護送船団方式のコスト(4)エンジニアの失われた機会費用

4-1)反事実的条件

 

野口 悠紀雄氏は、1985年に、大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家であれば、土地に過剰に投資するという異常な判断は回避され、バブルは起こらなかったと分析しました。

 

これは、次の様に書けます。

 

原因(日本の大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家である)=>結果(バブルは起きない)

 

原因(日本の大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家ではない)=>結果(バブルは起きる)

 

ヒュームは、因果モデルは、反事実的条件であるといいます。

 

これは、「日本の大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家である」という条件と、「大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家でない」という条件の片方しか、事実として起こらないことをいいます。

 

つまり、「(原因)=>(結果)」の因果モデルは、ただひとつの日本をCasual Univeseとしては成立しないことを意味します。

 

「(原因)=>(結果)」の因果モデルが、検証可能は条件は以下です。

 

この条件は、エビデンスベースで、命題が、検証できる条件になります。

 

(C1)Casual Universeには、日本のような条件の国が複数含まれている必要があります。インスタンスは、複数必要です。

 

(C2)因果モデルの命題は、表と裏がセットになったコイン型の命題です。

 

(C3)Casual Universeには、「日本の大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家である」と、「大手銀行のエリートが、経営工学や金融工学の専門家でない」という2種類の条件を満たすサンプル(インスタンス)が含まれる必要があります。統計的な検定のしやすさからすれば、2種類のサンプル数は、同じくらいが望ましいです。

 

以上から、エビデンスベースで、検証できる命題を考える場合には、帰納法は無力で、アブダプションが望ましいことがわかります。

 

野口 悠紀雄氏の仮説を検証するためには、日本のような条件の国を複数準備する必要があります。これは、実験では難しいので、モデルを使わざるをえないかも知れません。

 

一方、2023年になって、日本の金融機関は、経営工学や金融工学の専門家(エンジニア)を養成していますので、経営工学や金融工学の専門家がいなければ、資金運用が難しいということは広く認識されています。つまり、野口 悠紀雄氏の仮説は、大筋では、理解できると考えられています。

 

4-2)エンジニアの機会費用

 

日本の金融機関に、経営工学や金融工学の専門家(エンジニア)がいれば、バブルが起こらなかったと考えれば、護送船団方式の機会標は、「1年当たり7兆円」ではなく、「1年当たり10兆円」になります。バブルの対策費用は全て除外できなくなります。

 

これは直接経費です。

 

日本の金融機関に、経営工学や金融工学の専門家(エンジニア)がいれば、エンジニア教育の問題は広く認識され、1990年には、データサイエンスを中心にした香港科学技術大学や南洋工科大学のようなエンジニア大学が新設されていたはずです。こうした新設のエンジニア大学の卒業生は、ITを進める原動力になりました。

 

こうした波及効果を考えると、10兆円は、あまりにも小さな金額です。

 

エンジニアの機会費用を考える必要があります。

 

1959年にスノーは、エンジニア教育を充実しなければ、国の経済発展は見込めないと主張しました。

 

護送船団方式を、野口 悠紀雄氏は、「1940年体制」といっていますが、これは、示唆に富んだ表現です。

 

なぜならば、「1940年体制」は、1959年のスノーのエンジニア教育の充実を無視して、文系と理系の区別を温存したことを明確に示すからです。

 

文系という発想は、1894年から1948年まで日本で実施された高級官僚の採用試験である高等文官試験に由来しています。ルーツは、1894年にあります。

 

高等文官試験は、パースの「ブリーフの固定化法」(1877)の後に、出来た制度でありながら、科学の方法を無視していました。

 

トッド氏はエンジニアが稼ぎ頭でない国は、経済的に没落するといいます。これは、スノーと同じ見解です。

 

1990年から、2023年の間、アメリカでは、エンジニアが稼ぎ頭になりました。GAFAMの評価額をみれば、そのことは自明です。

 

中国、香港、シンガポールも似た状況にあります。

 

GAFAMの示していることは、過去30年間、世界の大学教育は、データサイエンスを重視して、有能な人材を供給して、IT産業を牽引したという事実です。データサイエンスの大学とIT産業はもっとも有能な人材をひきつけ、非常に高い所得を与えました。

 

過去30年間、日本の教育は、ゆとり教育に見られるように、科学を無視した形而上学のカリキュラムを引き継ぎました。

 

高い所得が得られる理系の職種は、医師しかありませんでした。日本では、もっと優秀な人材は、IT産業を牽引するのではなく、医師になりました。

 

野口 悠紀雄氏は、トレンドでいけば、もうすぐ、医療と介護が日本の最大の産業セクターになるといいます。

 

トッド氏はエンジニアが稼ぎ頭でない国は、経済的に没落するといいましたが、筆者は、トッド氏の指摘が実現すると考えます。

 

もうすぐ医療と介護費用を払うことのできる産業がなくなります。

 

日本では、IT産業は育ちませんでした。電機メーカーは国際競争力を失いました。2023年時点では、自動車産業は、国際競争力のある産業ですが、何時まで継続できるか不明です。

 

全産業で見れば、既に、貿易収支は赤字になっています。自動車産業は、EVの流行が収まれば、エンジンでも食べていけるかも知れません。しかし、自動運転技術のレベルは、全く競争についていっていません。

 

つまり、医療と介護が日本の最大の産業セクターになることはありえません。代りに、医師の収入が頭打ちになるはずです。これが、トッド氏流の解釈になります。

 

護送船団方式によって失われたエンジニアの機会費用を考えれば、因果モデルを無視したリスキリングの主張は、何ら効果がないことがわかります。

 

文系のリテラシーをもった中高年の再教育で、解決できるレベル問題ではないのです。