメガネで見てないこと意味しています。これは、発言者を非難している訳ではありません。学問は勉強すれば、そのメガネで現象をみることができ、予測が容易になります。これが、スノーがいう二つの文化の間には断絶があり、断絶は埋められないという意味です。

 

ただし、時間が限られているので、カリキュラムで何を優先するかは、判断が分かれます。

アダム・グラント氏は、三角関数よりも、統計学を学ぶべきだったといっています。

 

日本の高等学校の数学からは行列がなくなってまって、ゲームソフトが作れなくなったセガが、社内教育用の「基礎線形代数講座」のテキストを公開しています。



2)4つの文化

 

スノーは、人文的文化と科学的文化のギャップを主張しました。

 

「二つの文化と科学革命」が出版された1959年には、計算科学も、データサイエンスもありませんでした。

 

マイクロソフトのグレイの区分を使えば、経験科学と理論科学しかありませんでした。

 

人文的文化と科学的文化と呼ばれた2つの文化は、経験科学と理論科学の2つの文化の間のギャップを指すと読みかえることができます。



さらに、科学パラダイムが4つになった2023年には、つまり、人文的文化と科学的文化と呼ばれた2つの文化は、4つの文化になっています。

 

そこで、シリーズで、この4つの文化の間のギャップ(経験科学と理論科学、経験科学と計算科学、経験科学とデータサイエンスの間のキャップ)を検討してみます。

 

3)ギャップの存在を認める視点

 

筆者の考察は、「『二つの文化と科学革命』の日本国内の解釈には、間違いがある。エンジニア教育の重視が無視され、その結果、スノーが指摘したように、科学技術立国を阻害して、日本経済の停滞を原因を作った」という視点からスタートしました。

 

その時点では、2つの文化のギャップを埋める方法があるはずだという日本国内で広く行われている「二つの文化と科学革命」の解釈は、スノーの本意ではないと感じていました。

 

しかし、その時点では、「二つの文化のギャップが埋まらない」という視点を認めることが、現象の説明や、問題解決の手順(=世界の見え方)に大きな影響を与えることには気付いていませんでした。

 

「『二つの文化のギャップが埋まらない』という視点を認める」と、つまり、人文的文化の視点で全てを解釈できないとすると、見える世界は全く異なります。

 

例えば、「ビジネスで微積分自体が必須ではない」と言っている人は、明らかに数学が得意ではない人文的文化の人です。現在のビジネスでは、DXが重要でない企業はありません。そこで使われる数学は、統計学が中心ですが、微積分も当然のごとく使われています。「ビジネスで微積分自体が必須ではない」と言っている人は数学が得意ではないので、この事実が見えないのです。

 

「数学が実生活で役に立つことを教師が説明してくれなかったから、数学を学習する気になれなかった。必要性や利便性を上手く説明してくれる教師がいるべきだった」といったコメントもありました。

 

これもギャップを無視した発言です。

 

自動車や電車に乗れば、足で歩くより便利です。これらの技術には、数学が使われています。別に、「必要性や利便性を上手く説明してくれる教師」がいないから、数学の必要性や利便性がわからないとは思えません。

 

もちろん、自動車や電車に乗っても、そこで、どのような数学が使われているかはわかりません。自動車や電車にどのように数学が使われていて、数学が必要であり、設計の利便性を高めていることは数学を学習しないと理解できません。

 

しかし、「必要性や利便性を上手く説明してくれる教師がいるべきだ」という発言には、数学を学習していない生徒にも、必要性や利便性を上手く説明できるはずだというギャップを無視した期待を含んだ発言があります。



自動車や電車に乗るのは、使う工業社会です。

 

自動車や電車を作るのは、作る工業社会です。

 

同様に、

 

スマホクラウドシステムを使うのは、使うデジタル社会です。

 

スマホクラウドシステムを作るのは、作るデジタル社会です。



DXで必要な人材は、スマホクラウドシステムを作る人です。



データサイエンス文化が、企業の幹部まで、浸透していないと、作るデジタル社会に対応できる企業にはなれません。

 

幹部が人文的文化で、部下に、科学的文化の内容を、幹部にわかるように人文的文化で説明しろといった場合には、話を真に受けてはいけません。

 

この幹部は、文化のギャップを無視しています。

 

この幹部のいる企業は、作るデジタル社会に対応した企業にはなれません。

 

優秀なエンジニアであれば、良い機会をさがして、転職すべきです。

 

これは、筆者が主張しているのではなく、「二つの文化と科学革」を虚心で読めば、スノーの主張は、このように読めるという意味です。

 

このように、「二つの文化のギャップが埋まらない」という視点を認めると、世界の見え方が変化します。

 

企業の組織、働き方が違って見えてきます。

 

引用文献

 

英スナク首相 18歳まで数学“必修化”を発表 2022/01/05 テレ朝ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/d6cdd130d8f59de34da8ac91f308f0e42c41d0ba

コメントhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d6cdd130d8f59de34da8ac91f308f0e42c41d0ba/comments

 

基礎線形代数講座 sega

https://techblog.sega.jp/entry/2021/06/15/100000



補足1:

 

Yahooのコメントに、「『数式をどのように英語で読むか』をどこかで習いたかった」というものがありました。

 

日本の数学教育では、数式の英語の読み方を教えません。

 

ひどい場合には、日本語の数式の読み方も教えていないと思います。

 

英語の数式の読み方は、LaTeXを学習すれば必ず身に付きます。

 

LaTeXの数式の記載方法は、数式の英語読みそのものです。

 

LateXの数式のコマンドを覚えるのに苦労して、Wordの数式ツールのように、マウスで、記号をドラッグするソフトもあります。

 

これを使うと、数式の英語読みが習得できませんので、お薦めしません。

 

授業で、LateXが必修になっていれば、こうした質問はでません。