護送船団方式のコスト(3)野口悠紀雄氏の見解

3-1)最近の金融機関の動向

 

保険会社や証券会社では、資金運用ができる人材育成や、専門職の採用を拡大しています。

 

リスキリングを始めた企業もあります。

 

ネット証券を子会社にしたり、買収する大企業もあります。

 

文部科学省では、IT系の大学の定員の拡充を許可し、新入生の採用が始まっています。

 

ある経済新聞は、1990年頃は、護送船団方式で良かったが、最近は、護送船団方式では対応できなくなったといいます。

 

また、大手都市銀行は、有名大学の成績優秀者が就職するので、人材の宝庫と言われてきたともいいます。

 

しかし、こうした認識には、違和感があります。

 

エンジニア養成が重要であるといい出したのは、スノーの「2つの文化と科学革命」(1959)からで、60年以上前のことです。この時点で、世界では、理系と文系の区別は無くなっています。

 

エマニュエル・トッド氏は、国力は、エンジニアで測れるといいます。弁護士と医師は、新しい富を生み出しません。弁護士と医師は、外貨を稼ぐことができません。外貨を稼ぐ方法は、エンジニアにかぎりません。しかし、農産物の輸出や、観光客の落とす外貨は、自動車、電気製品、ソフトウェア、薬品の輸出で稼ぐ外貨の量には、はるかに及びません。歴史上、農産物輸出国で先進国になった例は、アルゼンチンしかありません。

 

日本が、電気製品と自動車の輸出で、貿易黒字を出していた頃には、農産物の輸出や、観光客の落とす外貨が問題になることはありませんでした。

 

つまり、農産物の輸出や、観光客の落とす外貨では、日本は、先進国は維持できません。自動車、電気製品、ソフトウェア、薬品などのエンジニアリングプロダクトの輸出が出来なければだめです。

 

トッド氏が指摘するように、エンジニアが稼ぎ頭でない国は、経済的に没落します。

 

香港科学技術大学や南洋工科大学は1990年代にできています。これは、学部の拡充ではなく、大学の創設です。

 

日本では、会津大学が、これに近いですが、規模が小さいです。

 

1980年代には、趣味の対象でしかなかったパソコンが、1990年代には、実用化します。

 

1990年代には、1973年に発表されたブラック–ショールズ方程式が実用化します。

 

ブラック–ショールズ方程式が実用化できた原因には、インターネットがあります。

 

1990年代にできた技術系大学は、こうしたデータサイエンスの拡大に寄与します。

 

技術系大学の卒業生は、起業して、新産業をになっていきます。

 

このころ日本では、科学を理解できない専門委員の意見に従って、義務教育のカリキュラムから、理論科学が削除されています。データサイエンスの拡大とともに、欧米では、高等学校までのカリキュラムの統計学が拡充されました。

 

振り返ってみれは、専門家会議のゆとり教育は、教育目標から、エンジニア教育を削除してしまいました。新しいデータサイエンスに対応した統計学に拡充は議論にもなりませんでした。

 

こんなおかしなことがとおった理由は、パース流にいえば、ブリーフの固定化法に、科学の方法を用いなかったことが原因です。過去の経験や実例を引用してくる前例主義は、サンプリング・ハッキングの手法です。ゆとり教育の目的は、創造的な人材の育成ではなく、護送船団方式維持にあったと思われます。ゆとり教育ウォシングが行われたと思われます。

 

こう考えると、どうして、2020年代になって、エンジニアと言い出したのか、理由がわかりません。60年前から、チャンスを無視し続けてきたのですから。

 

高等学校と大学の文系と理系の区分は放置されています。

 

1959年を基準にすれば、60年の遅れです。

 

1990年を基準にすれば、30年の遅れです。

 

常識的に考えれば、追いつくために必要な時間は、30年から60年です。

 

ひと世代12年としても、最短でも2世代くらいはかかります。

 

中国が、市場経済を始めたのは、1980年頃からです。

効果が確実になったのは、2010年頃で、30年かかっています。

 

エンジニア教育ウォッシングが行われている可能性が高いと言えます。

 

3-2)野口 悠紀雄氏の指摘

 

30年前のバブル経済が崩壊して、日本経済は、長期停滞に突入したと考える人が多いです。バブル崩壊が日本経済のターニングポイントであるという見解です。

 

この見解に、異を唱えている人がいます。

 

バブルの出現を予測した野口悠紀雄氏です。

 

1985年頃に、日本企業は、過剰生産設備を持つようになります。

 

物を作っても、これ以上は売れない段階に達します。

 

野口 悠紀雄氏は、護送船団方式は、1985年には崩壊していたと考えます。

 

1985年に、余剰資金が生じた時に、金融業界は、資金運用問題をかかえます。

 

つまり、日本の金融機関は、金融工学のプロを必要としました。日本の金融機関は、護送船団方式にたよっていて、金融工学の出来る人はだれもいませんでした。

 

ブラック–ショールズ方程式は、1973年に発表されています。コンピュータを駆使した金融工学の出現は、1990年代までかかりましたが、1985年には、欧米では、金融工学の専門家が活躍していました。冷戦の崩壊を受けて、軍事産業で働いていたエンジニアが、失業して、金融業界に転入したことが変化を促進したと言われていますが、受け皿の金融工学は、1985年には、重要な専門家集団でした。

 

1990年代に入って、バブルの盛りに、大手銀行のエリートは、MOFF坦と呼ばれ、大蔵省(現財務省)の官僚を接待することが重要な仕事でした。

 

大蔵省への接待は、ノーパンしゃぶしゃぶ接待スキャンダルを引き起こし、大蔵省解体に繋がります。

 

欧米では、大手銀行のエリートは、MOFF坦のような接待のプロではなく、経営工学や金融工学の専門家でした。

 

野口 悠紀雄氏は、1985年に、大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家であれば、土地に過剰に投資するという異常な判断は回避され、バブルは起こらなかったと分析します。

 

野口 悠紀雄氏の推論は、帰納法が基本で、アブダプションは使いませんので、考察はここで、停止します。

 

野口 悠紀雄氏は、前後に確立された官僚統制システムを「1940年体制」と呼びますが、これは、護送船団方式を指すと思われます。これは、保険医療にもあてはまります。

 

野口 悠紀雄氏は、現在のトレンドで見れば、2040年に医療関連産業が、GDPでトップシェアになると予測しています。

 

2040年の社会保障費は多方面で論じられていますが、トレンド分析ばかりです。

 

トレンドは因果ではありません。

 

1940年体制」の護送船団方式を維持すれば、膨大な「護送船団方式のコスト」がかかります。

 

町医者のような8割の医師を生成AIに変えれば、医療費は激減します。専門病院以外はなくなる方式です。こうした場合、レジームシフトがおこるので、トレンド分析の結果は無効です。

 

現在は、政府は、生成AIに仕事を奪われると言いながら、2040年の社会保障負担は、増えると論じています。この2つは、相反していますので、論理的に破綻した推論が蔓延しています。

 

推論が間違える原因は、帰納法を使うことです。

 

次回からは、アブダプションの世界を扱います。

 

引用文献

 

1940年体制厚労省の低医療費政策 2011/3/8  医療ガバナンス学会 難波紘二

http://medg.jp/mt/?p=1259