1)アブダプション
データサイエンスの世界観は、確率的な世界観です。
1854 年8 月末に、ロンドンのソーホー地区で発生したコレラは、9月10日までに500名が死亡し、死亡率は、ソーホー地区全体の12.8%に達しました。死者は、コレラが、終息する9月末までには、616名に達しました。
ジョン・スノーは、地区住民の事情に詳しい副牧師ヘンリー・ホワイトヘッドと共に調査を行い、ブロード・ストリートにあるポンプ井戸の水が“コレラを起こす何か”を含んでいる、と結論付けました。
これが疫学の始まりです。
スノーは、コレラに感染した(結果)に対して、原因を探索して、「ブロード・ストリートにあるポンプ井戸の水」が、原因であると推測しました。
このように、結果から、原因を探索する推論をアブダプションと言います。
アブダプションは、サイエンスの推論の基本です。
これは、サイエンスは、因果モデルから構成されているためです。
2)アメリカのSTEM教育
船津徹氏は、アメリカのSTEM教育について、次のようにいっています。(筆者の要約)
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アメリカではSTEM教育は小学校からスタートします。多くの小学校がロボティックスやレゴリーグなど「グループ単位」でSTEM技術を競い合わせる楽しいアクティビティを取り入れています。子どもたちはデザイン、設計、制作、プログラミングなど、ロボット制作の工程を仲間と一緒に学習することができます。
ロボット制作やプログラミングの過程では思い通りにいかない問題が多く生じます。それらをいかにチームの中で解決していくのか、問題点を発見して、解決方法を模索していくチームワークを学ぶことができます。
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ここで、「問題点を発見して、解決方法を模索」するのは、問題点(結果)から、解決方法(原因)を探索する推論なので、アブダプションになります。
3)帰納法の誤り
日本では、人文的文化の研究方法は、帰納法に偏っています。
帰納法は、過去の歴史をトレースするので、一見すると、そこには、客観性があるような、錯覚を引き起こします。
過去の歴史は、サンプリング・バイアスの塊りなので、そこには、検証はありません。
帰納法には、検証する力はなく、客観性がありません。
データサイエンスは、できるだけ、ランダムサンプリングを目指しますが、これは、帰納法は使いものにならないためです。
演繹法を用いる人文科学は、数学と哲学で、形而上学になります。
それ以外では、帰納法が用いられます。
過去の事例を集めて、そこから、帰納法で法則を見いだす方法は、経験科学とも呼ばれることもあります。
データサイエンスは、2000年頃までに、経験科学と帰納法を否定しています。
エビデンスベースの手法がデータサイエンスに取り入れられていますが、これは、帰納法が否定されたことに対応しています。
ビッグデータは、データサイズが大きくなれば、サンプリングバイアスが小さくなることを利用しています。
つまり、生成AIなど、ビッグデータを使った機械学習の仮説の検証レベルは、理論的に、帰納法による人文科学を超えています。
4)エンジニアリングの推論
STEM教育のロボット制作は、新しいモノ作りです。
新しいロボットは、この世の中にありませんので、帰納法では問題を解決できません。
この場合に必要とされる推論はアブダプションになります。
目標の条件を満たしてきちんと動くロボットを作るためには、論理的な思考能力が必要です。
過去のロボット開発の歴史を暗記しても役にはたちません。
STEM教育で、エンジニア教育について、勝手な解釈や引用が蔓延しています。
その多くは、アメリカの権威を引用して、真似をする帰納法や、前例主義になっています。
つまり、STEM教育を論じている人は、科学的文化のリテラシーがなく、前例主義として、STEM教育を引用しています。
STEM教育を「正解のない課題に自ら正しい方向を見出していくことができる科学的な思考力」と言う人もいますが、これは科学的に間違った主張です。
科学には、検証によって、正解があります。
作ったロボットがまともに動かなければ、正解に達していないことになります。
ロボットの形は、丸でも三角でもとくにこだわりはありませんが、極端に材料を多く使えば、ロボットの重量が重くなり、動作が緩慢になり、エネルギー効率が悪くなります。
逆に、材料を減らしすぎて、強度が不足すれば、すぐに、壊れてしまいます。
ゼロ戦は、材料を減らしすぎたので、搭乗員の安全性は、極めて低い飛行機でした。
エンジニアリングの正解は、多次元空間の正解領域になります。この領域には、確率分布があり、2つの設計があった場合、相対的にどちらが望ましいかを判定できます。
「正解のない課題」という発言から、発言者の思考が帰納法と前例主義に汚染されていて、科学的な思考が出来なくなっていることがわかります。
「主体的に問題解決していく力」の主体的は、形而上学です。
ある生徒の活動が、観測によって、主体的か否かを判別できる、判別関数は存在しません。
これは、科学的文化ではあり得ません。
STEM教育の目的な、新しいものが作れるエンジニア教育にあります。
STEM教育が成功すれば、まともなものが作れるようになります。
科学的には、この記述で十分です。形而上学の「主体的」を持ち出すメリットはありません。
エンジニア教育の必要性は、1959年に、スノーが「2つの文化と科学革命」で主張し、スノーは、実際に、エンジニア教育のカリキュラム改革を行いました。
STEM教育は、その延長線上にありますが、アルゴリズムとデータにもとづく、ソフトウェアの作成は、極度に論理的・数学的な思考操作です。
つまり、バージョンアップが必要になっています。
例えば、アルゴリズムとデータは、あいまいな日常言語で記述することが困難なので、数式やプログラムコードを使う必要があります。
指示代名詞は使えませんし、オブジェクトとインスタンスは、区別する必要があります。
引用文献
日本は最低レベル──世界で進む「STEM教育」の重要性 2021/03/10 Newsweek 船津徹
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2021/03/stem.php